サブライム『Sublime』解説:栄光と悲劇が交錯した、スカ・パンク屈指の名盤
残念ながら、サブライム(Sublime)が本来どこまで到達できたのかを知る術はない。
喜びと無秩序、そしていたずら心に満ちた彼らの波乱万丈の歩みは、今やロック史に刻まれた伝説となっている。しかし、フロントマンのブラッドリー・ノウェル(Bradley Nowell)が、セルフタイトルの3作目『Sublime』の発売をわずか2か月後に控えた時期に急逝したことで、バンドはスカ・パンク史に残る屈指の名盤がもたらすはずだった成功を、自ら享受することはできなかった。
ブラッドリー・ノウェルは、わずか28歳でこの世を去り、8年間にわたる地道な活動はあまりにも突然終わりを迎えた。その歩みは、ブラッドリーの幼なじみであるフロイド・“バド”・ゴー(ドラム)とエリック・ウィルソン(ベース)が、カリフォルニア州ロングビーチの高校時代に結成したバンド、The Juice Brosから始まる。この初期バンドには、後にサブライムのマネージャーとなるマイケル・ハッポルトも参加しており、サブライム誕生へとつながる重要な原点となった
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音楽的な視野を広げて
この頃まで、ロングビーチの若者たちは純粋なパンク・ファンだった。しかし、ギタリスト兼ヴォーカリストのブラッドリー・ノウェルと出会ったことで、その音楽的な世界は大きく広がることになる。
幅広い音楽を愛するブラッドリーは、レゲエ、スカ、ヒップホップなどを仲間たちに紹介し、それらの要素は、1988年夏に初めてステージに立った新バンド、サブライムの音楽性に早くも色濃く刻み込まれていた。同時代のカリフォルニア勢であるレッド・ホット・チリ・ペッパーズや、結成間もないノー・ダウトと同様に、サブライムは、自分たちが愛するさまざまな音楽ジャンルを掛け合わせることで、独自のサウンドを築き上げようとした。
もっとも、その荒々しいスカ・パンクは当初ごく限られた支持しか得られず、ファン層も主に南カリフォルニアにとどまっていた。状況が変わったのは、1992年にブラッドリー自身が立ち上げたSkunk Recordsからデビュー・アルバム『40oz. to Freedom』を発表してからだった。この作品をきっかけに、サブライムの人気は徐々に南カリフォルニアの外へと広がり始める。
口コミにより予想外のヒットを記録した『40oz To Freedom』は、しばらくの間はアンダーグラウンドで熱狂的な支持を集める作品にとどまっていた。しかし、ロサンゼルスの人気ロック局KROQがアルバムの代表曲「Date Rape」を取り上げたことで状況は一変する。この楽曲への反響をきっかけに、サブライムはMCAレコード傘下のGasoline Alleyと契約を結び、1994年には2作目のフル・アルバム『Robbin’ the Hood』を発表した。
ローファイな録音と実験的な構成を特徴とするこのアルバムは、商業的にはチャート入りを果たせなかったものの、バンドは精力的なツアー活動を続け、そのライヴ・パフォーマンスによって評判は着実に広がっていった。こうしてサブライムは、レコードの売り上げ以上にライヴ・バンドとしての存在感を高めながら、スカ、パンク、レゲエ、ヒップホップを融合させた唯一無二のサウンドで、全米のオルタナティブ・シーンに確かな足跡を刻んでいく。
どのジャンルにも属さない、彼らだけのサウンド
1996年初頭、サブライムの3人は、テキサス州オースティンにあるウィリー・ネルソンのスタジオに入り、デヴィッド・ケインとバットホール・サーファーズのギタリスト、ポール・リアリーをプロデューサーに迎え、セルフタイトルとなる3作目のスタジオ・アルバム『Sublime』のレコーディングを開始した。
当時のサブライムらしく、酒やドラッグ、パーティー三昧の生活はスタジオにも持ち込まれ、レコーディング・セッションは混沌とした雰囲気に包まれていた。まさに両端からロウソクを燃やすような危うい日々だったが、その中から生まれたアルバムは、大胆不敵なアプローチと破天荒なエネルギーに満ちあふれた作品となった。
「才能ある者は借り、天才は盗む」という言葉を体現するかのように、サブライムは優れた既存の音楽を取り込みながら、それを完全に自分たちだけのものへと作り変える卓越したセンスを発揮していった。
「What I Got」にはザ・ビートルズの「Lady Madonna」を思わせるメロディが、「Doin’ Time」にはジョージ・ガーシュウィンの名曲「Summertime」の旋律が色濃く反映されているが、それでも両曲は単なる引用や模倣に終わることなく、サブライムならではの自由奔放な個性によって、まったく新しい楽曲へと昇華されている。
さらに、「Garden Grove」「Pawn Shop」「Wrong Way」では、ビートやサンプリングを巧みに取り入れながら、パンク、スカ、そして重厚なジャマイカン・ダブを自在に融合しており、その手法は、ビースティ・ボーイズの名盤『Paul’s Boutique』を思わせるほど高度で創造的なコラージュ感覚を備えていた。
アルバム発売の2ヶ月前に起こった悲劇
残念ながら、メンバー全員が自分たちが特別な作品を完成させたことを確信していたにもかかわらず、その成果を自ら味わう機会は訪れなかった。
アルバムは完成し、1996年7月30日の発売が決定。サブライムは再びツアーへと出発した。しかし、1996年5月24日、カリフォルニア州ペタルーマでの公演を終えた後、ブラッドリー・ノウェルは薬物の過剰摂取により、28歳というあまりにも若い年齢で急逝してしまう。突然の悲報に深く打ちのめされたバドとエリックは、親友を失った悲しみの中でサブライムの活動終了を決断した。
その結果、アルバムを発売するMCAは、プロモーションを行うべきバンドそのものが存在しないという異例の状況に直面することになる。それでも、『Sublime』はアルバム自体が独り歩きを始めるかのように支持を集めていった。
Rolling Stone誌は本作について、「大きな可能性を秘め、その実現を信じる自信に満ちたバンドの作品だ――それが実現する未来さえあったなら」と評し、Spin誌もまた、「ようやく自らの才能を完全に開花させようとしていたアーティストによる、自信に満ちた作品だ」と絶賛した。
両誌が共通して指摘したのは、このアルバムが幅広いリスナーに訴えかける普遍的な魅力を備えているという点だった。そしてその評価は、すぐに商業的成功という形で証明される。
リード・シングル「What I Got」がBillboardのModern Rockチャートで首位に立つと、『Sublime』は全米アルバム・チャート(Billboard 200)で最高13位まで上昇し、その後も売れ続けた。最終的には1999年末までに、アメリカで500万枚(クインタプル・プラチナ)という驚異的なセールスを記録した。
制作の背景にはあまりにも悲劇的な出来事があったにもかかわらず、『Sublime』の評価は年月とともに高まり続けている。現在では1990年代オルタナティブ・ロックを代表する金字塔の一枚として広く認められ、長年にわたって愛されるカタログ作品となり、これまで何度も再発されてきた。
近年では、サブライムの熱心なファンとして知られるラナ・デル・レイが「Doin’ Time」をカヴァーし、大きな話題を呼んだ。彼女はサブライムが今なお愛され続ける理由を端的にこう語っている。
「サブライムの曲を1曲も聴かない日なんてない。彼らは南カリフォルニアのヴァイブそのものを体現し、完全に自分たちだけのジャンル、自分たちだけのサウンドを作り上げた」
Written By Tim Peacock
サブライム『Sublime』
1996年7月30日発売
CD / iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music
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