U2はなぜ“4人”であり続けられたのか?:9年ぶり新作『Carnaval De Luz』発売記念連載①

Published on

Photo: Lex van Rossen/MAI/Redferns

U2の16作目のスタジオ・アルバムにして、9年ぶりの全編新曲のアルバム『Carnaval De Luz(邦題:光の祝祭~カルナバル・デ・ルス)』が2026年11月13日にリリースされることが発表された。

この発売にあわせて、元ロッキング・オン編集長であり、U2を追い続けてきた宮嵜広司さんに様々な角度で長期連載として寄稿いただきます。第1回目は変わらない4人のメンバーについて。

<関連記事>
・ U2新譜発売記念連載一覧
・ U2、9年ぶりの新作オリジナルアルバム『Carnaval De Luz』11月発売決定
・
U2、新EP『Days Of Ash』緊急配信。エド・シーランとの楽曲も
・ U2、新曲「Street of Dreams」解禁。来たる新作アルバムからの1stシングル


 

ビートルズが活動したのは主に1960年代、出会ってから喧嘩別れするまでの十数年間に限られていた。彼らは30代を迎えるとまるで青春が終わったかのように個々の道を選んだ。レッド・ツェッペリンは1968年から1980年までの同じく十数年、クイーンは1970年から1991年までの二十年間続いたが、それぞれメンバーを失い、創設時の仲間のまま活動することを許されなかった。

ロック・バンドがオリジナル・メンバーのまま時代を超えて何十年も続いていくような例は幸せであり、ことほど左様に非常に稀である。というか、そのバンドが、活動していたその時代ごとに大きな支持を集めた傑作をその都度リリースし、現在もなお世界最高のロック・バンドとして讃えられる存在であり続けているとなれば、もう奇跡が何度重ねられてもあり得ない。ただひとつ、U2を除いては。

 

50年続いた、あり得ないロック・バンド

現在までのアルバム・セールス1億7500万枚。これまでに受賞したグラミー賞の数はロック・バンド史上最多の22。1980年代、1990年代、2000年代、2010年代と4つの年代で全米アルバム・チャート1位を記録。4つの連続した年代でこの記録を持っているのはU2だけで、しかもこれらの作品は全てオリジナル・アルバムだ(いわゆる往年のアーティストが編纂するヒット曲を集めたベスト盤などは含まれていない)。

つまり、ただ長く活動を続けてきただけでなくその間ずっと時代の最先端で高い評価を受ける作品を出し続けてきたということも含めて、U2のようなロック・バンドは他にない。しかも繰り返しになるが、それは創設時のオリジナル・メンバーのまま、変わらない仲間で成し遂げられてきたのである。

 

すべては高校の掲示板から始まった

この巨大な功績と異例な遍歴を見るとき、その全ての発端が、高校の掲示板に貼られた手書きのバンド・メンバー募集だったことはもうマンガとしか言いようがないだろう。

「僕は、今となっては伝説的とも呼べる貼り紙をしたんだ。内容は“当方ドラマー。バンド・メンバー募集”というようなものだったと思う。僕はただ何人かの人間が集まって、ちょっと楽しむだけのものだと思っていた。それ以外の何物でもなかった。アイデアもなかったし、何も期待していなかった」

1976年9月。まだ14歳のラリー・マレン・ジュニアが父親の勧めでマウント・テンプル校の掲示板に貼った貼り紙は、9月25日、ラリーの家のキッチンに16歳のボノ、15歳のジ・エッジ、16歳のアダム・クレイトンらを集め、拙いジャム・セッションへと繋がった。そんなどこにでもあるバンド結成エピソード、しかしそれから50年、彼らは変わらずそのメンバーで歩み、これだけの景色を生んできたのだ。
もちろん、それだけの長い時間であれば、ロック・バンドにお決まりの危機的状況は幾度もあった。

1980年代後半にはバンドが成功し社会的影響力を増す中ボノの政治活動が活発化し他のメンバーと距離が生じた瞬間もあったと言われているし、方向を大転換させた1991年のアルバム『Achtung Baby』制作時にはそれこそメンバー間の音楽性の違いから分裂の危機を迎えている。個々で言えば、1990年代のアダム・クレイトンは薬物やアルコールへの依存症で長く苦しみ、ライブを欠席することもあったし、2014年にはボノがニューヨークで自転車事故に遭い、もう二度とギターが弾けない可能性まで囁かれた。

最近で言っても、ラリー・マレン・ジュニアが長年の首、膝、肘の不調から2023年のラスヴェガスSphereでの長期柿落とし公演を丸々欠席し、代役で乗り切っている。U2独自の(?)危機的状況ということで言えば、もっと昔、1981年のセカンド・アルバム『October』制作前にジ・エッジとボノの二人がロック・バンドと信仰の両立に悩み、実際に当時のマネジャーに脱退を申し出たこともあったという。

 

U2を結び続けた「辺境」と信仰

とはいえ、U2は続いてきた。そこには何があったのだろうか。ひとつには、彼らの出自があると思う。彼らの故郷アイルランドのダブリンは決してロックの世界ではメジャー・シティではない。この地出身のバンドが自作曲で隣国のエンタメ大国のひとつイギリスでチャート1位を獲るのは1978年ブームタウン・ラッツの「Rat Trap」まで待たなければならなかったほどで、つまりU2にはずっと自分たちが「辺境」のバンドだという意識があったはずだ。

多種多様な才能が集まるロンドンやニューヨーク、ロサンゼルスのような街の出身ではない、世界の端で集まった十代の頃からたまたま顔見知りの連中ーー。逆にこのことが彼らの結束を固くしたことは想像に容易い(実際、U2の周辺で今も芸術面で欠かせないサポートを続けているグッギやギャヴィン・フライデーといった存在はこの時からの古い友人たちだ)。

もうひとつは信仰だろう。U2は初期からロックと両立できるかで悩んだくらい、その姿勢を隠さなかった。しかし、U2にとって信仰心は乱暴に言い換えれば、神との対話を通じながら世界をどう捉え、どう見直すか、そんな営みとして守られてきたのではないかと思っている。世界を捉え、自分なりに見直すーー言うまでもなくそれは、ロックの原則そのものでもある。彼らの信仰心の強さは、とりも直さずU2を真摯なロック・バンド足らしめてきた。そしてその世界との弛まぬ対峙が、時代ごとに世界の変容を映し出すアルバムを産んでいった。

始まりのエピソードだけ見れば、これほど青春なロック・バンドもいないが、彼らが青春を過ぎ大人になった今も表現集団として新鮮さを失わなかった理由、つまり、一過性のバンドとして終わらなかった理由をここに見つけることもできるだろう。

もうひとつだけ加えるとしたら、4人の力関係がイーブンだったことも大きいのは間違いない。バンドの力学では、ソングライターやフロントマンが主導権を握り、挙句、主従関係にまで及んで瓦解するというパターンは常だ。U2のインタビューを読むと、さまざまな決定が4人の合議で行われていることに気づく。

エゴが渦巻くロック・シーンにあって希少とも言えるそんな公平性に一役買ったと言えるのが、1980年、バンドがアイランドと契約する際、当時のマネジャーだったポール・マグギネスの発案で、収益の分配を4等分にしたことがあると見ている。お互いの信頼関係を気持ちだけでなく、現実問題としてペーパーにしたことも、理想とリアルを突き詰めてきたU2らしいと思っている。

 

4人であり続けるということ

メンバー・チェンジを行わず長きにわたって活動しているバンドはU2以外では例えばレディオヘッドの存在も見逃せないが、彼らは2018年以降最近のライブ復帰まで実質的な活動休止状態にあったことはよく知られている。もっとも近いと言えばコールドプレイがいるかもしれない。

1997年から約30年、2000年代、2010年代、2020年代と3つの時代で全米1位のアルバムを持ち、現在までのアルバム・セールスは1億4000万枚、グラミー賞は7回受賞している。しかし、彼らはすでに来たる12枚目のアルバムを持って将来的な創作活動の休止を宣言し、いわば長期にわたる表現のクオリティコントロールがいかに困難であるかを認めている。

コールドプレイの輝かしくも特別なキャリアとある意味誠実な(?)未来計画を見れば、さらに一層U2の歩んでいる半世紀の異常さが際立つ。彼らは4つの年代でまるで4つの異なるバンドかと見紛うような異なるテーマとサウンドを持ったアルバムをリリースし、しかもそれぞれ全米1位を獲った。そして今、新章を告げる16枚目のオリジナル・アルバムをかくも瑞々しくリリースしようとしている。

何度も繰り返しになるが、こんなバンドはいないのである。そして、(残念ながら)もう現れないだろう。私たちは、U2のニュー・アルバムを大いなる畏怖と同時に、まるで初々しい新人バンドのデビュー・アルバムのように聴けることの喜びを噛み締めるのだ。

Written By 宮嵜 広司


U2『Carnaval De Luz』
2026年11月13日発売
CD&LP / iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music



Don't Miss

{"vars":{"account":"UA-90870517-1"},"triggers":{"trackPageview":{"on":"visible","request":"pageview"}}}
モバイルバージョンを終了