「ヒップホップ」という言葉を広めたラップのパイオニア、ラヴバッグ・スタースキーが逝去

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Photo: Johnny Nunez/WireImage

ヒップホップの分野にクレジットされる事の多い、ラヴバッグ・スタースキーと言う名で知られていたブロンクス出身のDJ/ラッパーであった本名ケヴィン・スミスが、2018年2月8日にラスベガスで心臓発作を起こし、57歳で死去した。ケヴィン・スミスの娘のティファニーが、ローリング・ストーン誌に父親の死を語った。

ラヴバッグ・スタースキーは、DJクール・ハーク、アフリカ・バンバータ、グランドマスター・フラッシュ、そしてグランド・ウィザード・セオドアを含むDJのパイオニア集団の中心人物の一人であり、1970年代にラップが普及する前にヒップホップの文化を形成した。ラヴバッグ・スタースキーは「メイク・マネー、マネー、メイク・マネー、マネー、マネー」のような歌詞やキャッチフレーズで独特なセットを繰り広げ、後に「パーティー・ロッキング」として知られる特徴的なDJスタイルを築くきっかけとなる人物だ。

「パーティー・ロッキング」の語源に関して様々な議論があるが、ラヴバッグ・スタースキーは言葉をリズムに載せるスタイルで「ヒップホップ」の分野で幅広く称賛された。シルヴィア・ロビンソンはラップをレコーディングし、シュガーヒル・レコードを立ち上げようと思ったのは、パーティーでスタースキーのDJを聞いた事がきっかけだった。

パブリック・エネミーのチャック・ディーがラヴバッグ・スタースキーの死を追悼し「ラヴバッグ・スタースキーはDJ、MC、そして革新家だ。1979年にラップのレコードが世に出始めた前後に活躍したパイオニアでもある」とピッチフォークに語った。「彼は、ヒップホップとラップの両方で、世を騒がせ、脅威となる最初の存在だった。彼は素晴らしいMC達のためにDJし、素晴らしいDJ達のためにMCをした。グランドマスター・フラッシュとフュリアス・ファイヴ以外の人物でラヴバッグ・スタースキーは、伝説的なストリートの音楽をレコーディングの世界へ導いた数少ない人物の一人だ」。

「ラヴバッグ・スタースキーが他のDJと差別化された理由は、DJすると同時にマイクで喋り、それをとても得意としていた事だ」とグランドマスター・フラッシュはローリング・ストーン誌に語った。「ラヴバッグ・スタースキーはDJをしながらマイクで話す技術を発展させたとても重要な人物だ。現在では誰もがDJをすると同時にマイクで喋る。でもヒップホップの世界ではきっとスタースキーが第一人者だろう。」

1978年頃、ラヴバッグ・スタースキーは多大な影響力を与えたヒップホップ映画『クラッシュ・グルーヴ』のナイト・クラブのシーンに登場するブロンクスのディスコ・フィーバーにて、フラッシュや他のヒップホップのパイオニア等と組み、1980年代半ばまでレジデントDJを務めた。アーティストとしてはファースト・シングル「Positive Life」を1981年にハーレムのTay-Sterレコードからリリースし、ラヴバッグ・スタースキー名義でハーレム・ワールド・クルーと共にクレジットされている。

さらに、ラヴバッグ・スタースキーの「You’ve Gotta Believe」(B面は有名な「Live At The Disco Fever」が収録されている)と「Do the Right Thing」がディスコ・フィーバーのオーナーであるサル・アバティエロが運営するフィーバー・レコードからそれぞれ1983年と1984年にリリースされた。1985年にはマリオ・ヴァン・ピーブルズ主演のキャノン・フィルムズ映画『ダウンタウン・ウォー』のサウンドトラックの楽曲を数曲手掛けた。1986年に、シングル曲の「Amityville (The House On The Hill)」が収録されたソロ・アルバム『House Rocker』をリリースし、ラヴバッグ・スタースキーの最後の大々的なリリースとなった。

Written by Tim Peacock


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