マーキー・クラブ、レディング・フェスの創設者ハロルド・ペンドルトン死去

10月 17, 2017


マーキー・クラブ、レディング・フェスの創設者ハロルド・ペンドルトン死去

イギリス音楽業界の伝説であり、レディング・フェスティバルやロンドンにあるマーキー・クラブの創設者であるハロルド・ペンドルトンが亡くなった。2017年9月22日に、ハロルド・ペンドルトンが亡くなってというニュースが届いたのは、この週末のことだった。享年93歳だった。遺された彼の妻、そして息子のニックは、彼の追悼にロイヤル・ナショナル・ライフボート財団への寄付を呼びかけている。

様々な世界中のビッグ・アーティストにライヴ・プロダクションを提供してきた彼が立ち上げた会社、Entec Sound & Lightは、ハロルド・ペンドルトンへの賛辞を掲載しており、彼を「プロモーター、マネージャー、クラブ・オーナー、パブリッシャー、フェスティバル・オーナー、そして革新者」と評し、こう続けている。「60年のキャリアを通じて、ハロルド・ペンドルトンは、新しい才能を紹介するプラットフォームを作るために戦い、ポップ・ミュージック・カルチャーを形作りました。彼は音楽史におけるユニークな時代の中心にいました。イギリス、そして国外においても、ジャズ、ロック、パンクの革命の目撃者であり、それを鼓舞してきたのです」。

現在のレディング&リーズ・フェスティバルの主催者であり、フェスティバル・リパブリックの長であるメルヴィン・ベンはNME誌に「ハロルド・ペンドルトンが亡くなったと聞いてとても悲しく思います」と語っている。「最初の頃、レディング・フェスティバルで一緒に働きましたが、ハロルドはこの我々が愛するイベントに後々まで大きな影響を与えています。彼が主催したオリジナルのフェスティバルがなければ、今日の形のレディング・フェスティバルは存在しないでしょう。彼の死はわれわれ全員にとって、大きな損失です」と続けた。

ハロルド・ペンドルトンは、1958年にオックスフォード・ストリートにあるマーキー・ボールルーム行われていたジャズ・ナイトを引き継いだ。その後マーキーはウォーダー・ストリートに移転し、1987年にクラブのオーナーシップを失うまで、マーキーはロック、ジャズ、そしてR&Bの中心地であった。1960年代、70年代を通じて、時代を代表するデヴィッド・ボウイや、ザ・フー、ピンク・フロイド、クリーム、ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス、レッド・ツェッペリン、ロッド・スチュワートらがライヴを行い、また、メタリカガンズ・アンド・ローゼズR.E.M.らのUK初ライヴを行った場所でもある。

ハロルド・ペンドルトンは、1961年にナショナル・ジャズ・フェスティバルをスタート。時代と移り変わりとともに出演者は様々なジャンルに広がりながら、1971年に開催地からレディング・フェスティバルという名前に変更。1970年代初期から中期までは、プログレッシヴ・ロックやブルース、ハード・ロックなどに専念したラインナップだったが、1970年代後半にはイギリスのフェスティバルで始めて、パンク・ロックやニュー・ウェイヴが登場するフェスティバルとなり、ザ・ジャム、シャム69、ザ・ストラングラーズ等がヘッドラインをつとめている。

1970年代終り、フェスにロックとパンク/ニュー・ウェイヴの両方のジャンルのバンドを出演させることで、時にその両ジャンルのファン同志の衝突を招くこともあった。80年代に入り徐々に、ヘヴィ・メタルとロック・アクトに重点を置くようになり、フェスティバルの知名度もあがっていったクラシック・ロック・イヤーの最後と思われる1987年には、ザ・ミッション、アリス・クーパー、ステイタス・クォーらがヘッドライナーを務め、レディングは記録的な観客数動員数となった。

ハロルド・ペンドルトンは、ニルヴァーナがUKで行った最後のパフォーマンスとなる1992年のレディングまで、このフェスティバルにかかわり続けた。彼がこのフェスティバルを監督し続けている間には、当時では革命的と思われていた、複数ステージ、水洗トイレ、ビデオ・スクリーン、バックステージのシャワー、リストバンドの導入など革新的な運営を行っていた。

 

Written by Tim Peacock


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