ベートーヴェンの"不滅の恋人"とは誰だったのか?~送られることのなかったラヴレター

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ベートーヴェンの死後、1827年に彼の"不滅の恋人"に捧げられた、送られた形跡のないラヴレターが発見された──その相手の彼女とはいったい誰だったのだろう?

1827年3月26日、ベートーヴェンが亡くなった後、いつしか彼の秘書を務めるようになっていたアントン・シンドラーと親しい友人の二人が、ベートーヴェンが甥に遺贈する有価証券を探すため、作曲家の最後の居室をくまなく探索した。その結果、期待した以上のものがみつかった。小さな引き出しの中から、ベートーヴェンの耳が不自由となってからの壮絶な戦いについて記した1802年の「ハイリゲンシュタットの遺書」と、彼が"不滅の恋人"と呼ぶ女性に宛てた、送られることのなかったラヴレターがみつかったのだ。

ベートーヴェンのピアノ・ソナタをApple Music とSpotifyで聴いて、スクロールし、ベートーヴェンの不滅の恋人のミステリーを探ってみよう。

ベートーヴェンの"不滅の恋人"とは誰だったのか?

"不滅の恋人"に宛てたラヴレターの中で、彼はこう書いている。

私の天使、私のすべて、私自身よ──
今日はほんの少しの言葉だけ、それも鉛筆で(貴方の鉛筆で)…

 私たちの愛は、犠牲を払い、お互いに総ては求めないということでしか成立しないのだろうか? 貴方が完全に私のものではなく、私が完全に貴方のものではない事実を、貴方は変えられるのだろうか? おお、神よ、自然の美しさに目をやり、この避けられないことに対して、気持ちを鎮めて整えてください。愛がすべてを要求するのは当然のことであり、

それ故、私は貴方を、貴方は私を求めるのです…。

…床にいるうちから、私の"不滅の恋人"である貴方へと気がはやり、時には喜び、またときには悲しみに暮れながら、運命が私たちに微笑んでくれるのか見極めるのを待っている。
私は貴方と完全に一緒に生きるか、あるいは完全に別れて生きるかしかできない。そう、私は遠くで放浪する決心をした。貴方の腕の中に飛び込み、そこが完全に我が家と思え、貴方に抱かれた魂を、精霊の王国に送ることができるまで──悲しいけれど、そうしなければならない。貴方に対する私の忠実さをお分かりだろうから、貴方はすぐに落ち着きを取り戻すだろう。ほかの如何なるものも、決して私の心を占めることはない…決して!
おお、神よ、これほど愛しているのになぜ離れなければならないのか?…

 …冷静に、穏やかに自分たちの存在について熟慮してこそ、共に生きるという目的を果たせる。…辛抱強く…私を愛して…・今日…明日と。私の愛する貴方…私のすべて…さようなら

…ずっと愛し続けてほしい…貴方の恋人の忠実な心を決して疑わないで。
L。

 永遠に貴方のもの。
永遠に私のもの。
永遠に私たちの。

  ベートーヴェンは、"不滅の恋人"の正体を上手に隠していたため、音楽学者たちは約200年もの時間を費やし彼女が誰であるかを突き止めようとしているが、今日もなお、その議論が続いている。

この手紙には、もう一つ重要なことが欠けていた。それは日付についてである。ベートーヴェンは手紙に「7月6日」とだけ記し、年号は入れていなかったのだ。そこで、曜日と日付を照らし合わせて年号の候補を絞り込んで識別し、最終的に1812年に当たりをつけることで落ち着いた。そこからベートーヴェンの不滅の恋人の候補が何人か浮かび上がってきたのだ。

アントーニエ・ブレンターノ、旧姓ビルケンシュトック

アント―ニエ・ブレンターノ、旧姓ビルケンシュトックは、ウィーンで生まれ、フランクフルトの実業家フランツ・ブレンターノと結婚して5人の子供を儲けた。一家は彼女の年老いた父親の最期の看病と、素晴らしい美術品のコレクションを中心とした遺品整理のためにウィーンに戻った。ウィーン滞在中の1810年にベートーヴェンと知り合い、フランツはすぐに彼の友人兼パトロンとなる。アントーニエの悲しみは深く、慢性的な鬱状態に陥り、ベートーヴェンはそんな彼女を励まそうと何時間も彼女のためだけにピアノを弾くこともあった。

アメリカの音楽学者メイナード・ソロモンによるベートーヴェンの伝記は、不滅の恋人のアントーニエ・ブレンターノ説にかなりの信ぴょう性をもたらした。候補と考えられた女性たちの中で、彼女が唯一、該当する夜にボヘミアの関連地域にいたと証明されたのだ。さらに、それから8カ月後の1813年3月8日に息子を出産したが、その子は後に精神的、身体的な病を発症し、障害を負っていた。研究者のスーザン・ランドは、ベートーヴェンが父親になれないこの子供との別離に苦悩し、彼のために《ミサ・ソレムニス》を作曲したのではないかという説を展開している。

しかし、アントーニエは夫と子供と共におり、ベートーヴェンが、その手紙が書かれた直後の8月にボヘミアのカールスバートとフランツェンスバートの温泉地にブレンターノ家と一緒に滞在していることから、伝記作家のジャン・スワッフォードは、「ベートーヴェンがアントーニエの家庭を壊して、5人の子供を引き取るというような仕打ちを、敬愛するフランツにすると考えるのは難しい」と述べている。ベートーヴェンは、アントーニエに《ディアベッリ変奏曲集》作品120を含むいくつかの重要な作品を献呈しているが、これはブレンターノ家が彼の友人であり、パトロンであったという事実以上には何も教えてはくれない。

ベッティーナ・ブレンターノ

ベッティーナ・ブレンターノはフランツの早熟な異母妹で、1810年、20歳の時にベートーヴェンと出会った。優れた著述家であり、異母兄のクレメンスや詩人アヒム・フォン・アルニムとともに、民謡集『少年の不思議な角笛』の制作に取り組んだ。活気に満ち、有り余るほどの想像力に富んだ性格で、ベートーヴェンともいちゃつくが、彼もまんざらではなく、他の女性とのやりとりではほとんど使わなかった親しみをこめた”du” で彼女を呼んだ。しかし、彼女はすぐにフォン・アルニムと結婚して1812年7月には幸せな家庭に落ち着き、最初の子を出産した。

"ジュリエッタ"の愛称で親しまれた伯爵夫人、ジュリー・グイッチャルディ

"ジュリエッタ"の愛称をもつジュリー・グイッチャルディ伯爵夫人は1800年に両親とともにトリエステからウィーンに来て、ベートーヴェンの弟子となった。ベートーヴェンも彼女も一時はお互いに夢中になったようだが、彼女は当然、貴族階級の者と結婚せざるを得ない立場だった。1840年のアントン・シンドラーのベートーヴェンの伝記では、"不滅の恋人″宛ての手紙は、彼女のために書かれたものだとされている。

ベートーヴェンがジュリーに捧げたピアノ・ソナタ第14番《月光》(作品27の2)は、おそらく感情的なつながりよりも、彼女の家族が所有していたウィーンでも最高品質のピアノで、この曲のいくつかの特別な効果を試したかったからだろうと、故リタ・ステブリン博士が興味深い学術論文の中で明らかにしている。一方、ベートーヴェンの「会話帳」には、彼女が結婚後に一度だけ、ベートーヴェンに抱きついて言い寄ったという驚くべき逸話が残されている。高潔な作曲家は恐れをなして誘いを断った。このことからも、彼女を候補から除外するのが妥当であろう。

テレーゼ・ブルンスヴィック・フォン・コロンパ伯爵令嬢

伯爵令嬢テレーゼ・ブルンスヴィック・フォン・コロンパは、テレーゼ・フォン・ブルンスヴィックとして知られる。ジュリー・グイッチャルディはハンガリーのブルンスヴィック姉妹の従妹にあたり、ベートーヴェンと最初に出会ったのがこの姉妹だった。1799年、母親が年長の二人の娘をベートーヴェンの元で数週間勉強させるためにハンガリーからウィーンに赴いたのがきっかけだった。

テレーゼは優れたピアニストで、大変知的で5カ国語に堪能だった。父親を亡くした後、彼女は決して結婚しないと誓った。テレーゼの背骨には少しの湾曲がみられた。40代の時に教職に就き、やがてハンガリーの幼稚園制度を設立した。そんな彼女こそが、精神性の高い作曲家にふさわしい、完璧なパートナーだったのではないかと考える者もいた。二人が長年にわたり、親しい友人関係にあったことは確かであり、ベートーヴェンはテレーゼにピアノ・ソナタ嬰ヘ長調作品78を捧げている。しかし、彼の残した"不滅の恋人"への手紙は、特に精神的な内容ではなく、予期せぬ愛の肉体的な成就に困惑した男による親密な文章だったのだ。

テレーゼのかつての教え子のマリー・フルソツキーは、"マリアム・テンガー"として年配のテレーゼにベートーヴェンとの秘め事があったのではないかと仮定する回想録を記した。しかし、テレーゼに隠し事などあっただろうか? また、彼女の兄で、ベートーヴェンの腹心の友であったフランツにも。シンドラーがジュリー・グイッチャルディをベートーヴェンの"不滅の恋人"と特定したのは、フランツからの情報で始まった可能性もある。なぜなら、もう一人別のブルンスヴィックが存在したからだ…。

伯爵夫人ヨゼフィーネ・ブルンスヴィック・フォン・コロンパ

テレーゼとフランツの妹であるヨゼフィーネ・ブルンスヴィック・フォン・コロンパ伯爵夫人は、1799年、20歳の時にウィーンで行われた最初のピアノ・レッスンでベートーヴェンの目に留まった。だがその数日後に、ヨーゼフ・ダイム伯爵と出会い、数週間のうちに彼と結婚してしまう。ダイムは蝋人形作家で、自身で博物館も開設し、モーツァルトのデスマスクも制作した人物だ。年齢はヨゼフィーネの2倍以上年長だった。二人は5年間で4人の子供を儲けた後、ダイムが肺炎で亡くなってしまう。夫の亡き後、ヨゼフィーネは家族の世話や博物館の運営、そして予想外の借金に追われ、神経衰弱に陥った。

ベートーヴェンはといえば、1804年、未亡人となったヨゼフィーネに猛烈な勢いで求愛し始めた。1957年には彼が彼女に宛てて書いた13通ものラヴレターが初めて出版され、事実関係が明るみに出た。それらの手紙の熱烈な言葉は、"不滅の恋人"宛ての手紙と似ていなくはない(例えば、彼はしばしば彼女のことを「私の天使」と呼んでいる)。虚弱なヨゼフィーネは、この激しさに対応するのに苦悩し、やがて彼を自分の人生から切り離した。彼女がもし平民と結婚すれば、貴族として生まれた子供たちの親権を失うことになってしまうからでもあった。

1810年、ヨゼフィーネは息子たちの家庭教師、クリストフ・フォン・シュタッケルベルク男爵と結婚する。彼が彼女を誘惑し、婚外子を妊娠してしまったからだ。しかし二人の相性は悪く、1812年に危機が訪れた。ナポレオンに敗れたオーストリアの通貨の価値が以前の5分の1にまで下がり、借金を制御できなくなってしまったのだ。ベートーヴェンのパトロンの何人かの貴族たちも身を滅ぼした。結婚生活が危ぶまれたヨゼフィーネは、プラハに行って皇帝を含む有力者に相談する意図を表明した。一方、ベートーヴェンも医師の勧めでテプリッツ温泉に向かう途中に、プラハに立ち寄り、彼の財政支援者たちの何人かに、状況を探りに行った。

ヨゼフィーネがプラハにいたという決定的な証拠はなく、彼女とベートーヴェンがどこかで、どのようにしてばったり出くわしたのかも分かっていないが、状況証拠は強い。彼女はプラハに行くつもりでいたし、彼は予期せぬ事態のためにその夜の会合をキャンセルしている。ヨゼフィーネには、既婚者であるという自覚がほとんどなかった。その9カ月後の1813年4月9日には、女児を出産し、ミノナと名付けた(ベートーヴェンが別離を苦しんだ子供は実在したということかもしれない)。

ミノナ・フォン・シュタッケルベルクは、ヨゼフィーネの子供たちの中で80歳まで生きた唯一の子だ。彼女の写真からは、ベートーヴェンによく似ていることが見てとれる。ミノナは生涯結婚せず、貴族の館に住み込みで家族の世話をするコンパニオンや、音楽教師として身を立てた。最近エストニアの作曲家、ユーリ・レインヴェーレがミノナの人生についてのオペラを書いており、2020年1月にレーゲンスブルクで初演されている。

ヨゼフィーネとベートーヴェンにとっての耐えがたき状況

ヨゼフィーネとベートーヴェンにとって、そのような状況はとても耐えられるものではなかった。ベートーヴェンはずっと彼女と一緒にいるか、いないかのどちらかしかないと思っていたが、シュタッケルベルクは、基本的にはエストニアに戻っていたにも関わらず、ヨゼフィーネを放そうとしなかったのだ。ミノナの生後18カ月の頃、彼はウィーンの家に警察を連れてきて、強制的に二人の娘とミノナを拉致してしまった。

それから1年の後、ヨゼフィーネは息子たちのために雇った別の家庭教師と関係を持ってしまう。この時も妊娠という結果となり、その家庭教師が娘を育てるために引き取ったが、子供は2歳で死亡した。それでもヨゼフィーネはベートーヴェンと多少の接触は維持していたようで、1816年にバーデンで会っていたらしい。ベートーヴェンが養子縁組を願って係争していた甥が、バーデンで謎の女性と腕を組んで歩く叔父の姿を目撃していた。おそらくテレーゼが、彼らの仲立ちをしたのではないかと思われる。

ヨゼフィーネは1821年に42歳で衰弱死した。彼女についての話は長い間、複雑な理由により知られてこなかった。彼女の家族がスキャンダルを避けたかったのは当然のことだろう。しかし、今日では、彼女こそが作曲家の"不滅の恋人"だったのではないかという説が、ボンのベートーヴェンハウスにも受け入れられている。

ヨゼフィーネの名のリズムを反映した、反復するモティーフ

このようなことは果たして、ベートーヴェンの音楽に影響を与えたのだろうか? その可能性はある、と音楽学者マリー=エリザベート・テレンバッハは、約40年前に出版した『Beethoven And His Immortal Beloved(ベートーヴェンとその不滅の恋人)』の中で、ベートーヴェンの音楽で繰り返されるモティーフが、ヨゼフィーネの名前のリズムを反映したものであると特定した。そのモティーフは、歌曲《想い(Andenken)》、《アンダンテ・ファヴォリ》(ベートーヴェンがヨゼフィーネに「あなたの、あなたのアンダンテ」として贈った)から、ピアノ・ソナタ変ホ長調作品31の3、弦楽四重奏曲ヘ短調作品95、歌曲集《遥かなる恋人に寄す》と3つの後期ピアノ・ソナタ作品109、110と111他に様々な形で登場し、そのリストはまだまだ続いていく。

このモティーフは、彼から彼女へ向けた合図として始まり、ベートーヴェンが最愛の人を不滅の存在とするまで発展させたものなのだろうか? 結局のところ、私たちに出来るのは音楽に耳を傾けて、思いを巡らすことだけだ。

2020年10月に出版されたジェシカ・ドゥチェンの小説『Immortal (不滅)』は、ベートーヴェンの"不滅の恋人"の手紙に秘められた壮大なラヴ・ストーリーを明らかにしておあり、『BBCミュージック・マガジン』は、「美しく精巧に創られ、丹念にリサーチされた『Immortal』では、歴史的な厳密さと自由な想像力が見事に融合した勝利のブレンドを味わえる」と記している。

おすすめの録音

ヴィルヘルム・ケンプの「ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ全集」[8CD+Blu-ray Audio]には、1960年の伝説のステレオ録音が、リマスターされ収録されている。

『グラモフォン』誌は、「ヴィルヘルム・ケンプは現代における最も偉大な音楽で人を説得してくれる存在で、一貫して彼と私たちが一緒に音楽を新たに発見しているかのような錯覚を与えてくれる」と評している。

Written By Jessica Duchen


■リリース情報

ヴィルヘルム・ケンプ『ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ全集』
2019年9月13日発売
CD



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