エルガーのヴァイオリン協奏曲:名曲に隠された謎

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エドワード・エルガーの《ヴァイオリン協奏曲》に隠された、好奇心をそそられる音楽の謎を探る、それは今日に至るまで完全に解明されてはいない…。

1909年、ロイヤル・フィルハーモニック協会がエドワード・エルガーにヴァイオリン協奏曲を委嘱した時、作曲家はまさに絶頂期を迎えていた。彼はこの驚くべき作品で、世界の誰もがまだ見たことのない、もっとも長く、エモーショナルな面においても非常に複雑なヴァイオリン協奏曲を創ったのだ。そしてその曲の中に、今日に至るまで完全には解明されていない謎を埋め込んだのである。

エルガーは1899年に《エニグマ変奏曲》で名声を得ており、この作品では自分の友人たちの肖像を音楽で描いてみせた。彼はその10年後、《ヴァイオリン協奏曲》の自筆譜に、”Aqui está encerrada el alma de …..(ここに…..の魂が祀られている)”と、スペイン語で謎の文を書き込んだ。
はたしてこの作品には、誰の魂が祀られているのか?また、その理由は?

ニコラ・ベネディッティの演奏によるエルガー:《ヴァイオリン協奏曲》のお薦めの録音を聴きながら名曲に隠された音楽の謎に迫ってみよう。

エルガーのヴァイオリン協奏曲:名曲に隠された謎

エドワード・エルガーの《ヴァイオリン協奏曲》の秋色の景色を思わせる内向性を帯びた性質が、より一層、切望感と不確かさを増長している。これらの性質はある程度、典型的なエルガーらしさとも言えるが、ここではそのタイミングが重要だ。名ヴァイオリニスト、フリッツ・クライスラーが1910年11月10日に世界初演を行ったが、その頃にはヴィクトリア朝の勝利主義的な価値観が後退し、不穏な変化の風が感じられるようになり、それがやがては1914年の第一次世界大戦という世界的悲劇へとつながっていった時期だった。

エルガーの《ヴァイオリン協奏曲》は、極めて個人的な作品のように思われる。行進曲《威風堂々》や《交響曲第1番》のような意気揚々とした壮大さは影を潜め、冒頭から曖昧さが感じられる(例えば、協奏曲の調性が確立されるまでに時間を要する)。第2主題の生々しい柔らかさ、緩徐楽章の息の長い、ため息のようなフレーズ、そして何よりもフィナーレの驚くべき伴奏付きカデンツァは、第一次世界大戦後のエルガーの晩年の不安な時期に書かれた作品──3大室内楽作品や《チェロ協奏曲》の、心が引き裂かれるような深い造詣を暗示している。

エルガーが若い頃にヴァイオリンという楽器を愛奏していたのは、偶然ではない。父親はウスターで楽器店を営み、エルガーはその質素な生い立ちから、作曲家として認められようと努力する中、独学の職業音楽家として日々の糧を得るためにヴァイオリンが重要な役割を果たした。ようやく作曲家として認められるようになったのは、40歳を超えてからだった。


《ヴァイオリン協奏曲》の献辞に書かれた意味深な5つの点

この協奏曲の献辞”Aqui está encerrada el alma de …..(ここに…..の魂が祀られている)”に打たれた5つの点(5点リーダー)の伏せ字は、おそらく作品そのものと同じぐらい人々の注目を集めてきたが、それにまつわる様々な興味深い物語は(残念なことに)、人の気をそらすための、おとりのようなものであることが分かってきた。

5つの点に当てはまる、証拠も揃った最も有力な候補者と思われるのが、エルガーが"ウィンドフラワー"の愛称で呼んだ、彼の妻と同じ「アリス」という名を持つ友人の女性だ。妻のアリス・エルガーは、夫より10歳近く年長で、夫が若い女性と交流したり惚れ込んだりしても動揺した様子はなく、むしろ彼の創造力を保つために有益であると認識し、それらを奨励したという証拠も残っている。"ウィンドフラワー"は、画家ジョン・エヴァレット・ミレイの娘で国会議員の妻、アリス・ステュアート=ワートリーであった。

エドワード・エルガーは、《ヴァイオリン協奏曲》の作曲過程で苦悩することもあり、その間アリス・ステュアート=ワートリーは彼の秘密の聞き役である親友として寄り添い、エネルギーが枯渇した際には彼を励ましたという。エルガーは彼女宛ての手紙の中で、穏やかに問いかけるような第1楽章の第2主題は、"ウィンドフラワー"のために作ったものだが、これらの主題を一生懸命作っても、彼女がここに来てそれを認めてくれるまでははすべてが止まったままなのだと打ち明けている。

その後、彼はアリスに言った。「最終楽章に愕然とし、先に進めない状態であること以外、何のニュースもない。どうも大きくなりすぎていて、頭を抱えている。ウィリアム・リード氏(ロンドン交響楽団のコンサートマスター)が次の木曜日に通しで演奏するためにやって来て、第1楽章のボウイングをチェックし、フィナーレを審査して批判するかもしれない……。私はひたすら仕事を続け、依頼者のためにより良いものを作るだけだ」。


《エニグマ変奏曲》に一つの手がかりが存在する。

しかし、「Alice アリス」だけが5つの文字からなる名前ではない……。《エニグマ変奏曲》にも、もう一人の候補の手がかりが存在する。

この曲ではそれぞれの変奏が、エドワード・エルガーの妻や男女の友人たちの音楽的な肖像になっており、グランド・フィナーレの第14変奏を飾るのはエルガー自身だ。各曲のタイトルは、架空のニックネームで、まるで言葉の連想ゲームのようである。神話の中の狩人「ニムロッド」は、ノヴェロ出版のエルガーの担当編集者のアウグスト・イエーガーだ。ドイツ語でイェーガーは狩人のことであり、ニムロッドは狩人だ、という具合である。

しかし最後から2番目の変奏曲は、不吉な13番目(そう、エルガーは迷信深かった)であり、タイトルには3つの点がつけられている。この柔和な曲では、サイドドラム(スネアドラム)が蒸気船のエンジン音を模倣し、クラリネットがメンデルスゾーンの《静かな海と楽しき航海》を引用する。この変奏曲は今ではエルガーの初恋の相手であり、数ヵ月間婚約していた若いヴァイオリニストのヘレン・ウィーヴァ―への賛辞であると考えられている。

しかし彼女は母親の死後に、彼と別れてニュージーランドへ移住してしまった。長い船旅を伴う移動だった。この移住はおそらく彼女が母親と同じ結核を患い、健康上の理由から決意したものだと思われる。エルガーは取り残され、心を痛めた。そして協奏曲についても、5文字の名前を持つヴァイオリニスト、ヘレンの魂が祀られているとも考えられ、かなりの説得力があるといえる。


より複雑な解決策の可能性

さらにもっと複雑な謎解きの方法も存在するかもしれない。エドワード・エルガーが《ヴァイオリン協奏曲》を書き上げた頃には、《エニグマ変奏曲》に登場した友人たちはすでにこの世を去っていた。問題のスペイン語による献辞は、アラン=ルネ・ルサージュの小説『ジル・プラース』からの引用で、ある学生が詩人の墓の墓碑名を読む場面から取られている。

エルガーの伝記作家ジェロルド・ノースロップ・ムーアは、協奏曲の各楽章の背景には、生気に満ちたインスピレーションと幽霊の両方が存在すると述べている。第1楽章にはアリス・ステュアート=ワートリーとヘレン・ウィーヴァ―、第2楽章にはエルガーの妻と母親、そしてフィナーレには、ビリー・リードと亡きイエーガー(「ニムロッド」)とが。

さらに、エルガーは難解なパズル(謎かけ)を好み、その宣伝効果を心得ていた。《ヴァイオリン協奏曲》の献辞にこれを挿入した時、どれほど大衆の興味を引くかを充分に分かっていたのだ。エルガーの伝記作家マイケル・ケネディの研究によると、献辞のもともとの引用文は、「El alma del」となっており、一つ余計な「l」は、特定の女性の受け手をほのめかしている。しかし、どうやらその後、協奏曲の献辞では、作曲家が謎を深めるためにあえてdel を de に変更したというのだ。エルガーは友人に「最後のde では性別がはっきりしない」と書いている──「さあ、謎を解いてみて」。

それ以来、私たちはこの謎についての推測を続けている。そしてヴァイオリン協奏曲の中でも最も憂いに満ちたこの作品に込められた謎が、実は作曲者自身の魂であるという思いを、誰も拭い去ることはできない──E – L – G – A – R…。

お薦めの録音

エルガーの《ヴァイオリン協奏曲》のお薦めの録音は、ニコラ・ベネデッティ&ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、ウラディーミル・ユロフスキの指揮によるものだ。

『タイムズ』紙のジェフ・ブラウンは「彼女は壮大な作品に挑戦し、魔法をかけてみせた」と絶賛し、『ガーディアン』紙の音楽批評家エリカ・ジールは、「ベネデッティの音色と決断力はまさにこの作品のためにあり、同アルバムに収録の小品も、さりげなくエッジを効かせたものとなっている」と評している。

Written By Jessica Duchen



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