当初は“二つのアメリカ”だったU2の名盤『The Joshua Tree』:9年ぶり新作発売記念連載⑥
U2の16作目のスタジオ・アルバムにして、9年ぶりの全編新曲『Carnaval De Luz(邦題:光の祝祭~カルナバル・デ・ルス)』が2026年11月13日にリリースされることが発表された。
この発売にあわせて、元ロッキング・オン編集長であり、U2を追い続けてきた宮嵜広司さんに様々な角度で長期連載として寄稿いただきます。第6回はU2の名盤『The Joshua Tree(ヨシュア・トゥリー)』について。
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U2にとって5枚目のアルバム『The Joshua Tree』が、その制作期間中、ボノの頭の中では『Two Americas』というタイトルだったことは有名な話である。「二つのアメリカ」ーー。
このタイトルは、本作がどういう背景のもと立ち上がってきたのか、いかなる構造を持つものとして設計されていったのかを端的に示している。したがってこの章では、『The Joshua Tree』ではなく『Two Americas』というタイトルを念頭に置きながら、当時の彼らの置かれていた状況、心境を駆け足で振り返りたいと思う。
エチオピアでの難民キャンプ
1984年の前作『The Unforgettable Fire』の成功と1985年の「LIVE AID」出演による飛躍的な認知拡大を経て、U2は次作の準備期間に入った。アダムは1ヶ月程度電話にも出ない完全なリフレッシュに専念し、ジ・エッジはマイケル・ブルックと映画『Captive』のサウンドトラックを制作していた。ラリーはアメリカ音楽にハマりドリー・パートンなどを聴いていて、ボノはというと、ある団体からの誘いを受け、パートナーのアリと共にボランティアも兼ねてアフリカのエチオピア難民キャンプに視察に出掛けている。
ボノは現地の子供たちに紙芝居を見せたり歌を作って教えたりしながら、朝靄の中で何千人もの飢えた難民が呆然と立ち尽くす光景を前に、この貧困の構造的原因について気付かされていく。そこにあったのは自然災害や内戦以上に、西側諸国による植民地時代から続く搾取構造だった。それまで怒りと正義の告発に燃える少年の立場にいたボノだったが、ここにきて自分は他ならぬ加害者の一部なのだという現実を突きつけられたことになる。
さらに決定的だったのは、現地の一人の親から息子を託されたときだ。ある男がボノに近寄り、「あなたが帰るアイルランドはここよりずっといいはずだ。ここにいれば、この子は確実に死ぬ。だから、この子を連れていってくれ」と懇願した。ボノはその頼みを断った。出来なかった。
中南米も回った。威嚇射撃の銃弾が飛び交う中で、この紛争に大国アメリカが大きく関与していることを痛感した。そんな風に各地を旅しながら、ボノはノーマン・メイラーなどのアメリカ文学を読み漁っていたという。
ロックの源流の教養が何も無かった
アフリカから戻ったボノは反アパルトヘイト「サン・シティ」に参加するためにニューヨークにいた。そこではスティーヴ・リリーホワイトがローリング・ストーンズと『Dirty Work』の制作中で、スタジオに来るよう誘われた。即興のセッションが始まり、キース・リチャーズがピアノ、ミック・ジャガーがカントリー・ソングを口ずさむなど和んでくると、ボノにも何か歌えと催促してきた。
ボノが「他人の曲なんて知らないよ」と応じるとふたりは「どういうことだよ、それ」と笑い出した。ボノがなんとか捻り出したのはラモーンズ「Glad To See You Go」で、その場はいっぺんに白けてしまったという。ブルースは嫌いだったし、ゴスペルもカントリーも通ってこなかった。ボノは自分にアメリカン・ルーツ・ミュージック、ロックの源流の教養が何も無いことに気付かされた。
見兼ねたキースは、その場でボノにジョン・リー・フッカーとロバート・ジョンソンのレコードを聴かせてくれた。ボノは本物のブルースに圧倒されたという(ちなみにボノは早速その晩ホテルで初めてのブルース・ソングに挑み、翌日、キースに聴かせている。その曲は後日アルバム『Rattle And Hum』に収録される「Silver And Gold」になる)。
世界の二面性と『Two Americas』
新しいアルバムに『Two Americas』というワーキング・タイトルがつけられていたことを思い出す。
ラリーは、アイルランドに住む人たちが唯一盛り上がる話題はアメリカで起きていることだったと語っている。アメリカーー。それは比喩的に言うなら、海を渡ってきた移民たちが自由の地を実現させようとした真新しい実験国家だ。煌びやかなエンターテイメントが花開き、ハリウッド・スターやポップ・シンガーが世界中を照らす夢の国だ。ラリーが故郷アイルランドにおけるアメリカについて語ったことは、他のほとんどの国でも起きていたことだ。だから、言い換えればわれわれは皆、潜在的なアメリカ市民なのだ。われわれはアメリカに夢と理想を見ているのだ。
その一方で、アメリカが象徴している過剰な資本主義やグローバリズム、あるいは日々加速している帝国主義や軍事国家としての凶暴な姿が、圧倒的な現実としてわれわれを覆い尽くしているのもまた事実だ。
このときボノが経験していたことを振り返ると、そこにあったのは理想と現実だろう。アメリカという国に限定して言えば、大国の責任と矛盾ということでもある。新しいアルバムに『Two Americas』というワーキング・タイトルがつけられていたのは、ある意味必然だったと言えるだろう。彼らの問題意識はアメリカがその巨体で暗喩的に体現している、この世界の二面性に向けられていたのだから。
しかし、もうひとつ大事な変化があったことはぜひ付け加えておきたい。世界の二面性に対峙したとき、これまでの彼らであれば、それは怒りとして、告発としてダイレクトに歌にされたと思うし、実際そうしてきた。無垢な少年よろしく、吠えてきたのがU2だった。けれど、このときボノに刺さっていた棘は、単純にそうさせない、いわば罪の意識だったと思う。
冒頭のエチオピアでの出来事を振り返ったボノは、「ある意味、僕はその時その子を連れて帰ってきていた」と述懐している。連れて帰れなかったからこそ、抱かされたその子の重みは常に彼を責めていた。世界の二面性の被害者でもあるけれど、同時に加害者でもある自分。アフリカの貧困、中南米の紛争に関与しているアメリカを憎みながらしかし、アメリカが牽引するグローバル資本主義世界の利益にあずかる自分、アメリカン・エンターテイメントにどっぷりと浸かり、その末裔として自分もまたスターダムに上がろうとしている自分ーー。そうした罪の意識、当事者意識は、ボノとU2を無垢な少年のままではいられなくしたに違いない。大事な変化はそれだった。
アルバムの内容
レコーディングは1986年初頭から、途中「Conspiracy Of Hope / Amnesty International」6公演での中断を挟みつつ、1987年1月、納品締切の数時間前まで行われた。場所はダブリンにあるデーンズモートハウスというジョージ王朝様式の大邸宅を借りて行われている。触れ始めたばかりのアメリカン・ルーツ・ミュージックや、前作から発展したブライアン・イーノ由来のヨーロピアン・サウンド、当時台頭してきた地元アイルランドのロック・バンドたち、ホットハウス・フラワーズやウォーターボーイズの熱さにも影響を受けた。
ラリーが「その後のライブで演奏していくことで完成した曲」と呼ぶ「Where The Streets Have No Name」は、アダムによればレコーディングが難航したナンバーで、結局、スティーヴ・リリーホワイトを呼び出してミックスを依頼し、ようやくモノになったのだとか。
「I Still Haven’t Found What I’m Looking For」は逆にスムーズで、関わった全員のアイデアが持ち寄られた曲だそう。「With Or Without You」は、矛盾をど真ん中に孕んだ詞の内容で、肝は「And You Give Yourself Away」(そして自分をさらけ出す)というフレーズにあるという。
「Bullet The Blue Sky」はボノが中南米で体験したアメリカの軍事介入の実態を真正面から描写した曲で、ボノにとっては歌詞のレベルを上げる必要に迫られた曲でもある。ちなみに曲中の「赤い顔」は当時のアメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンを指している。
1986年1月に地元アイルランドの先輩格シン・リジィのフィル・ライノットが亡くなるなど薬物中毒が問題化していたダブリンを舞台とする「Running To Stand Still」のタイトルは、ヘロイン中毒患者の「状態」をボノの兄が描写したフレーズに由来している。イントロのスティール・ギターが当時のバンドの音楽的野心を感じさせている。
衰退する英炭鉱業界と労働者を描いた「Red Hill Mining Town」は、ラリーによれば方向性に苦労した曲とのこと。「In God’s Country」も苦労した曲で、ジ・エッジにギターを弾いてもらいたかったボノが、わざわざ自分の下手くそなギターを聴かせることで彼をけしかけたのだとか。
ボノのハーモニカが印象的な「Trip Through Your Wires」はものの数分で出来た曲で、コミュニケーションの齟齬を歌っている。
「One Tree Hill」はニュージーランドはマオリ族にルーツを持つバンドのステージクルー、グレッグ・キャロルの突然の事故死に触発されて書いた曲。グレッグ・キャロルは、「LIVE AID」でもステージから飛び降りることのあったボノのそばで、彼を危険から守っていた。「One Tree Hill」は、かつてその彼が案内したニュージーランドの火山の山頂にある場所の名前だ。
ジャム・セッションから生まれた「Exit」は、精神崩壊を扱っていて、ノーマン・メイラーの『死刑執行人の歌』やトルーマン・カポーティの『冷血』といった殺人者の内面を描いた書物にインスパイアされたもの。
「Mothers of the Disappeared」は、アルゼンチンやチリの軍事政権下で行方不明者となった子供達の母親に実際に会うことのできたボノが追悼の意を込めて書いた曲で、ボノは「アルバムの中でこれほど意味のある曲はない」と述べている。
“アメリカの内面”で見つけた奇妙な木
アルバムにはこのように社会問題と向き合った曲と、彼らが初めて体験した友人や近しい仲間の死、そして人間の内面に迫った曲で構成されている。レコーディングはヨーロッパ風とアメリカンな楽曲が2枚分出来たことで、一時は分けてリリースすることも検討されたが、結局はそれらを混ぜた11曲として編集した。なお曲順はスティーヴ・リリーホワイトの妻カースティ・マッコールがスタジオを訪れた際、彼女が10分程度でさっと決めたものを採用している。
バンドは、アルバムが完成する前に、アート・ワークの撮影に臨んだ。モハヴェ砂漠を目指したショート・トリップは、ツアーで回る「都市のアメリカ」とは全く異なる、ファストフード店も見当たらない「アメリカの内面」に向かう旅となった。
途中、奇妙な木を見つけたジ・エッジが、乗っていたバスの運転手に「あのそこらじゅうに生えてる変なサボテンみたいなのは何?」と訊くと、彼は「ヨシュア・トゥリーだ」と答えた。ボノが「面白い名前だね。ヨシュア・トゥリーと一緒に撮影しよう」と言って、その木が群生している場所に行き、撮影はほんの20分程度だったという。カメラマンはオランダ人のアントン・コービン。モノクロームで捉えられたそのショットが、U2のビジュアル・イメージを決定づけた。
ヨシュア・トゥリーの由来は、19世紀にアメリカ西部に移住してきたモルモン教徒が、その木の独特な形を空に向かって手を伸ばして祈りを捧げている姿に見立て、旧約聖書にある預言者ヨシュアの祈りを連想したことから名付けられたとされている。
少年たちは、アメリカ=世界の二面性を知り、その場所で当事者であることを引き受けようとしていた。しかし、それだけでは何かが欠けていることに気づいたのだろう。その世界で必要なのは、矛盾に満ちたまま、それでも祈ることだと覚悟したのだ。『Two Americas』だったアルバム・タイトルが『The Joshua Tree』へと変わったのは、そういうことだと思う。
聴かれ続ける理由
『The Joshua Tree』はなぜ現在に至るまで、約40年にわたって絶え間なく聴かれ続けているのか。それは、答えを出したからではなかった。むしろ、悩み苦しんでいたからだ。悩み苦しむ姿を晒しそれと向き合っていたからだ。そしてその苦悩の只中で、それでもどこかに光が照らす場所はあるはずと祈っていたからだ。
クロージングの「Mothers Of The Disappeared」が終わると、聴き手は沈痛な静寂に包まれる。しかし、私たちはその無音から再びアルバムのオープナー「Where The Streets Have No Name」のイントロが聴こえてくるような錯覚を覚えないだろうか。
世界の哀しみと向き合ったその後で、希望の音が微かだがしかし確実に立ち上がっていくような感覚。たとえ今は苦しくとも、この道を歩いていけばどこかに、まだ名付けられていない通りへ辿り着けるはずという確信ーー(U2は過日「どんなにその晩のライブがうまくいかなかったとしてもこの曲さえキマればなんとかなるんだ」と「Where The Streets Have No Name」が指標であることを明かしたことがある)。ロバート・ジョンソンの「Cross Road」を想起させるU2の「名付けられていない通り」ーー。U2は本作で、そんなロック・ミュージックの本質を理解した。そして、それを自分たちのブレない芯とすることに決めた。このアルバム以降、U2がロックのど真ん中に立ち続けている理由は、ここにある。
アルバム『The Joshua Tree』は9週連続で全米1位になった。「With Or Without You」はバンドにとって初の全米1位シングルになった。「タイム」誌は「Rock’s Hottest Ticket」とコピーを添えて彼らを表紙にした。
U2が「I Still Haven’t Found What I’m Looking For」のMV撮影でラスベガスを訪れた際、ちょうどフランク・シナトラがコンサートを開いていた。U2はVIP席の最前列に無料で招待された。途中、シナトラがU2の来場を観客に告げたので、メンバーは立ち上がって挨拶した。
観客たちは皆最高に着飾っていたが、U2はまるで砂漠を横断してきた放浪者のような格好だった。たまらずシナトラは「君たちは服にはこれっぽっちも金をかけないんだな」と笑いを誘った。舞台が終わると、シナトラはバックステージに彼らを招き入れ、長い間談笑を交わした。楽屋の外では錚々たるハリウッド俳優たちが長い列を作って待たされていた。
ボノはこのときのことを「自分たちが地球上でNo. 1のグループになった気分だった」と述懐している。1976年にマウント・テンプル校の掲示板に一枚の手書きのメンバー募集が貼られてから、年月はまだ10年ちょっとしか経っていなかった。U2は、大人になっていた。
Written By 宮嵜 広司
U2『Carnaval De Luz』
2026年11月13日発売
CD&LP / iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music
2026年11月13日発売
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