U2と日本との関係、『焰』と広島、様々な交流:9年ぶり新作『Carnaval De Luz』発売記念連載②

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Photo by ROSS STEWART

U2の16作目のスタジオ・アルバムにして、9年ぶりの全編新曲『Carnaval De Luz(邦題:光の祝祭~カルナバル・デ・ルス)』が2026年11月13日にリリースされることが発表された。

この発売にあわせて、元ロッキング・オン編集長であり、U2を追い続けてきた宮嵜広司さんに様々な角度で長期連載として寄稿いただきます。第2回はU2と日本との関係について。

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「Bad」に込められたU2と日本のつながり

2019年12月4日。現時点においては「最後の来日ツアー」となっている「The Joshua Tree Tour 2019」の初日、2006年の前回来日以来13年間待たされていた格好の、さいたまスーパーアリーナに詰めかけた観衆に向けボノはこう言った。

「日本とは深い繋がりを感じている。これから演る曲は『The Unforgettable Fire』からの曲。これは日本の子供達が反戦を願って描いた絵がきっかけになって生まれた。その絵は僕ら人間に、恐怖の光景を、平和こそ最も尊ばれるものであることを教えてくれる。手放すべきもの、その一方で、それ以上に強く握りしめておくべきもののことを歌った曲だ」

そう言い終えて始められたのは「Bad」だった。

その夜から遡ること36年前。U2は初めての日本公演を行った。1983年11月にスタートしたそのツアーは3枚目にして出世作となった『War』を冠としたもので、彼らにとっても初めてヨーロッパ、アメリカ以外で演奏を披露する機会ともなっていて、その最初の国に選ばれたのが日本だった。

大阪、愛知、そして東京では4回、合わせて6公演が行われたそのツアーは、後にアダムが「日本にいて、ビートルマニアがどんなものだったのかがわかった気がする」と述懐したように、行く先々の空港や駅、ホテルで耳をつんざくばかりの金切り声に囲まれるものだったという。

また、滞在期間中に当時の日本の音楽番組「夜のヒットスタジオ」(フジテレビ)にプロモーションとして渋々出演させられるも、生放送での「New Year’s Day」演奏中にジ・エッジのギターの音が突然出なくなり、なし崩し的にパフォーマンスが終了、不穏な空気になったという事件(?)もあった。

 

広島と『The Unforgettable Fire』

いろんな意味で「異国」を感じさせるものだった、そんな最初の「日本体験」。しかし、一方でボノが2019年のMCで語っていたように、日本との関わりはその初体験から彼らのその後の表現に強い影響を与えるものだった。

日本人の子供達による反戦の絵をボノが観たのは、1983年のそのワールド・ツアーの最中、5月21日に立ち寄ったシカゴのPeace Museumで、広島・長崎の被爆者たちがその有様を描いた絵を『The Unforgettable Fire』というタイトルでまとめた企画展でのことだった。

「このアルバムのインスピレーションとなったものの一つ」とジ・エッジが語ったそのイメージは、被爆地日本に実際に来て、出会った一人の日本人によってさらにくっきりとした輪郭を持つようになる。長くなるが、『U2 by U2』に記録されたボノのコメントを引用する。

「このアルバム(『The Unforgettable Fire』)のテーマになったのは、死との戯れ、核分裂、発電所用の原料、あるいは、完全な破滅をもたらす兵器を作る素材だった。タイトル・トラックは和声面で非常に豊かで、都市を思い浮かばせる。この場合は東京だ。僕らはある人物に出会った。その人は日本での我々のパブリッシャーで永島達司という(*筆者注:このツアーを招聘していたキョードー東京の代表)。彼は東京大空襲を憶えていて、話してくれた。焼夷弾が紙と木で出来た都市を炎で包んでしまい、彼と彼の友人、親戚は、熱さと地獄のような炎から逃れるためにひたすら逃げたそうだ。彼と彼の奥さんは助かったが、家族はほとんど焼け死んでしまった。後に彼は、米軍基地で通訳として働くようになった。僕は彼に訊いたよ。『アメリカ人に家族を全員殺されてしまったというのに、どうしてそんなことが出来たんだ?』と。彼は『過去について考えるのは、我々の文化にはないことだ。我々は未来について考える』と答えた。僕は、博愛というのはユダヤ教とキリスト教に共通する考え方だと思っていたけれど、彼のその言葉は本当にそれを意味していた。彼は日本にビートルズを呼んだ。彼は、アメリカとヨーロッパのものは何でも大切に受け入れた。しかし、相対性理論という魔法を本当に理解し、都市全体が消滅してしまうというのがどんなことかを知っているのは日本人だけだということを憶えておくのは、価値あることだ。灰から蘇った不死鳥のような東京は、真に賛美に値する。それから、サムライの礼儀作法においては負けた者が勝利した者の色を身に付けるということも、憶えておく意味がある。自分を負かした者の哲学を採り入れるんだ。日本以外に貿易と自由市場においてアメリカをやっつけられる国があっただろうか。そういったことが、どの程度このアルバムではっきりと表現されているかは、本当のところわからない。実際には点描で、楽曲が絵を構成しているけど、でも何も告げてはいないんだ」

ボノによる日本論めいた部分も興味深いが、より注意したいのは、彼らが「日本」に見たものと、U2が一貫して発信し続けてきたメッセージが、同じ波形を描いているように感じられるところだ。それは言い換えれば、怨讐を超えて戦後をサバイブしていた日本に、引き裂かれた世界を繋ぎ合わせることを願うU2がある種の希望を感じ取ったということだと思う。

西側世界の片隅で生まれ育ち、破れた世界を繋ぎ止めるには信仰と音楽の力が必要だと信じていた若者たちが、アジアの端の不思議な国で、自分たちが思いもよらなかった考え方で痛みや哀しみを乗り越えようとしていたことに、前向きなショックを受けたーー、U2にとって日本は、そんなふうに独特なインスピレーションをもたらす国だったのかもしれない。

 

音楽と社会活動を通じて深まった日本との交流

翌2019年12月5日のライブでは、「Bad」を日本人医師・中村哲氏に捧げている。前日の12月4日、アフガニスタンで武装勢力の凶弾に倒れ死去した中村氏は、ペシャワール会現地代表、ピース・ジャパン・メディカル・サービス総院長として、パキスタン、アフガニスタンで医療活動の傍、この地の病気と貧困は慢性的な水不足が原因だとして自ら総延長25kmにも及ぶ用水路建設に着手、結果多くの農民の生活基盤を生んだ傑物だ。

同じ日本人でも残念ながら一部の認知に留まる中村医師にボノが言及してくれた際には、同夜の観客の一人として胸を熱くしたのを今でも憶えている。「Bad」のラストは、ボノによる「祝福を贈られるべきは平和に尽力する人たちだ」という言葉で締めくくられた。

『No Line On The Horizon』のアルバム・ジャケットが、日本人美術家・杉本博司氏の作品であることはよく知られている。「海景」シリーズの中の一枚で、ドイツ、オーストリア、スイスの国境に位置する「ボーデン湖」を撮ったこの写真の使用について、杉本氏が出した条件は、写真の上にいっさいの文字(バンド名やタイトル)を入れないことで、その代わり、無償で許可を出している。オリジナル・プリントは、杉本氏が建てた小田原市の江之浦測候所で観ることが出来るが、現地の特別なロケーションも相まって素晴らしい鑑賞体験だった。

またアーティストとの関係で言えば、建築家の安藤忠雄氏とボノの親交も篤い。大阪府茨木市にある安藤氏の「光の教会」をボノが訪問し、サプライズで「アメイジング・グレイス」を歌ったことや、自宅の設計を安藤氏に依頼したとも伝えられている。

2006年の来日時にボノが当時の安倍晋三首相を訪問、首相官邸で貧困やエイズ問題について会談した姿をニュースで見た人も多いのではないか。記念にサングラスを贈呈した時の映像は結構取り上げられていた(安倍首相とは2013年9月にもニューヨークの国連総会で会っていて、ボノは自作の絵本『ピーターとおおかみ』を手渡している)。

2008年には当時横浜で開催された第4回アフリカ開発会議にボノが出席、その折に長年のアフリカ人道支援や貧困問題への取り組みを評して、慶應義塾大学がボノに名誉博士号を授与している。

 

1983年から2019年まで:U2の来日公演

U2の来日公演はこれまで6回、合計21公演が行われている。

最初は1983年11月で、詳細は冒頭で書いた通り。

2回目の来日は1989年11月23日から12月1日までの「Lovetown Tour」で横浜アリーナ、2回の東京ドーム、3回の大阪城ホール。『Rattle And Hum』リリース後のツアーだった。

3回目は1993年12月9日、10日の「Zoo TV Tour」東京ドーム公演で、前座をビッグ・オーディオ・ダイナマイトが務めた。『Achtung Baby』のカオスをそのままステージ上に具現化したような実験的かつ画期的なツアーの最終日とあって、千秋楽後のメンバーがそれぞれ東京のアンダーグランドな夜を過ごしたとも伝えられている。

4回目は1998年3月5日東京ドーム、11日大阪ドームの「POPMART Tour」。アルバム『Pop』後だった。

5回目は2006年。当初は4月4日横浜国際総合競技場でのライブが発表されたが、メンバーの家族の病気でアジア・オセアニア・ツアー自体が延期。「Vertigo Tour」は、11月のさいたまスーパーアリーナ3回公演に変更された。なお滞在中の12月1日に、テレビ朝日「ミュージック・ステーション」に出演し、「Vertigo」と「Window in the Skies」の2曲を生演奏した。

現時点で最後の来日公演は、冒頭で書いた 2019年12月4、5日さいたまスーパーアリーナとなっている。

Written By 宮嵜 広司


U2『Carnaval De Luz』
2026年11月13日発売
CD&LP / iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music



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