Join us

Stories

あと一歩で1位だったオールマン・ブラザーズ・バンドの「Ramblin’ Man」

Published on

アメリカの典型的なアルバム・オリエンテッドなバンド、オールマン・ブラザーズ・バンド。1973年10月13日は、バンド史上で唯一、彼らの曲「Ramblin’ Man」がシングル・チャートでナンバー・ワンになる寸前だった。

ギタリストのディッキー・ベッツが作曲した「Ramblin’ Man」は数週間にわたり全米シングル・チャートを上昇し続けていた。バンドは1971年にシングルチャート92位に食い込んだ「Rivival (Love Is Everywhere)」を含め過去4度ほどチャート・インした経験があった。他の3曲は、1972年に発売した「Ain’t Wastin’ Time No More(邦題: 時はもう無駄に出来ない)」、「Melissa」、そしてエルモア・ジェイムスのカヴァー「One Way Out」で、それぞれ77位、86位、86位という結果だった。「Ramblin’ Man」が登場するまでは、トップ40が彼らにとって未知の領域だった。

1973年10月13日のチャートで、「Ramblin’ Man」は前週の7位からシェールの「Half Breed 」 の次となる2位へと急上昇。この曲を収録した彼らのアルバム『Brothers and Sisters』はバンドの代表作となり、同じ週、全米アルバム・チャートで5週間連続、首位を守り抜く結果となった。アルバムの勢いをそのままシングルチャートにも持ち込み、サザンロックの巨匠はシングルでも1位を獲得できたのか?

allman brothers bandその答えは、ノーだった。一週間後、シェールのシングルは1位の座を奪われたが、代わってチャートの頂上に立ったのは「Ramblin’ Man」ではなかった。オールマン・ブラザーズ・バンドのシングル曲が掴んだ究極の栄光の瞬間の寸前、隙を縫って5位から1位へと駆け上がってきたのは、ザ・ローリング・ストーンズの「Angie(邦題: 悲しみのアンジー)」だった。さらにザ・ローリング・ストーンズは『Goat’s Head Soup(邦題: 山羊の頭のスープ)』でアルバムチャートでもオールマン・ブラザーズ・バンド『Brothers and Sisters』の地位を奪っている。

ディッキー・ベッツがウォール・ストリート・ジャーナル紙とこの曲についての思い出をこう語っている。「僕が子供だった頃、父は建築現場で働いていて、フロリダの東と西海岸の間を家族で行ったり来たり、よく引っ越しをしてたんだ。ひとつの学校に1年いたと思ったら、次の年には違う学校に通っていた。僕には2組だけ友人がいて、彼らとはバスの後ろでたくさんの時間を過ごした。僕には ”Ramblin / 放浪” の血が流れていたんだね」。

「あの曲は僕が元々書いたけど、最初はカントリー調だったから、ロック・ブルース感を加えながらオールマン調にする必要があったんだ。その年の始めにリリースされたエリック・クラプトンの ‘Layla(邦題: いとしのレイラ)’ を思い浮かべたね。エンディングに長いジャムがあるあの曲をね。ああいったものなら大丈夫だろうと思ったんだ。1972年10月にメイコンのカプリコーン・サウンド・スタジオに入ったとき、‘Ramblin’ Man’ を最初にレコーディングしたんだ。そしてそれが、その一ヶ月後にバイクで事故死してしまったベーシストのベリー・オークリーと一緒にやった最後の曲となってしまったんだ」。

Written by Paul Sexton



Brothers & Sistersオールマン・ブラザーズ・バンド『Brothers and Sisters』

spotify_logo download_jtunes applemusic_link

 

uDiscoverのオールマン・ブラザーズ・バンド Best Of プレイリストをSpotifyで聴く

Share this story
Share
日本版uDiscoverSNSをフォローして最新情報をGET!!

uDiscover store

1 Comment

1 Comment

  1. Pingback: 『Idlewild South』の「Revival」からシングル・チャートを賑わせたオールマン・ブラザーズ・バンド - uDiscover

Leave a Reply

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Don't Miss