チェス・レコード創設後の処女作ジーン・アモンズ「My Foolish Heart」

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「ブルースはポピュラー音楽の核心にあり、チェス・レコードはブルースの核心である」–バディ・ガイ

1947年初頭、ポーランド生まれのナイトクラブ経営者だった兄弟、レナード・チェスとフィリップ・チェス(本名はチェズ)は、当時名声を築いていたアリストクラット・レコードに参入し、マディ・ウォーターズの「I Can’t Be Satisfied」で初めて大きな成功を収めた。それから約2年後、レナードとフィルは独自のパートナーを連れ出して、このレーベルをチェス・レコードへと改名した。新レーベルからの最初のリリースは、B面に「Bless You」を収録したジーン・アモンズのシングル「My Foolish Heart」のSPレコードで、1950年6月に”Chess 1425″として発売され、1950年7月29日に初めてR&Bチャートに入ってから、その年のレーベル最大のヒットとなった。シカゴのパワーハウスなどとは全く異なるサウンドながら、素晴らしいレコードである。

1951年、チェス・レコードはメンフィス・レコーディング・サービスのサム・フィリップスと提携を始め、そこから、ビルボードR&Bチャートで1位を獲得したジャッキー・ブレンストン&ヒズ・デルタ・キャッツの「Rocket 88」が生まれた。チェス・レコードとメンフィス・レコーディング・サービスにとって、最も重要な契約アーティストのひとりに、1976年に彼が亡くなるまで在籍したハウリン・ウルフがいる。

それ以降も、ジミー・ロジャース、エディ・ボイド&チェス・メン、ウィリー・メイボン、メンフィス・スリムらが新たに契約を交わし、1952年には、チェス・レコードの仲間が子会社、チェッカー・レコードを設立し、エルモア・ジェームス、リトル・ウォーター、メンフィス・ミニーやサニー・ボーイ・ウィリアムソンを輩出した。

1955年までに、チェス・レコードはさらなる成長を遂げ、チャック・ベリーやボ・ディドリーらと共に、白人のロックンロール・マーケットへと進出していった。その直後に、オーティス・レディングやバディ・ガイがチェス・レコードに加入し、よりハードな若い世代に刺さる音を送り出していった。そんなチェス・レコードの成功は、有能なA&Rで、作曲家でもあり、”修理屋”の愛称で親しまれていたウィリー・ディクソンの功績によるところが大きかった。ウィリー・ディクソンのベースとフレッド・ベロウのドラムとが作り上げる無類のサウンドはチェス・レコードには無くてはならないものだったのだ。

1940年後半から1950年にかけて、チェス・レコード作品は多くの黒人にとってのサウンドトラックであり、あの時代におけるモータウンのような存在だったと言える。同時に、チェス・レコードは当時、最新のブルース作品をシカゴのレコード・ショップに手紙を書いて発注してそれ聴いてコピーするほど早耳のイギリスの若者たちにとっても貴重な存在だった。一方、当時のアメリカの白人たちはそんなブルースを演奏するイギリスのバンドを聴いていたが、多くの者はその素晴らしい音楽のルーツが母国にあることにまだ気付いていなかった。

チェス・レコードなくしては、ザ・ローリング・ストーンズも存在しなかっただろう、ということである。

Written By Richard Havers



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