キャプテン・ビーフハート自身が“最低で下品”と呼んだ『Unconditionally Guaranteed』

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1974年4月に『Unconditionally Guaranteed』がリリースされるまで、キャプテン・ビーフハートの信者たちは次のアルバムまでに、そのキャリアの中で 一番長い18ヶ月もの期間を待たなければならなかった。そしてその間につのらせていた大きな期待は逆効果となってしまった。『Trout Mask Replica』や『Lick My Decals Off, Baby』などを聴いてきたファンたちは急いで新作『Unconditionally Guaranteed』を買いに出かけ、LPを聴いてショックを受けた。つがいとなる1972年発売の『The Spotlight Kid』と『Clear Spot』が商業性という特異な考えにじわじわと向かっていたのに対し、『Unconditionally Guaranteed』では徹底的にそれをやっている(両手に札束を握り、皮肉を込めてポーズをとるジャケットのキャプテン・ビーフハートを見ればわかるだろう)。これほどまでにストレートな作品をキャプテン・ビーフハートはもう作らないだろうと思われるほどのアルバムを当時のローリング・ストーン誌は「まるでチャーリー・パーカーが手回しオルガンを弾いているかのようなサウンド」とレヴューしている。

長い間苦しんできたキャプテン・ビーフハートのマジック・バンドはアルバム発売後にキャプテン・ビーフハートのもとを去り、彼に対する不満の意思表示をした。実際に『Unconditionally Guaranteed』は、ドン・ヴァン・ヴリート(*キャプテンの本名)と『Trout Mask Replica』に参加したメンバーとの最後の仕事となった。後にキャプテン・ビーフハート自身もアルバムを“最低で下品”と呼び、ファンたちに店へ持っていって返金してもらうように言ったほどだ。

しかし彼も一時は、この作品をそれまでの作品の“フレンドリーな延長”だと言い、「他のもいいけど、これも気に入っている」と話していた。長年のファンたちは変わったしまった音楽スタイルに慣れる必要があったが、新しくキャプテン・ビーフハートを聴く者たちは、正直に言うと、多くの素晴らしさをみつけられるはずだ。結局のところ、血管にブルースが流れる男が作ったブルース・ロック作品は、70年代半ばに発売された数多くのブラス溢れる他のブルース・ロック作品と比べて劣ることはない。同様に、ドラマーのアート・トリップ、ベーシストのロケット・モートン、そしてギタリストのズート・ホーン・ロロの才能が衰えたわけでもない(確かに、厳しい状況に置かれていたのは事実だが)。「Happy Love Song」は自己満足過ぎるのかも知れないが(収録されている10曲はすべて妻のジャン・ヴァン・ヴリートへの献身的な愛を表現している)、キャプテン・ビーフハートのストレートに語られるリリックはどこか愛しさを感じさせる。

音楽番組『ジ・オールド・グレイ・ホイッスル・テスト』に出演した時のオープニング・トラック「Upon The My O My」の記憶に残るパフォーマンスは、B面に「Magic Be」を収めてシングルとして発売するための宣伝となった。結局シングルはチャート入りしなかったが、アルバムは何とか全米チャート入りを果たした。しかし、キャプテン・ビーフハートはそれでは終わらなかった。同じくメインストリームを狙った『Bluejeans And Moonbeams』を11月に発売した。それからキャプテン・ビーフハートは4年間の沈黙を守り、より実験的だと明確な『Shiny Beast (Bat Chain Puller)』を発売した。

本来のキャプテン・ビーフハートらしいよりアヴァンギャルドなアルバムに挟まれながら出されたこの作品を考えると、45年が経った今振り返ると1974年という年は、最も変わったキャリアの中での最も変わった1年だったのかも知れない。

Written By Jason Draper

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