国際的ジャズ・ギタリスト、パット・マルティーノが77歳で逝去。その功績を辿る

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Pat Martino - Photo: Frans Schellekens/Redferns

国際的ジャズ・ギタリスト、パット・マルティーノ(Pat Martino)が2021年11月1日に77歳で逝去した。この訃報は、彼の長年のマネージャーであるジョー・ドノフリオによって伝えられた。

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パット・マルティーノの人生は、その卓越した演奏と同様に印象的なものだった。ペンシルベニア州フィラデルフィアに生まれ、若干15歳でプロとして活動を始めた彼は、1960年代にジャズ界を代表するギタリストの一人として頭角を現していく。1980年には、動脈瘤の脳手術を受けた結果、それまでの記憶を失い、演奏方法も完全に忘れてしまったパット・マルティーノだったが、その後見事な復活を遂げた。

ウィリス・ジャクソン、レッド・ホロウェイをはじめ、ドン・パターソン、ジミー・スミス、ジャック・マクダフ、リチャード・グルーヴ・ホルムズ、ジミー・マクグリフといったオルガン奏者たちがリーダーを務めるグループで若くから活動していた彼は、1966年、ジョン・ハンディとの共演を経て、自らが率いるバンドでプレスティッジ、ミューズ、ワーナーから作品を発表し、前衛ジャズ、ロック、ポップ、ワールド・ミュージックなどの影響を受けながら、高度なハードバップ・スタイルを確立していく。

パット・マルティーノの代表作にして、グラント・グリーンからの影響が窺える1967年のデビュー・アルバム『El Hombre』発表当時、彼はまだ22歳で、将来有望なギタリストであることを世に広く知らしめた。トゥルーディー・ピッツのオルガン演奏が大きくフィーチャーされている今作には、60年代半ばのソウル・ジャズの典型的な美学が吹き込まれている。一方で、彼は決まりきった型に嵌まるタイプではなく、比較的若い頃から、すでに独自のサウンドとスタイルを持っていた。

90年代以降も、1997年の『All Sides Now』、1998年の『Stone Blue』(ジョイアス・レイクとの共同名義)など、ブルーノートから数多くのアルバムをリリースし、高い評価を獲得。2000年代に入ってからも、カリフォルニアの老舗ジャズ・クラブ“Yoshi’s”で録音されたライヴ・アルバム(2001年)や、テナー・サックス奏者のジョー・ロヴァーノを迎えた『Think Tank』(2003年)、『Remember: A Tribute to Wes Montgomery』(2006年)などの作品をリリースしている。

非常に親切なミュージシャンでもあったパット・マルティーノは、ギター演奏のアプローチに関する教科書を執筆するなど、知識の共有にも熱心に取り組んでいた。

Written By Will Schube



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