ヴィキングル・オラフソン最新インタビュー:新作『J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲』に込めた思いは?

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©Markus Jans

現在、ストリーミング総再生回数6億回越えを記録しているアイスランド出身のピアニスト、ヴィキングル・オラフソン。世界中の聴衆の想像力をかき立てる音楽で広く知られ、現在最も注目されるピアニストの一人だ。

その最新作は、“アイスランドのグレン・グールド”(ニューヨーク・タイムズ紙)と評されたオラフソンがついに挑んだJ.S.バッハの大曲「ゴルトベルク変奏曲」を収録。オラフソンが全曲作品を録音するのは今回が初めてだが、バロック鍵盤芸術の最高峰とされるJ.S.バッハの傑作に、独自の音楽的ヴィジョンで新たな命を吹き込んでいる。ヴィキングル・オラフソンは『J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲』にどんな思いを込めたのか?サウンド&ヴィジュアル・ライター、前島秀国さんによるインタビュー。


―今回リリースされた《ゴルトベルク変奏曲》のライナーノーツの中で、この曲の録音を25年ものあいだ夢見ていたとお書きになっていますが、初めてこの曲を聴いたり、自分で演奏したりしたのはいつでしょう?

初めて聴いたのは25年前、確か14歳だったと思いますが、グレン・グールドが1955年に録音した演奏です。グールドを聴いた時、初めて耳にするものがたくさん含まれている気がしました。

いわば、自分の脳を4つか5つの異なるチャンネルに分割し、しかもそれぞれのチャンネルが独自の個性を有しているような感じです。グールドはそれらのチャンネルからポリフォニックな網の目を生み出し、まるで舞台で上演される演劇のように、すべての登場人物が独自の個性で語りかけてくるようにピアノを演奏しています。しかも、その演奏はヴィルトゥオージティと喜びにあふれ、バロック音楽をこんなに大きく、楽しく、しかも速く演奏できるのかと驚きました。そして、これこそが現代のピアノ演奏法、いや未来の新しい演奏法だと感じました。

つまり、これまで聴いてきた演奏とグールドは、まったく違っていたのです。それ以来《ゴルトベルク変奏曲》を愛聴し続け、自宅で少し弾いたりもしましたが、全曲を演奏する決心がついたのは30歳になってからです。その後、5年間は頻繁に演奏し、数多くのリサイタルでさまざまなアプローチを試みました。

実のところ、この曲は2015年にドイツ・グラモフォンのチームがコンサートで私の演奏を聴いた最初の曲なんです。そこからドイツ・グラモフォン(以降、DG)と私の関係がスタートし、2017年に私のDGデビュー・アルバムとして《ゴルトベルク変奏曲》を録音する予定だったのですが、その後、計画を変更し、フィリップ・グラスの80歳の誕生日を記念する作品集をデビュー・アルバムとして録音することにしました。

それから5年間は《ゴルトベルク変奏曲》の演奏を中断し、バッハの違う側面に焦点を当てたアルバム、つまり音楽における“短編小説の巨匠”としてのバッハに焦点を当てた『バッハ・カレイドスコープ』を録音しました。

もちろん、その間も《ゴルトベルク変奏曲》のことは考えていましたが、なぜ2023年のこのタイミングで録音することにしたのか、説明するのは難しいです。いまがその時だと直感したとしか言いようがないですが、今年は私にとって特別な年なんです。協奏曲も弾きませんし、他の作品も演奏しません。全世界で開催する88回のコンサートで《ゴルトベルク変奏曲》だけを演奏します。その88回でさまざまな解釈を試みますし、ツアーのあいだにはライヴ録音もする予定ですが、もしかしたらツアー終了後にもういちどスタジオ録音するかもしれません。

―演奏や録音に使用される楽譜は、どのエディションですか?

初めて弾いたのはヘンレの原典版ですが、人生の異なる段階で4種類の楽譜を研究してきたので、いまでは楽譜を見る必要がありません。音符はすべて頭の中に入っていますし、自分の身体に染み込んでいます。それに、バッハはこの曲の演奏指示を楽譜にほとんど記していません。

《ゴルトベルク変奏曲》は信じがたいような構造で書かれていますが、演奏者がその構造にどう合わせるべきか、どう演奏すべきか、バッハは何も書いていないのです。念のため、コンサート・ツアー中も楽譜は持参しますが、ほとんど開くことはありません。

―ちなみに、ブゾーニはこの曲をピアノのレパートリーとして演奏しようとした最初の演奏家のひとりですが、彼の編曲譜はご覧になったことがありますか?

ええ。彼の編曲はとても美しいですが、私自身の音楽の捉え方とはかけ離れています。まるで別世界のようです。おそらく当時の聴衆は、《ゴルトベルク変奏曲》のような直接的でシンプルな表現を受け入れる用意が出来ていなかったのでしょう。だからブゾーニは、あたかも巨大なオルガンのすべてのストップを使用するようなイメージで、オクターブを重ねたり、6度や3度を重ねたりして編曲したのではないかと思います。

私自身、10代の頃はバッハをとてもロマンティックに弾いていましたし、エドヴィン・フィッシャーが録音した《平均律クラヴィーア曲集》も愛聴していました。ブゾーニのアイディアは今でも大好きですが、《ゴルトベルク変奏曲》という作品に何も手を加える必要がないというのが私自身の考えです。おそらくブゾーニは、現代のバッハの演奏スタイルに驚くと思います。バッハ本人は驚かないと思いますけどね。

©Markus Jans

―あなたがこの曲を演奏するにあたって、インスパイアされた録音などはありますか?

まず、ワンダ・ランドフスカのチェンバロ録音。まるでオルガンのように巨大で、これまでに聴いたこともないような力強い演奏から伝わってくる説得力が、とても気に入っています。

それから、20年前くらいにソニーからリリースされたマレイ・ペライアの録音も大好きです。とても美しい録音だと思いますし、聴くたびに幸せな気分になります。私の演奏はペライアとはまったく違いますが、彼の演奏は荘厳であると同時に、静かなところがとても美しいです。

それから、グリゴリー・ソコロフのライヴ録音も、ある意味で愛聴盤です。マイク・セッティングの問題なのか、録音状態はあまり良くないと感じるのですが、強い音楽的信念に従った演奏だと思います。

いまの私は、自分とはまったく異なるアプローチで演奏する録音を嫌うより、それらをありのままに受け入れて愛するようになっています。そもそも、たったひとつの演奏や録音に《ゴルトベルク変奏曲》のすべてを期待するのは無理というものです。たとえバッハが生きていたとしても、おそらく不可能でしょう。この作品には無限の可能性が含まれているので、「これが究極で唯一の解釈だ」などという意見は的外れだと思います。

―今回の《ゴルトベルク変奏曲》の録音に際して、この曲の数学的な仕掛けからテンポを割り出して演奏しようとしたら、まったく平板な解釈になってしまったそうですね。

最初は、バッハの音楽が持つ見事な構造と、自分の演奏解釈を一致させようと考えていました。ちょうどグールドが1981年の録音で試みたような、ある種のテンポの計算によって変奏どうしを関連付けるやり方ですね。

ところが、実験の初日、私の目論見は見事に外れました。というのは、あらかじめテンポを決めてしまうと、演奏する気がまったく起こらなくなってしまうのです。要するに、すべての変奏を同じひとつの惑星の中に押し込もうとしていたのだと気づきました。

いまでは、それぞれの変奏は独自の論理、独自の表現を持った個別の惑星だと考えています。個々の変奏は、アリアというひとつの太陽の周りを回っている惑星なのです。《ゴルトベルク変奏曲》は、惑星どうしを何らかの力で無理に繋げ止めている作品というより、むしろ太陽系のような作品と見るべきでしょう。太陽系の中の惑星がそれぞれ異なっているように、個々の変奏が大きく違っているから素晴らしいのです。しかもバッハは、常に同じハーモニーを使いながら、尽きることのない多様な表現を生み出しています。それこそが《ゴルトベルク変奏曲》の美しさだと思います。したがって、私たちは個々の変奏を同じ文脈に当てはめようとするのではなく、それぞれの変奏が持つ独自性を引き出していくべきなのです。

―《ゴルトベルク変奏曲》に限りませんが、バッハの鍵盤作品はモダン・ピアノのために書かれた音楽ではないので、演奏者がモダン・ピアノで弾く時、何らかの処理をしなければならないという問題が出てきます。

私はこの作品をバッハが未来に向けて書いた手紙、つまりバッハの時代だけでなく、すべての時代のために書かれた作品だと考えています。

バッハ自身は、革新と楽器の変化を愛していましたし、ある楽器のために書かれた音楽を別の楽器のために編曲するような、柔軟な態度の持ち主でした。もともとオーボエと管弦楽のために書かれた協奏曲を、鍵盤楽器のための独奏曲に書き換えたこともあるくらいです。したがって、《ゴルトベルク変奏曲》に込められたメッセージはチェンバロでも、オルガンでも、ピアノでも、あるいは弦楽三重奏でも表現することが可能です。

私が思うに、ダイナミクスやペダリングに関しては、モダン・ピアノのほうがバッハの時代のチェンバロよりもはるかに多くの選択肢に恵まれていると思います。それを積極的に活用することで、《ゴルトベルク変奏曲》という無限の可能性を秘めた作品を、それこそ無限に広げることができるのです。

こんなことを言うと、チェンバロ奏者たちは私を激しく非難するでしょうが、別に構いません。チェンバロ奏者たちは、自分たちの楽器のほうがずっと多様で可能性があると主張するでしょう。もちろん、彼らも正しいですし、唯一無二の答えというものは存在しません。しかしながら、いわゆるピリオド演奏の正統性については、少し考え直してみるべきです。

1740年代の最速の移動手段は馬で、しかも時速15~30キロしか出ませんでした。つまり、当時と現代では時代が違うのです。あらゆる演奏解釈は、演奏者が属するそれぞれの時代を反映しますので、当時の人々がどのように音楽を演奏し、どのように考えていたか、ピリオド演奏ならすべてわかると声高に主張するのは、いささか傲慢ではないかと思います。それに、ピリオド演奏の実践といっても、その時代(ピリオド)はバッハが亡くなった1750年で終わるのでしょうか?私はそう思いません。バッハの時代から現代に至るまでの演奏史に関する知識を学んだほうが、はるかに面白く有意義だと思います。

もちろんそこには、20世紀前半から2023年の現在まで、演奏家がどのようにこの作品を演奏してきたかという《ゴルトベルク変奏曲》の録音に関する知識も含まれます。私にとってピリオド演奏の実践とは、ワンダ・ランドフスカやラルフ・カークパトリックのチェンバロ録音を知り、グールドやペライアやアンドラーシュ・シフのピアノ録音を知ることなのです。ラフマニノフのバッハ演奏に対する理解も、そこに含まれます。

―今年3月、《ゴルトベルク変奏曲》をこよなく愛していたことでも知られる坂本龍一さんが亡くなりました。坂本さんとは、コラボの計画があったそうですね。

ええ。坂本さんの逝去は本当に残念です。坂本さんとは、フランク・ロイド・ライトが設計を手がけた「落水荘(フォーリング・ウォーター)」で一緒に時間を過ごし、音楽を作る計画がありました。

坂本さんという非常に素晴らしい音楽家、真のアーティストと呼ぶべき人を世界が失ったのは本当に悲しいことですし、個人的には、おそらく私の人生を変えることになったであろう坂本さんとのプロジェクトを実現できなかったことを、とても残念に思っています。でもありがたいことに、音楽だけに集中し、アーティストのエゴにあまりこだわらなかった坂本さんらしい素晴らしい曲が、たくさん残されています。

―では最後に、日本のリスナーと、12月の来日公演を楽しみにしている聴衆にメッセージを。

日本に戻ってくるのは本当に久しぶりですので、今から待ち遠しいばかりです。これまで何度も申し上げていることですが、日本は本当に大好きな国なんです。日本人も、日本文化も、日本の美学も愛しています。その日本にあるさまざまなホール、さまざまな音響空間のなかで、さまざまな聴衆のために《ゴルトベルク変奏曲》を演奏するのは、いわば私の夢の実現なんです。どの公演でも、自分の全力を出し切って演奏することをお約束します。

Written & Interviewed by 前島秀国(サウンド&ヴィジュアル・ライター)


■リリース情報

ヴィキングル・オラフソン『J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲』

2023年10月6日発売
iTunes / Apple Music / SpotifyAmazon Music


■公演情報

ゴルトベルク
バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV988(全曲)
出演:ヴィキングル・オラフソン(ピアノ)
【東 京】 12月 2日 サントリーホール
【札 幌】 12月 6日 札幌コンサートホール Kitara 小ホール
【浜 松】 12月 8日 アクトシティ浜松 中ホール
【名古屋】 12月10日 三井住友海上しらかわホール

究極のゴルトベルク
ヴィキングル・オラフソン+清水靖晃&サキソフォネッツ
【第1部】
バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV988(全曲)
出演:ヴィキングル・オラフソン(ピアノ)
【第2部】
バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV988(清水靖晃編曲 5サキソフォン 4コントラバス版)
清水靖晃&サキソフォネッツ
【東京】 12月3日 すみだトリフォニーホール
【大阪】 12月9日 住友生命いずみホール

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