ムーディー・ブルース「Nights In White Satin (邦題: サテンの夜)」のゆっくりとしたチャートアクション

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ムーディー・ブルースの不朽のキャリアの中で、「Nights In White Satin(邦題: サテンの夜)」は見事な名曲だが、発売された当時は今では考えられないほど、ゆっくりで不安定なスタートを切っていた。ジャスティン・ヘイワードが作曲したシングル「Nights In White Satin」、そしてその起源となったアルバムでありムーディー・ブルースのキャリア転換となった『Days of Future Passed』は両方とも1967年11月10日にリリースされた。発売されてから最初の数週間、彼らのUKチャート上での存在感は完全にゼロだった。

しかし徐々に、彼らのポップとオーケストラの要素の新しい融合は注目を集め始めた。人気の曲には当時あまり使われることのなかったメロトロンを使ったマイク・ピンダーのキーボード・エフェクトとレイ・トーマスのフルートといった魅力が加わり、シングルとアルバムの両方が一般層とメディア双方の心を捉え始めたのだった。

シングル「Nights In White Satin」は恐らく不安定なスタートを切ったかもしれない。しかしイギリスでも世界的にも、繰り返し多角的に成功を収めるシングルは他にはほとんどなかった。ラジオのサポートを受けた後、デッカ傘下のデラム・レーベルからリリースされたこのシングルは、リリースから7週間後、遂に1968年の第1週目に全英トップ50入りを果たした。それはジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジが新たに加わり、一新したムーディー・ブルースにとって、新しいラインナップになってからの初のチャート登場だった。さらにやっとのことで1965年に「Everyday」が44位へと登場して以来、2年以上ぶりにグループの名前がUKシングル・チャートに入った瞬間であった。

1968年の年明けの全英シングル・チャートの座はザ・ビートルズの「Hello Goodbye」が守っており、「Nights In White Satin」はトップ50の最下位によじ登っただけだった。しかしその後、35位まで上昇。2月20日のチャート上で19位で止まる前、数週間にわたって、決して目を見張るほどではない進歩を遂げた。この曲は他の国だとはるかに良い結果を他の場所で出しており、オランダでは1位を獲得、オーストラリア、ベルギー、スイスではトップ10入りを果たし、ドイツでもトップ20入りを果たした。

シングル「Nights In White Satin」のチャート上の成功はアルバム『Days of Future Passed』の幕を開けるには十分だった。1968年1月後半には初めてベストセラー・チャートに登場、2月、3月と最高27位まで上昇した。それから数年間にわたって、アルバムは1973年まで時々再浮上した。その頃には、メジャーなアルバムとツアーを精力的に行うバンドとなったムーディー・ブルースと共に「Nights In White Satin」は遅ればせながらメガ・ヒットとなり、Billboard誌の全米チャートでは第2位に、ライバルのキャッシュ・ボックス・カウントダウンでは第1位に輝いた。

その太平洋の向こうでの成功のより、イギリスでも再びチャートに浮上し、2度目にしてより大きなヒットとなり、最初の「Night In White Satin」再販を促した。曲は72年後半と73年の初頭、トップ10を3週間守り抜き、1979年には第9位に浮上。新たに12週間で再び急上昇し、トップ20入りと最高9位の座を別の5週間、守り抜いた。

この歴史的なレコーディングは、2010年オーディション番組、Xファクター・シリーズの最終勝者となったマット・カードルによるパフォーマンスにより、さらにもう一度のチャート入りを達成した。ジャスティン・ヘイワードに刺激を与えたサテンのシーツは、不朽の素材で作られたものだった。

Written by Paul Sexton



ムーディー・ブルース『Days Of Future Passed』

   

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