『ハワード – ディズニー音楽に込めた物語 – 』ディズニールネッサンスの立役者の功績と40年の人生

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Disney+(ディズニープラス)にて配信された『ハワード -ディズニー音楽に込めた物語-(原題:Howard)』は、ディズニーの名作『アラジン』『美女と野獣』『リトル・マーメイド』の作詞を担当したハワード・アシュマンのドキュメンタリー。この作品について、映画・音楽関連のライター業だけではなく小説も出版されるなど、幅広く活躍されている長谷川町蔵さんに解説頂きました。

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「ディズニーの長編アニメーション」と言われて、個性的なディズニープリンセスたちが自分の運命を切り開いていく姿を思う浮かべるファンは多いはずだ。

『シュガー・ラッシュ:オンライン』では、世界初の長編カラーアニメーション映画『白雪姫』(1937)の主人公から、『モアナと伝説の海』(2016)の14人が「ディズニープリンセス&ヒロイン・オールスターズ」として登場する。この14人に同作のヴァネロペや最新作『ラーヤと龍の王国』(2021)のラーヤを加えると、20人近くのヒロインが存在することになる。

しかし意外なことに創業者であるウォルト・ディズニー自身が生み出したプリンセスは、前述の白雪姫にシンデレラ、『眠れる森の美女』(1959)のオーロラ姫の3人にすぎない。しかもオーロラ姫以降は、30年間もプリンセスが作品に登場しない時期が続いたのだ。

プリンセスがディズニー・アニメーションの象徴になったのは実は1980年代に入ってからだ。きっかけはマイケル・アイズナーがパラマウント映画からディズニーのCEOへと招かれ、彼の同僚だったジェフリー・カッツェンバーグが映画部門の責任者に就任したことにある。

新体制第一弾は、ディケンズの古典『オリヴァー・ツイスト』の登場人物を、現代のニューヨークに暮らす猫におきかえたミュージカル・アニメーション『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』(1988)だった(*1)。同作のスマッシュ・ヒットで自信を得たディズニーは、『人魚姫』をミュージカル・アニメーションとして映画化したのである(*2)。

こうして公開された『リトル・マーメイド』(1989)は、30年ぶりにディズニープリンセスをフィーチャーした作品となり、世界中で大ヒット。挿入曲「Under the Sea」はアカデミー歌曲賞を受賞し、作曲を手がけたアラン・メンケンはアカデミー作曲賞を受賞したのだった。

これ以降ディズニーは大ヒット作を連発。1990年代にファンの間で「ディズニールネッサンス」と呼ばれる黄金時代を築いた。このルネッサンスの立役者として前述のカッツェンバーグやメンケンの名が語られることが多い。しかし2人のほかに絶対忘れてならない人物がいる。メンケンとのコンビでルネッサンス前期の名曲群を作った作詞家ハワード・アシュマンである。当時から現在までディズニー作品にプロデューサーとして関わり続けているドン・ハーンが監督した『ハワード -ディズニー音楽に込めた物語-』は、ハワードの功績にスポットをあてたドキュメンタリー映画だ。

映画は、1950年にボルチモアに生まれたハワードが、児童劇団への入団をきっかけに演技に目覚め、大学を渡り歩いたのちにニューヨークへと上京。1977年にダウンタウンに小劇場「WPA」をオープンする姿に前半を費やしている。

ロフトを改造した「WPA」は座席わずか99席という少なさを逆手に取って、ブロードウェイでは上演できない実験作を上演していたそうだ。こうした中でハワード自身も、カート・ヴォネガット・ジュニアのSF小説を自ら脚色し、ミュージカル化した『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』を1979年に上演している。この作品でハワードが作った詞に曲を付けたのがアラン・メンケンだった。つまりハワードとアランはもともと演劇畑の人だったのである。

2人がディズニー入りするきっかけとなったのは、ロジャー・コーマンの低予算ホラー映画をロック・ミュージカル化した『リトルショップ・オブ・ホラーズ』だった。1982年にオフ・ブロードウェイで上演開始された同作には、イーグルスやジョニ・ミッチェルを世に送り出したロック界の大物デヴィッド・ゲフィンがプロデューサーとして関わり、世界中で上演されるヒット作となった。1986年にはフランク・オズ監督、リック・モラニス主演で映画化もされ、ハワードは作詞家兼脚本家としてクレジットされている。

こうした仕事に感銘を受けたデヴィッド・ゲフィンの友人ジェフリー・カッツェンバーグが、ディズニーに誘ったことがふたりのキャリアを切り開くことになったのだ。そして彼らが本格的に関わった作品が『リトル・マーメイド』だったわけだ(*3)。

プロデューサーとしてもクレジットされていることでわかるように、同作におけるハワードの働きは単なる作詞家の枠を飛び越えるクリエイティヴなものだった。何しろカニのセバスチャンがジャマイカ系っぽいのも、ヴィランのアースラが巨漢なのもオリジナル脚本には書かれていないのだから。こうしたアイデアを出したのはハワードだった。

彼が何よりも貢献したのは、物語におけるアリエルの位置づけだろう。彼女がバラード「Part of Your World」を歌うシーンは、当初カッツェンバーグにカットされそうだったらしい。しかしハワードは「主人公には夢や目標を語るテーマソングが必要だ」と説得して、この歌のシーンを守りきったという。

もし「Part of Your World」が歌われなかったら、アリエルはもっと受動的なキャラクターとして観客に受け取られていただろう。そして同作以降のプリンセスたちも夢や目標を語るテーマソングを歌わなかったはずだ。つまり現在のポジティヴなディズニープリンセスの原型を創りあげたのはハワードなのである。

だがそんな才人に対して運命は残酷だった。「Under the Sea」でアカデミー賞ベスト・オリジナル・ソング賞を獲得した直後にハワードはアランに密かに告白する。彼はHIVに冒され、余命わずかな体になっていたのである。

これ以降、映画は重苦しいトーンを帯びていく。体調が悪化したハワードは、ニメーターたちをロサンゼルスから自宅があったニューヨーク郊外へと呼び寄せて、次のプロジェクト『美女と野獣』、そして自ら企画を出した『アラジン』を同時並行で製作しようとする。

しかし病状の悪化はハワードから手の感覚、そして視力を奪っていく。『美女と野獣』でガストンが恐怖で人々を扇動するシーンで歌われる「The Mob Song(夜襲の歌)」は、こうした中で書き下ろされた曲だった。

1992年に行われた第64回アカデミー賞授賞式で、『美女と野獣』主題歌によって再びアランとオリジナル楽曲賞を獲得したとき、受賞スピーチを行ったのはハワードではなく、パートナーのビル・ローチだった。彼の言葉を紹介しよう。

「ハワードと私は家庭と人生を共にしました。彼のためにこの賞を受けられることはとても嬉しく、とても誇りに思いますが、これがエイズで亡くなった人に与えられる初めてのアカデミー賞であることはほろ苦いです。『美女と野獣』の制作において、ハワードは信じられないような困難に直面しましたが、常にベストを尽くしました。それを可能にしたのは、理解と愛とサポートでした。それは、エイズに直面しているすべての人が必要としているだけでなく、それに値するものです。ボルチモアにあるハワードのお墓には、「彼にはもう一つ歌いたい歌があった」という言葉が刻まれています。もうその歌を聞くことはできませんが、彼が残したものに皆さんが敬意を表してくれたことに、私は深く感謝しています……ありがとう」

もしハワード・アシュマンが今も生きていたとしてもまだ70歳。生き続けていたら、生まれていたかもしれない「歌」に想いを馳せると、ため息をつかざるを得ない。だが彼の精神は、現在もディズニー・アニメーションの中で生き続けているのだ。

Written by 長谷川町蔵


『ハワード -ディズニー音楽に込めた物語-』

Disney+(ディズニープラス)にて配信中




 

 

 

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