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ケンドリック・ラマーの“最高傑作”『To Pimp A Butterfly』を新たな視点で読み解く

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2015年3月15日に発売されると、瞬く間に話題となり自身初となる全米1位、全英や他の国でも1位を獲得したケンドリック・ラマー(Kendrick Lamar)の3枚目のアルバム『To Pimp A Butterfly』。

このアルバムについて、『バタフライ・エフェクト:ケンドリック・ラマー伝』(河出書房新社、2021年)の翻訳を担当したヒップホップジャーナリストの塚田桂子さんに解説いただきました。

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Kendrick Lamar – Alright

 

ケンドリック・ラマーの『To Pimp A Butterfly』が、この3月でリリース7周年を迎えた。そこでジャーナリストのアレックス・パッパディマスが、この不朽の名作にあらためてスポットライトを当て、その誕生秘話や影響力、魅力を探っていく、Spotifyのオリジナル・ポッドキャスト「The Big Hit Show」が、この2月から3月に5週に渡って配信された。

2015年にリリースされて以来、このアルバムについては、数々のインタビューやコラム、マーカス・J.ムーア氏の著書でわたしが翻訳を担当させていただいた『バタフライ・エフェクト』などでも多くが語られてきて、このポッドキャストで繰り返されている内容も多い。しかし、豪華ゲストの数々、思わず唸ってしまう深い分析、今回初めて明かされると思われるびっくり情報も満載で、『To Pimp A Butterfly』とケンドリックの魅力をより深く、新たな視点で楽しめる内容になっている。そんな数々のエピソードの中から、わたしが気になった情報を抜粋してご紹介したい。

 

1. Hello Kendrick -『To Pimp A Butterfly』の誕生

そもそも、なぜ『To Pimp A Butterfly』(以降『TPAB』)なのか。ずば抜けたストーリーテリングで映画のように展開するメジャー・デビュー作『good kid, m.A.A.d city』、神との関係にさらに踏み込んでピューリッツァー賞を受賞した最新作『DAMN.』に比べると、『To Pimp A Butterfly』は意外にもその3分の1の売り上げだったという。しかしアレックスは、「商業的に大ヒットを飛ばしたデビュー作を、どのようにフォローアップするのか?」という点に着目して、本作を選んでいる。

このエピソードでは、ケンドリックが『TPAB』の制作に入るまでの過程に触れていく。2013年にビッグ・ショーンのシングル「Control」に客演したケンドリックは、ホットなラッパーを名指してディスりながら、「自分こそがニューヨークのキングだ」と主張して、話題をかっさらった。それはファンが既にケンドリックのものだと信じていた王冠を、彼が正式に受け入れる手段だったとアレックスは指摘する。つづく『TPAB』収録の「King Kunta」では、ケンドリックは、自分が現存する最高のラッパーであるという事実を、当然の結論として受け入れている。

『good kid, m.A.A.d city』(以降『gkmc』)を出したすぐに後に次のアルバム(『TPAB』)制作に入りたかったケンドリックは、スタジオに戻りたくてうずうずしていた。だからカニエ・ウエストにイーザスツアーの前座をオファーされたときには、実は断るつもりだったという。しかし、そこはカニエ。ケンドリックに2台のツアーバス(1台は移動用、1台はスタジオ付き)をオファーしたというから、ケンドリックも断れず。

『gkmc』の大ヒットにより、2作目では大きな変化が必要だと感じたケンドリックは、ジョージ・クリントン、ジェイムス・ブラウン、ロナルド・アイズリー、プリンスなど、偉大なる先駆者たちの音楽について熱心に研究した。ケンドリックがプリンスに『TPAB』への参加を希望していたことは、本人も認めている。そして高校時代からの親友で、マネージャーのデイ・ヴ・フリーが、ケンドリックと共にミネソタのプリンス邸を訪ねてセッションまで行ったことを、うっかり口を滑らせてしまう。

「彼は卓球のラケットには絶対に触るなって言うんだ。本当だぜ?  プリンスは人の目なんて気にしちゃいない。構いやしないさ。彼はただ自分のやりたいことをやっている。自分らしくあれ、それが俺たちが一番学んだことだ。堂々と、敬意を持って、意図を持って、目的を持って、だ」

本来はプリンスに、ラプソディとピート・ロックが客演した「Complexion (A Zulu Love)」に参加して欲しかったそうだが、もしやプリンスがピートの代わりにあのコーラスを歌っていたのだろうか?と、妄想は止まらない。とはいえ、各界の巨匠ジョージ・クリントン、ジェイムス・ブラウン(サンプリングで)、ロナルド・アイズリーには一緒にレコーディングをする幸運に恵まれ、その経験をケンドリックはこう語っている。

「彼らは今でも音楽を楽しんでやっている。音楽への愛情を失っていないんだ。これには多くを教わったね。そこにいるだけで、彼らがこのレコードにどれだけのエネルギーを注いでいるかを見ていた。それにそのレジェンドたちと一緒に曲を書いているんだからさ。圧倒されたよ…芸術性の核心を本当に理解できたし、それはいつも子供のような気持ちで演奏するってことなんだ」

『To Pimp A Butterfly』は、そのタイトルが示すように、あらゆる場面で「蝶」がキーワードになっている。『gkmc』に収録予定だった「Cartoons & Cereal」の曲にコーラス出演して以来の仲間であり、『TPAB』では「These Walls」にも客演したアナ・ワイズが、実は『TPAB』のアルバムタイトル案に一役買っていたというから、驚いた。すでにケンドリックとアイデアを交換し合っていたというアナの説明が、また神秘的だ。

「蝶を思い浮かべていたんだけど、ちょっとばかげてるかなぁと思って。時に直感で分かっていても、水に流しちゃう。でも確認するために地元の本屋に行ったのよ、アルバムのタイトルを決めようと思ってね。形而上学系の本棚に行って、とある本を手に取って開いてみたら、ある章の最初のページに、「蝶との対話」って書いてあったの。だからその写真を撮って彼に送ったのよ」

かくして『To Pimp A Butterfly』は、卵からふ化しようと動き始めていた。

 

2. Bigger Than Compton – アフリカからコンプトンへ

ケンドリックがDMXのデビュー作『It’s Dark and Hell Is Hot』を聴いてラップを書き始めたというストーリーは、意外にあまり知られていないのではないだろうか。このエピソードでは、DMXのような伝説的ラッパーや、友人、学校の恩師の力を借りて、ケンドリックが自分の声を発見していく様子がまとめられている。そして『gkmc』ツアーで向かった南アフリカでの経験が、ケンドリックと彼が作ろうとしていた新しいアルバムに変化をもたらし、そこでの経験をコンプトンの仲間に持ち帰りたいという熱い想いが、『TPAB』の大きなテーマになっていく。

ケンドリックが中学生の頃に出会い、その頃大ヒットしていたDMXでラップバトルをしている内に友情を育み、お互いに自信を与えあったのが、アントニオ・ホワイト(ラッパー名:カニン)だった。さらにケンドリックにとって、中学時代にヴァンガード学習センターで出会った英語教師リージス・インジ先生は、非常に重要な存在だった。インジ先生は家庭や地元でギャング絡みなどの問題によってストレスを抱えている生徒たちに、自己表現の手段として詩を勧め、類語辞典を使って常により良い言葉を選ぶように指導した。さらに当時、インジ先生は、吃音の問題を抱えていたケンドリックが、どもっているからといって他の生徒たちに笑わせないようケンドリックを守り、芽生え始めた才能を堂々と発表できる自信と環境を与えてくれたのだった。

ケンドリックは幼少時代、父親の肩車に乗りながら、2パックとドクター・ドレーの「California Love」のMV撮影現場を見る機会があった。その後ラッパーになるべくミックステープを作る青年時代に、2パックがケンドリックの夢に出て来て、「俺の血筋を守り続けろ、俺のレガシーをリプレゼントし続けるんだ」と伝えたという。ケンドリックが所属するトップ・ドッグ・エンターテイメント(以降TDE)の社長テレンス“パンチ”ヘンダーソンは、『Section.80』以降のケンドリックが人々をリプレゼントする様子は、パックを思い起こさせたと振り返る。

ケンドリックがいわゆるリーダーの役割を受け入れるようになったのも、『gkmc』のツアーで訪れた南アフリカで、地元のキッズたちと触れ合い、ロサンゼルスとは比較にならない貧困の中で生きる人々の様子、ネルソン・マンデラが収監されていた監房を訪れるといった経験をしたことを、地元の仲間に伝えたいという想いが大きかった。そしてインジ先生は、ケンドリックは、自分のリリックが人々にインスピレーションを与えていることに気づき、それを受けてリーダーとしての役割を受け入れたとも指摘している。また、このエピソードでは、大統領になる前に南アフリカの同じ監房を訪ねたときの様子を振り返るバラック・オバマも登場し、度肝を抜かれた。ケンドリックは『TPAB』のコンセプトをこう説明する。

「俺は南アフリカでの経験を元に、自分の中にある経験と比べてみたんだ。俺はあまり素晴らしいとは思われていない街の出身だけど、出身地で俺や仲間のことを決めつけて欲しくない。だから『TPAB』のコンセプトは、俺がアフリカで学んだ経験をコンプトンに持ち帰って、仲間たちと分かち合うことだったんだ。自分の経験や、その経験からもたらされる感情を説明すること。そしてコンプトンや俺たちの出身地よりも大きなものがあるってことを伝えることなんだ」

 

3. Andrew’s Mercury – アンドリュー先生の車の中で学んだ人生レッスン

ジャズやファンクの影響を色濃く受けた『TPAB』を制作する上で、今のLAのジャズシーンの顔であり、このアルバム制作の裏ボスと言えるテラス・マーティンの存在なくしては、決して実現しなかっただろう。このエピソードでは、ケンドリックのビジョンを実現するために、テラスが連絡網をフル回転させて集めたオールスターメンバーたちと共に、制限のないクリエイティブな環境で、ジャズとヒップホップの間の隔たりを無視した画期的なアルバムが作られていく様子に光を当てている。

このアルバムを語る上で、スパイク・リー監督の映画『モ’・ベター・ブルース』が、非常に重要な位置を占めている。この映画を観たことがなかったケンドリックはテラスと一緒に鑑賞し、大いにインスパイアされる。ヒップホップの全盛期である1990年にジャズをテーマにした映画を作るということは、スパイクはトレンドなどガン無視していたということであり、それこそが『TPAB』でやりたかったことだとテラスは指摘する。

「彼(スパイク・リー)は日常生活の背景にジャズがある映画を作った。あの映画はまさに俺たちがやろうとしていたことだった。あらゆるものがこっち(ヒップホップ)の方向に進もうってときに、あっち(ジャズ)へ行こうぜ、って言うね。はっきりさせておきたいんだけど、ジャズという音楽は、唯一、『やれるもんなら、やってみろよ』と挑戦する音楽なんだ」

*以下映像:「For Free?」の制作にインスピレーションを与えた『モ’・ベター・ブルース』の1シーン

Mo' Better Blues (1990) – Beaten to a Pulp Scene (8/10) | Movieclips

テラスに召集を受けたミュージシャンたちは、ケンドリックは「ラップ界のジョン・コルトレーン」的な存在であり、すべてにおいて革命を起こす人物だと聞いていたという。ヒップホップ世代として育ったジャズ・ミュージシャンたちが活躍するこのアルバムは、「俺たちみんなが作りたかったレコードのような気がした」とカマシ・ワシントンは振り返る。

ジャズピアニストであるロバート・グラスパーは、このアルバムに出演する前より、「ジャズ・ミーツ・ヒップホップ」を、アンダーグランドで体現してきた大御所だが、ケンドリックがそれを取り入れたことで、かつては年配のベテラン勢にのみリスペクトが注がれていたジャズは、まさにメインストリームに、若い世代の手の中で見事に返り咲いたのだ。

そしてこのエピソードの中で最も重要な人物が、ある意味このアルバムが生まれる背景を培ってきたともいえる、LAの伝説、ピアニスト、ソングライター、コンポーザー、アレンジャー、音楽教師のレジー・アンドリュースだ。

彼は何世代にも渡ってLA近郊の才能あるキッズたち、ギャングの影響などで横道に逸れそうになった有望なキッズたちをマルチ・スクール・ジャズ・バンドというバンドで演奏させ、音楽業界に送り出してきた。その生徒には、『TPAB』に出演したテラス・マーティン、カマシ・ワシントン、サンダーキャット、ロナルド・ブルーナー・ジュニア(サンダーキャットの兄)に始まり、ファーサイド、タイリースなど、錚々たる名前が連ねられている。多くの生徒たちにとってアンドリュース先生は、父親、叔父の役割も果たしてきた。彼は子供達がバンドで演奏した後、自宅に送り返す前に、必ず食事を与えていたという。そしてサンダーキャットが振り返る。

「俺たちは車の中でいろんな話で盛り上がったよ、人生から女の子まで…ミスター・アンドリュースは俺たちにクイズを出したりね。俺の若い頃の成長のほとんどは、ミスター・アンドリュースのマーキュリー(フォード社の自動車)の中で起こったんだ(笑)」

*以下映像:ヴェニスで行われたテラス・マーティンのライブにて、カマシ・ワシントンが登場

"These Walls" by Terrace Martin with Kamasi Washington at the del monte speakwasy

 

青年になったマルチ・スクール・ジャズ・バンドのメンバーは、LAジャズにとって歴史的に非常に有名な街、レイマート・パークにある「ワールド・ステージ」というライブスペースで毎晩のように演奏したという。2015年この「ワールド・ステージ」で、テラス・マーティンとロバート・グラスパーのライブ演奏を目撃するチャンスに恵まれたことがあるのだが、その時にテラスは、80年代後半にこの非営利の芸術教育センターを共同設立したジャズ・ドラマーのビリー・ヒギンズが、いかに偉大なる存在であるかを、繰り返し語っていたことを鮮明に覚えている。

レイマート・パークは1960年代からLAにおける黒人文化の中心地であり、本屋やコーヒーショップにはミュージシャンが集い、ステージを備えた健康食品店「グッドライフ・カフェ」のオープンマイク・ナイトでは、重要なインディペンデント・ヒップホップ・シーンが花開いた。

この今はなき有名なカフェでは、「プロジェクト・ブロウズ」というヒップホップ・ワークショップが毎週開催され、ジュラシック5はそこで活動を開始し、ジャズの影響を受けたクルー、フリースタイル・フェローシップもこの場所で結成されたという。そして歴史を振り返った時に、これらのLAの文化背景、音楽史、系譜がなければ、今の形での『TPAB』もあり得なかったと思うと、なんとも感慨深いのだ。

 

4. Alight – 若者たちの新たな抗議運動アンセム

このエピソードでは、ケンドリックが受けたトラウマの深層心理をえぐり出した「i」や「u」、『TPAB』の他の曲とあまりに雰囲気が違うことから、危うくアルバム入りしない可能性もあったという「Alight」が、なぜ図らずも、世界を震撼させた「ブラック・ライブズ・マター」運動を代表するアンセムとなったのか、という軌跡をたどる。

白人警察による残酷なジョージ・フロイド殺害事件のビデオが、SNSで瞬く前に広がったことで、「黒人の命は重要だ」と訴える「ブラック・ライブズ・マター」運動が、世界中に飛び火したのが2020年。しかし警察による黒人への残虐な蛮行は、決して今に始まったことではなく、SNSや携帯電話など存在しなかったはるか昔から続いている。組織としての「ブラック・ライブズ・マター」は、2012年にフロリダを訪ねていたトレイヴォーン・マーティン青年を銃殺したジョージ・ジマーマンが、同州の「身の危険を感じたら、相手に対して殺傷能力のある武器を使ってもよい」という州法に守られて、2013年に無実になった直後に誕生している。

2014年7月にニューヨークで起こったエリック・ガーナー殺害事件、8月にミズーリ州ファーガソンで起こったマイケル・ブラウン殺害事件が続き、全米の黒人の多くが警察に対して怒り心頭の中、ケンドリックは9月に「i」という先行シングルをリリースした。アイズレー・ブラザーズの軽快な「The Lady」のサンプリングと共に、「自分を愛している」というポジティヴなメッセージを掲げる「i」は、リリース当初、社会の温度感とそぐわない、タイミングが悪すぎるとケンドリックをバッシングする声も少なくなかった。

Kendrick Lamar – i (Official Video)

シラキュース大学の教授でピッチフォークの寄稿編集者であるラウィヤ・カメイアは、『gkmc』の成功により、ケンドリックに救世主、代弁者という役割を期待する反応があったことを指摘しているが、期待が高いからこそ、そのような反応が出たのも事実だろう。しかし蓋を開けてみれば、ケンドリックには、リスナーには予想もつかないような理由があったのだった。2014年にニューヨークのラジオ局Hot 97で行われたインタビューで、ケンドリックはこう答えている。

「今、俺たちの世代は、アイズレー・ブラザーズのソウルをサンプリングすると、『ポップ』だととらえるような世界にいる。もちろん、そうなることは分かっていたよ。音楽におけるリーダーとして、俺はその流れを改めたいんだ…これはブラックであり、ソウルであり、若者にはそれを知ってもらわないと」

そして最初この曲では、刑務所にいるホーミーたちに向けて、体は閉じ込められていても、思考までは捕らえられないということ、自殺願望を抱えて手首に切り傷を負った状態で、ケンドリックのコンサートに来てくれるファンに向けて、もっと生きる方法はあることを伝えたかったのだと言う。さらに驚くことに、2015年のローリングストーンズ誌のインタビューでは、ケンドリックはファンが知る由もなかった事実を明らかにするのだった。

「みんな俺がうぬぼれてるとか思ってるかもしれないけど、違うんだ。俺はずっと鬱病を抱えていて、朝起きると最悪の気分だった。罪悪感を感じる。怒りを感じる。後悔している。コンプトン出身の若者として、世界中であらゆる成功を手に入れても、自分の価値を疑ってしまうんだ」

考えてみれば、本当に自分を愛している人間ならば、「私は自分を愛している!」と、わざわざ声高らかに世界に喧伝しなくてもいいはずだ。「i」と対局にある「u」という曲では、それを裏付けるかのように、「自分を愛することは複雑だ」と、ケンドリックはまるで別の人格を呼び覚ましたかのような悲痛な声で叫んでいる。

u

さらに2015年1月のビルボードのインタビューでは、警察による暴力の犠牲者についての考えを聞かれたときに、マイケル・ブラウンの殺害は決して起こるべきではなかったとした上で、「でも、俺たち黒人は自分自身を尊重してないのに、どうやって相手から尊重してもらえるんだ?それは、自分の中から始まる。デモや略奪から始めるんじゃなく、自分から変わらないといけないんだ」と返答している。

これは多くの人たちを混乱させ、多くの同胞からは反感を買った。アフリカ系アメリカ人の映画評論家ウェスリー・モリスが、保守的ともいえるが、非常に鋭い指摘をしていて興味深い。ある意味、物議を醸したカニエの「奴隷制度は自分たちの選択だった」発言に近いものがあるのかもしれない。

「黒人が黒人に対して、今の状況に置かれているのは自分たちがした選択のせいだと言うのは、黒人の個人には言ってもいい。でも私たち黒人の多くが、少なくともこの国がどう機能してきて、今も機能し続けているかってことをすべて分かった上で、このメッセージを伝えるっていうのは大変なことです…黒人にとって、自分たちが何者で、どう行動すべきかということを、他の人たちが聞いている空間で話し合うことは、常に居心地の悪いことでした…例えばジョン・レジェンドとカニエ・ウエストが、カニエの行動についていろいろ言い合っているのを見るのは、楽しくないですよね?  ケンドリックが自分の作品の中でこのような会話をしているということは、本当に重要なことだと思います…彼は黒人のリスナーに対してこれらの質問を投げかけているのです。これらは、私たちがまだ問いかけなければならない重要な質問なのです」

*下記映像:2015年のロサンゼルスでのライブにて

"Alright" in LA, the Wiltern – K-dot

 

1960年代に起こった公民権運動以来、音楽は抗議活動と共に、常に人々を団結させる大きな役割を果たしてきた。わたしが2020年に参加したBLMのデモでも、N.W.Aの「Fuck tha Police」やパブリック・エナミーの「Fight The Power」などが爆音で流れていた。そして『TPBA』収録の「Alright」は、全米各地で絶え間なく警察などの手によって黒人が残虐に殺されていく中、自然発生的にBLM運動と連携して、人々はこの曲のコーラス「We gon’ be alight!(俺たち、わたしたちはきっと大丈夫!)」を詠唱するようになり、この運動を象徴するアンセムとなっていった。

*下記映像:BLMの抗議運動の様子を描いた「Alright」

Black Lives Matter – Alright

 

5. Spirits – 2パックの精霊

初めて『TPAB』の「Mortal Man」を聴き、ケンドリックがインタビューする形で2パックが蘇った様子を耳にしたときは、開いた口が塞がらないほどびっくりしたものだ。このエピソードでは、この「Mortal Man」に焦点を当て、その制作秘話が明らかにされていく。

Mortal Man

このパックのインタビューは元々、長年ブラックミュージックのアイコンやスーパースターにインタビューしてきたスウェーデンの音楽ジャーナリスト、マッツ・ニーラシャーが1994年にニューヨークを訪れていた際に、偶然実現したものだった。そして20年前のパックの言葉はあまりに時空を超越していて、今でも非常に今日的であることに驚かされる。

サンダーキャットの自宅でサウンウェイヴとジャムセッションを行っていてできあがったという「Mortal Man」は、この曲に出演したミュージシャンたちにとっても、非常に特別で悲しい曲だった。そしてこの曲のレコーディングをした日は、テラス、カマシ、サンダーキャットが14歳の頃から一緒に演奏してきた共通の友達で、サックスフォン奏者のゼイン・ムーサが、自殺して亡くなったという悲劇的な知らせを聞いた当日だった。

「Mortal Man」(いずれ死ぬ運命にある人間の意)では、ケンドリックが、「みんなが俺にリーダーの役割を求めるなら受け入れるが、俺が窮地に立ってもなおファンでいてくれるのか?」と問いかける。そして、「この大勢の人たちを率いる俺に、間違いを犯したりうつ病に苦しむ余地を与えて欲しい」と続く。アレックスは、ケンドリックがこのアルバムで「うつ病」という言葉を使うのは、これで7回目だと指摘する。

ケンドリックはファンが互いに追わなければならない責任に触れながら、ファンに「俺を愛してるって言うけど、どこまでそれを全うできるのか?」と問いかける。そしてこの曲は、ケンドリックが周りの人間の死、生き残った者の罪悪感、失った人たちのために自分には何ができたのか?という問いに向き合う、アルバムの最後の曲だ。

『To Pimp A Butterfly』はついに2015年3月15日にリリースされ、世界は様々な形でこの作品に反応した。アルバム制作に参加したフライング・ロータスは、「アーティストとして、また人間として当たり前のことをせず、前作とは違うことをしようとする彼にとても感銘を受けた…彼にはビジョンがあった。彼は自分の信念を貫き通し、その姿勢を完全にリスペクトしている」と賞賛する。

そしてタズー・アーノルドは、「正直言って、スミソニアン博物館に展示されるような作品だと思うね」と絶賛する。また生前のデヴィッド・ボウイもケンドリックの音楽をよく聴いていて、そこからインスピレーションを受け、最後の作品となった『Blackstar』を作ろうとしていた、とコラボレイターでプロデューサーのトニー・ヴィスコンティは、ローリングストーンズ誌のインタビューで告白している。

そしてデイヴ・フリーは、ケンドリックがBETアワードに出演し、黒人差別に対する怒りに満ちた「The Blacker The Berry」のパフォーマンスをして、アメリカ黒人にとって、刑務所は現代版の奴隷制度であることをビジュアル的にも訴えかけ、400年以上にわたる人種差別の歴史と現実を視聴者に強烈に問いかけたパフォーマンスを振り返り、こう語る。

「悲劇と結びついたとしても、人々のためのものであることに変わりはないんだ。彼はそういう意図で作った、人々に贈るために作ったんだ…あのアルバムはどのみち祝うような内容じゃなかった。むしろ金づちとつるはしで、自分たちを歴史書に刻み込むようなものだったんだ」

*下記動画:2016年BETアワーズでのパフォーマンス「The Blacker the Berry」

さらにケンドリックの成長を長年見守ってきたTDEの社長、パンチの言葉は、ある意味このポッドキャストを要約しているようで、非常に説得力がある。

「『good kid, m.A.A.d city』はクラシックだった。『DAMN.』は大ヒット作で、『To Pimp A Butterfly』は最高傑作だ。それがレガシーであり、間違いなく最高傑作だ。ヴォーカル、リリック、音楽のすべての異なる要素、すべてのまとまりが、世界に与えた影響がね。『君はきっと大丈夫だ』。それが音楽を超越してさらに踏み込んで、人間としての俺たちの精神に触れたんだよ」

しかしこのポッドキャストには、さらに驚くべき秘密の爆弾が隠されていた。2パックにインタビューをしたマッツ・ニーラシャー曰く、ケンドリックはそのインビューCDを『TPAB』の制作より何年も前にマッツから譲り受けていたのだが、マッツもケンドリックもずっと公言せず、こっそり温めていたという。さらにケンドリックは、「Mortal Man」に収録されたパックとの対話形式のインタビューを、スタジオにこもって自らの手で緻密に切り貼りして、完成させたというのだ。ケンドリックがいかにパックに深い思い入れがあるのかを、証明するようなエピソードだ。

そしてジャーナリストのウェスリー・モリスによる「Mortal Man」の分析が、非常に興味深く、ケンドリックの思考を理解する上で、大きなヒントになるように感じられる。

「ケンドリックはあのインタビューで何をしたいのかが分かっていて、2パックが持ち出した1831年のナット・ターナー(注:大規模な奴隷反乱を起こした指導者であり、今でも多くのアメリカ黒人に英雄とみなされている)を利用したかった。『もし君たちが何かを始めたいなら、次はこういうことになる。スムーズになんていきやしない、手荒くなるぜ』。革命が起こることをトゥパックに説明させているような気がするんです。ケンドリックは門を突破するようなタイプじゃありません。もし戦争が起こっているとしたら、それは彼の中で起こっていることです…彼は常に自分自身と向き合っていますが、このような国家的な復讐となると、おそらく最も適した人物に依頼したのだと思うんです…2パックはアーティストとして、ケンドリックよりも喧嘩っ早い、好戦的な人物だったからです。彼はそのエネルギーと任務をトゥパックに委託しているのです」

そしてさらなる爆弾が。「Mortal Man」の最後に、ケンドリックが「親友が書いてくれた」と紹介して朗読する詩があり、この曲のもうひとつの肝になっている。わたしはこの詩は、実際の友達、もしくはケンドリックが自分で書いたのではないかと推測していた。それが実は、パンチ(ラッパー、プロデューサーでもある)が書いた詩だというのだ。正直、これは2パックの登場に負けず劣らずの驚きだった。ケンドリックがこのアルバムを作る中で道に迷いかけていた時期があり、コンセプトやアイデアに埋没しそうだったため、「このアルバムの全体像や方向性を要約するようなものを書いてくれないか」と頼まれて引き受けたというのだ。

最後にアレックスは、なぜファンがあなたをもう愛してくれないときがくるかもしれないという疑問が生じるのか、とケンドリックに問いかける。(そしてこのインタビューが行われたハリウッドのスタジオで、ニューアルバム用に何曲かレコーディングしたそう!)

「ああ、そういう疑問は実際にあるよ。俺は完璧じゃないからね。自分自身の問題や、自分が何者なのか、何から癒されようとしているのか。人が同意しないことや、状況、出来事に巻き込まれるかもしれない。だから、観客に疑問を投げかけて、俺だって今でも人間なんだと言いたいんだ。だから俺は誰かをジャッジしたりしない。それは俺の性格じゃないし、いつもそう自負している。俺は誰とでも膝を突き合わせて話すことができる。君が誰であっても気にしないし、それでも共通点を見出して、心から共感することができる。それは常に俺の頭の片隅にあった疑問で、それを音楽で表現できたことは、俺だけでなく、ファンにとっても助けになった。俺が外に出て彼らと話すと、私を、僕を、批判しないでくれてありがとうと言ってくれるんだ」

ここで私が感動したのは、「誰であっても共通点を見出して、心から共感することができる」という言葉だ。これは以前にも共有したことがあるストーリーで恐縮だが、私が2011年にケンドリックにインタビューした際に、日本で地震と津波で多くの犠牲者が出た後だったため、日本の人たちへのメッセージをお願いしたことがある。すると彼は、しばらく黙って考えた後、自分はそれほどの災害に遭ったことはないけれど、自分のホーミーが死んだ時のことを考えてみるんだ、と言って、海の向こうの日本人の心の痛みに心を寄せてくれたのだ。その姿勢や優しさは、今でもまったく変わっていないことを確認できて、とても嬉しくなった。

そういう彼を知っているから、彼の音楽を好きにならずにはいられないのだ。彼の心の平和を祈りながら、新作のリリースを忍耐強く、心待ちにしていようと思う。

Written By 塚田桂子



ケンドリック・ラマー『To Pimp A Butterfly』
2015年3月15日発売
CD / LP / iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music




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