ロックン・ロールについて歌われた楽曲ベスト12(視聴リンク付)

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フロアを揺らすスタジアム・アンセムから、失われた過去への賛歌、新しい人生の為のロードマップまで、ここでロックン・ロールについて歌われた12曲を紹介しよう。

1959年、バディ・ホリーが事故死したと共に、ロックン・ロールも死んだと人々は嘆き悲しんだ。長年に渡って、パンクとグランジは、ロックは死んだということを内側から覆そうとしてきた。今日では、ロックは死んだのか、死にかけているのか、救済を必要としているのか、それとも復活しようとしているのか、批評家達は判断しかねている。しかしながら、それをどのように受け止めていようと、ここに登場するロックン・ロールについて歌われた12曲を挙げた瞬間、ロック・ミュージックのスピリットは今も生きていると感じるだろう。


12: ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツ「(We’re Gonna) Rock Around The Clock」(1954)

全米ビルボード・チャートでのロックン・ロール史上初のNo.1シングルは、ロックン・ロールを讃えただけでなく、世界に紹介することになった。ロックン・ロールという用語はそれ以前に作られていたが、「(We’re Gonna) Rock Around The Clock」ほどのスケールで、大衆と深く繋がったロック・ソングは他にはない。ビル・ヘイリーとバンドメイトは、マックス・フリードマンとジミー・デナイトが手掛けたこの曲をレコーディングする以前には、高校のダンス・パーティーで何百回とプレイしながら、アメリカのティーンエイジャーの話し言葉とダンスフロアの好みに詳しくなった。そうして分かったのは、若者達はアメリカの黒人社会から生まれたリズム・アンド・ブルースを聴きたがっていて、イチャイチャするのが好きだということだった(それも時に1日中でも!)。ニュージャージーの体育館ではそういった類の曲を歌うのことは許されなかったが、彼らが選んだ新たなジャンルは、その目的を満たしてくれた。「(We’re Gonna) Rock Around The Clock」は発売当初、商業的にあまりパッとしなかったが、MGMのヒット映画『暴力教室』(内容はずばり、10代の不良達について)のサウンドトラックのオープニング曲に起用されると、この曲は不朽の名作になっていった。

 

11: ザ・キラーズ「Glamorous Indie Rock And Roll」(2004)

この楽曲はロックが商業的ピークを迎えた後にリリースされた(おまけに正式なA面曲ではなかった)。ザ・キラーズはラップが独占する2000年にシーンに登場した大型新人ロック・バンドの一組だったが、だからと言ってボーカルのブランドン・フラワーズとその仲間達がいい気になっていったわけでは決してない。ブランドン・フラワーズはアルバム『Hot Fuss』収録したこのボーナス・トラックを通して(元々は2007年発表の未発表曲収録コンピレーション『Sawdust』に収録されていた)、「バンドが追い求めているは彼等がやがて手にすることになるフェスティバルのヘッドライナーや世界的なスターの座ではなく、インディ・ロックを愛するクール・キッズだ」と見なしている批評家達をあざ笑っている。轟くリフとフックはアンセムの様な響きを持っている一方で、“リサイクル・ショップの雑誌のページをぱらぱら捲るふたり”といった歌詞の一節は実に皮肉的な感じだ。

 

10: ビリー・ジョエル: 「It’s Still Rock And Roll To Me」(1980)

80年初期の頃のピアノマンは、ニュー・ウェイヴ時代の“ホット・ファンク”と“クール・パンク”を取り入れた結果、肩をすくめながらラジオ局にとって欠くことのできないこの名曲を吐き出すことになる。ビリー・ジョエルは、ストーリー性のある曲を書くソングライター、商売に長けた人物などと多数の顔を持つが、必ずしもクールだったとは言い難い。しかし幼い頃に聴いて育ったドゥーワップとR&Bに捧げたこの歌で、ビリー・ジョエルはそれを払拭し、ロック・レジェンドらしさを前面に出している。

 

9: チャック・ベリー「Johnny B Goode」(1958)

チャック・ベリーの代表曲は、言うまでもなくロックを賛美するものだが、そればかりか、見事にプレイすればその分稼がせてもくれるというロックへの敬意を表した曲でもある。チャック・ベリーは誰よりもリフが上手かったのに加え、あのダックウォークを披露するなどステージでの立ち回りのセンスの良さもあり、ロックン・ロールで金持ちになれると証明した初の人物となった。歌詞の中にでてくるジョニーは鉄道線路沿いでギターを弾く、殆ど読み書きの出来ない貧しい田舎の少年だが、そのギター・プレイは本当に素晴らしく、リズムを取るのにベースやドラムといったリズム・セクションなどは必要なく、電車の音だけで事足りた。歌の中でジョニーの母親の言葉が、チャック・ベリーのアメリカン・ドリームを見事に捉えている。「おまえはいつか大人になって、きっとステキなビッグ・バンドのリーダーになるでしょう」。

 

8: ドン・マクリーン「American Pie」(1971)

この不可解な、8分にも及ぶフォーク・ロック・ナンバーが、50年近くもの間、ベビー・ブーマー世代の伝承として、まるでエジプトの石版のように吟味されてきたのには理由がある。そう、ドン・マクリーンは吟遊詩人の視点で、ウッドストックからバディ・ホリーの命を奪った飛行機墜落事故まで、アメリカで愛されてきたジャンルに何が起こったかを綴っているのだ。しかしながらこれは、60年代に対するラヴレターとはいった代物ではない。ドン・マリレーンはケネディ暗殺事件やベトナム戦争、ジャニス・ジョプリンの死やザ・ビートルズの解散を取り上げた後、1959年2月3日以降すべてが変わってしまったという不安感を拭い切れずにいたのだ。

 

7: エルトン・ジョン「Crocodile Rock」(1972)

「Crocodile Rock」を聴く者は、エルトン・ジョンの力強いファルフィサ・オルガンのリフと一風変わったファルセットに導かれながら、ザ・ビートルズ登場以前の、ジュークボックス・ダンス時代へと引き戻された。当時の彼はこの曲を甘く見ていたが、全米シングル・チャートの頂点に上り詰め、エルトンに初のナンバー・ワンをもたらすという、「Rocket Man」や「Tiny Dancer」等、過去のシングルがこれまでアメリカでもイギリスでも成し得なかったことをやってのけた。そして1959年のバディ・ホリーの飛行機墜落事故やブリティッシュ・インヴェイジョンに触れることで(“年月は流れロックは死んでしまった/スージーは見知らぬ外国の男を追って俺達の元から去っていった”)、「American Pie」のように歴史を教えてくれるのだが、、より上手いフックと半分足らずの尺でそれを伝えることに成功している。

 

6: グランド・ファンク・レイルロード「We’re An American Band」(1973)

この代表作のレコーディングの前、グランド・ファンク・レイルロードは解雇したばかりのマネージャー相手の法廷闘争に巻き込まれていた。当時の彼等は、そのキャリアにおいて6枚のアルバムをリリースしていたが、まだ全米チャートのTOP20を果たしたことはなかった。しかし「We’re An American Band」が雷の如くNo.1に到達した後、このミシガン州フリント出身の反逆児たちの評判は、瞬く間に永遠の存在になった。ネブラスカ州オマハのグルーピー達とパーティーしたり、テキサスのブルース・レジェンドとポーカーをプレイしたりという、ドラマーのドン・ブリューワーの歌詞と、その伝説的なコーラスで物悲しい音を奏でながら全国を廻るギタリストのマーク・ファーナーは、まさに映画『あの頃ペニー・レインと』に登場するロックン・ロール伝説そのものである。

 

5: キッス「Detroit Rock City」(1976)

キッスがスターになったのは、1975年のライヴ・アルバム『Alive!』によってだった。ロックン・ロールの道化師達はこのライヴ盤のあと、コンサートの興奮とスリルを全て捉えたシングルをリリースした。その容赦ない、がむしゃらな2本のギターによる攻撃は、その後10年間に登場するヘヴィ・メタルの大物達を奮い立たせ、そのまた1999年には、同名のノスタルジック・コメディ映画『デトロイト・ロック・シティ』によって彼らの存在は不死化した。

 

4: クイーン「We Will Rock You」(1977)

足踏み、足踏み、拍手。ドン、ドン、パッ。ドン、ドン、パッ。クイーンのギタリスト、ブライアン・メイは、観衆を扇情し、みんなを歌わせるべく、「We Will Rock You」を書いた。その結果、完成した2分に及ぶご機嫌なナンバーは、やがてクイーンの観衆、フットボールの観衆、バスケットボールの観衆、チアリーディング・コンペティションの観衆、アカデミック・デカスロンの観衆…等々あらゆるものを奮い立たせる曲になっていった。足踏みに合唱に、ギター・ソロのアウトロと、まるごとセロトニンがどくどく流れる様な曲だ。また両A面には、「We Are The Champions」という同様の魅力を持つ曲が収録されている。

 

3: ボブ・シーガー「Old Time Rock And Roll」(1979)

70年代の終わり頃には、ディスコは大人気で広く普及していたが、この白髪交じりのハートランド・ロッカーには不満があった。反ディスコ運動の野暮な集団とは異なり、彼はみんなにステップを踏まそうと思えば出来たのだ。“俺は絶対にダンスフロアには出ないぞ”とボブ・シーガーはこの60年代ジュークボックス全盛期へのラヴレターで声を荒げる。その彼を伴走するシルヴァー・ブレット・バンドのブルージーで心地よいピアノ・ロックは、とにかくグルーヴィーなのだ。

 

2: オアシス「Rock’n’Roll Star」(1994)

オアシスのファースト・アルバムのファースト・トラック「Rock’n’Roll Star」は、“ネクスト・ビートルズ”になりたくて仕方がなかったバンドにとって、理想的なイントロだった。5分間に渡り、オアシスは手綱を緩めることなく、中毒性のあるブリットポップのリフと、そして退屈な人生を捨てて街まで車を飛ばしてやりたいことを何でもやろうという、人を惹きつける神話の元で突き進んでいった。その後ギャラガー兄弟が待っていたスターダム、つまらない言い争い、度を越した行動、は起こるべきして起こったことと言えよう。

 

1: ジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツ「I Love Rock’n’Roll」(1982)

元々、ジ・アロウズという70年代バンドがこの曲を書いたのだが、当時はヒットさせることが出来なかった。その数年後、ジョーン・ジェットがこの曲を気に入ったのだが、自身のバンド、ザ・ランナウェイズでカヴァーするよう説得することは出来なかった。結果的に、ジョーンはザ・ブラックハーツと共に、この曲の大胆なカヴァーをレコーディングし、「I Love Rock’n’Roll」は見事全米シングル・チャートの首位へと躍り出た。パンクの姿勢を捨てずに、クラシック・ロック・ファン達をダンスフロアへと誘うのに打ってつけの曲である。

 

Written By Oliver Mathis


 

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