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マイケル・ジャクソンの生涯:ステージのために生まれ、あまりにも早く幕を閉じた唯一無二の存在

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Photo: Kevin Mazur/WireImage

アメリカでは2026年4月24日に、日本では6月12日に劇場公開されたマイケル・ジャクソンを描く伝記映画『Michael/マイケル』。マイケルの実の甥(マイケルの兄、ジャーメイン・ジャクソンの息子)であるジャファー・ジャクソンが演じるマイケルの姿に対して、全世界から賞賛の声が上がっている。

そんなマイケル・ジャクソンの経歴をジャクソン5の時代から紹介しよう。

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ジャクソン5での活躍

「7歳までその子を預けてくれれば、その人間がどんな大人になるかを見せてみせよう」――聖フランシスコ・ザビエルの有名な言葉だ。そして、マイケル・ジャクソンの並外れた人生を理解しようとするなら、まずここから始めるべきだろう。

7歳のマイケルの生活は、すでに“仕事”によって形作られていた。その中心にあったのは、インディアナ州ゲイリーの自宅、そして中西部一帯だった。野心的な父ジョーは、息子たちをすでに数多くの地元タレント・ショーに出演させており、マイケルをリード・ヴォーカルに据えたジャクソン5は、いくつかのコンテストで優勝し始めていた。

彼らは着実に評判を築き、グラディス・ナイトのような大物アーティストの前座を務めるという名誉ある機会も手にした。大手レーベルがこのグループに関心を寄せるようになるのは、ある意味で避けられない流れだった。こうしてジャクソン5がモータウンと契約した後、家族は1970年の初めまでにロサンゼルスへ移り住むことになる。奇しくもその年、マイケルは7歳を迎えた。

モータウンでの成功は、ほとんど瞬く間に訪れた。「I Want You Back」や「I’ll Be There」といったクラシックを含む、モータウンからの最初の4枚のシングルがいずれもBillboardチャートの首位に立ち、彼らは歴史を作った。当初、若きヒットメイカーたちのメンターとしてダイアナ・ロスの存在が打ち出され、1970年末までにはファースト・アルバム『Diana Ross Presents The Jackson Five』をリリース。さらにクリスマス・アルバムまで発表している。

The Jackson 5 "I Want You Back" on The Ed Sullivan Show

1970年代前半における彼らの仕事量は、驚異的だった。1974年末までにグループはアメリカ国内で11枚のアルバムを発表し、マイケルもモータウンから4枚のソロ・アルバムをリリース。その中には「Ben」「Got To Be There」「Rockin’ Robin」といったシングルが含まれていた。彼らは世界的なメガスターとなり、ツアー、ファン雑誌の熱狂的な注目、さらにはテレビ・アニメ・シリーズまでもが、その人気をさらに押し上げた。

Michael Jackson – Ben (Official Audio)

 

レーベルの移籍と大成功のソロ

だが、あらゆるティーン・センセーションがそうであるように、若い観客が次第に移り変わっていくにつれ、その成功にも陰りが見え始める。自分たちのサウンドを実験的に広げることにレーベルが消極的だったことに不満を募らせたグループは、モータウンを離れてエピックと契約。その結果、激しい法的争いが起こり、グループ名もザ・ジャクソンズへと変更された。

マイケルはのちに、この終わりなき労働の日々を、痛みを伴うほど詳細に振り返っている。彼は、名声と熱狂的な愛を受けていたにもかかわらず、しばしば孤独で、疲れ果て、自信を失っていたと語った。それでも、その重圧の中で彼はキャリアに集中し続け、容赦なく続くスケジュールの中に、ある種の逃げ場を見出していたようにも見える。彼は人々に、心から落ち着けるのはステージの上だけだと、たびたび語っていた。

1979年、兄弟たちとの活動を続けながら、映画『ウィズ』の仕事を終えたばかりのマイケルは、自身初の傑作アルバムを発表する。クインシー・ジョーンズがプロデュースした『Off The Wall』には、ディスコの名曲「Don’t Stop ’Til You Get Enough」と「Rock With You」が収録されていた。アメリカでは最高3位にとどまったものの、その後世界で2,000万枚を売り上げる作品となる。批評家から一定の称賛を受けながらも、受賞面での評価は控えめだった。その相対的な冷遇に傷ついた、猛烈な野心を持つマイケルは、次はさらに上を目指すしかないと心に決めた。

Michael Jackson – Rock With You (Official Video – Upscaled)

1981年、次作の制作が進む中、モータウンはかつてのスターの成功に乗じてアーカイヴを掘り起こし、未発表だった「One Day In Your Life」をリリースした。この優しいバラードは、マイケルに初の全英No.1をもたらす。同じ頃、彼は兄弟たちとともにトライアンフ・ツアーで全米を回っていた。ザ・ジャクソンズもまた、特にヨーロッパで「Can You Feel It?」などのヒットを飛ばし続けていた。

1982年後半、ポール・マッカートニーとのデュエット「The Girl Is Mine」は、イギリスで8位、アメリカで2位と堅調な反応を得た。しかし、その親アルバムであり、再びクインシー・ジョーンズと制作された『Thriller』は、さらに大きなうねりを起こし始める。2枚目のシングル「Billie Jean」の先鋭的なミュージック・ビデオ、そして1983年3月に放送されたテレビ特番『Motown 25』への出演を追い風に、『Thriller』の売上は爆発的に伸びていった。

The Jackson 5 & Michael Jackson – Motown 25 Performance (Remastered)

その年の半ばには、マイケルは地球上で最も大きな音楽スターとなっていた。「Beat It」とアルバムのタイトル曲「Thriller」は、贅を尽くしたビデオによって、アメリカのMTVでヘヴィ・ローテーションされた最初期の黒人アーティスト作品のひとつとなった。世界中で『Thriller』は売上記録を塗り替え、スターとなったマイケルは、耐え難いほど過熱したメディアの注目にさらされるようになる。

Michael Jackson – Thriller (Official 4K Video)

1984年、彼は兄弟たちと再び合流し、アルバム『Victory』とそれに伴うヴィクトリー・ツアーに参加。「State Of Shock」(ミック・ジャガーとの共演)や「Torture」といったシングルにも貢献した。同じ年、ペプシのテレビCMの撮影中にマイケルは火傷で負傷し、痛みを伴う手術を何度も受けることになる。現在ではこの出来事が、彼の鎮痛剤への依存が進んでいく出発点だったと広く見なされている。

顔の形を変えるための手術への関心も相まって、マイケルの医療上の試練は、彼を“奇妙で世間からずれた存在”として描く過熱したメディアの物語の象徴となっていった。そしてその一方で、歌手本人もまた、自身の周囲に形成されていく神話を打ち消すために多くを語ろうとはしなかった。

世界で最も売れたアルバムになろうとしていた作品の後を継ぐことは、途方もない課題だった。マイケルは時間をかけた。1987年、チャートの首位に立ったバラード「I Just Can’t Stop Loving You」に先導されて、ついに『Bad』がリリースされる。それは音楽業界における一大イベントだったが、非常に成功したシングル群と堅調な売上にもかかわらず、『Thriller』のあと、そしてメディアの報道もあり、必然的に“期待外れ”のようにも受け止められた。

イギリスでは『Bad』は最終的に『Thriller』を上回る成果を収めたものの、マイケルのレコード・セールスにおける圧倒的な力には、いくらか陰りが見えたという報道もでてきた。それでもステージ上の彼は無敵だった。1988年のワールド・ツアーは驚異的な成功を収め、彼にとって初の本格的な国際ツアーとなった。同じ年、マイケルは自身初の主演長編映画『ムーンウォーカー』(アメリカではビデオのみでリリース)を発表し、さらに幼少期について綴った本も刊行している。

Michael Jackson – Live At Wembley (July 16, 1988)

 

90年代のマイケル

1991年、マイケルは次作『Dangerous』で帰還する。1975年以来初めて、クインシー・ジョーンズ抜きで制作されたアルバムだった。今回は、当時チャートを席巻していたニュー・ジャック・スウィングの首謀者テディー・ライリーをはじめ、新しいR&Bのプロデューサーたちに目を向けた。

アルバムからのファースト・シングル「Black Or White」は、再び最先端のミュージック・ビデオに支えられ、大西洋の両岸でチャート首位を獲得。アルバムの世界売上を3,200万枚へと押し上げた。『Dangerous』からは国際的に実に9枚ものシングルが切られ、その多くに壮大なビデオが制作された。しかし、マイケルの公的なイメージは、次第に私生活によって支配されるようになっていく。

Michael Jackson – Black Or White (Official Video – Shortened Version)

1993年、マイケルと時間を過ごした子どもの両親による訴訟が、彼のキャリアを破壊しかねない脅威となった。この痛手の大きい出来事への対応は、もうひとつの驚異的に成功したワールド・ツアーがあったにもかかわらず、彼の社会的評価を低下させることになった。

失地を回復しようと、そして少なくともその時点では論争が収束したことを受けて、マイケルは1995年にベスト盤『HIStory: Past, Present And Future – Book 1』を発表した。この作品には、それまでの最大級のヒット曲の数々に加え、15曲の新曲が収録されていた。その中から最初にシングルとしてリリースされたのが、妹ジャネットとのデュエット「Scream」だった。ジャネットは1986年のブレイク以降、国際的な大スターとなっていた。

Michael Jackson, Janet Jackson – Scream (Official Video)

当時としては世界で最も高額なプロモーション・ビデオに支えられたこの曲は、アメリカで初登場1位を記録したが、イギリスでは3位にとどまった。続く「You Are Not Alone」と「Earth Song」はイギリスで首位を獲得し、後者は憧れのクリスマスNo.1の座を射止めた。しかもアメリカではシングルとして発売されなかったにもかかわらず、「Earth Song」はジャクソンにとってイギリス史上最大のシングルとなった。

このアルバムを支えるために、再びワールド・ツアーが行われた。しかし批評家たちの反応は冷ややかで、彼の評判を修復する助けにはほとんどならなかった。1997年には、つなぎのリミックス作品『Blood On The Dance Floor: HIStory In The Mix』がリリースされ、タイトル曲はイギリスで再びチャートの頂点に立ったものの、アメリカではトップ40入りを逃した。

 

健康面の不安とステージ復帰…

世界中の膨大なファンからなお深く愛され続けていたスターを再び前線へ押し出す試みは、2001年の『Invincible』のリリースでも続けられた。長期にわたるレコーディング期間と驚くべき制作費をかけたにもかかわらず、16曲入りのアルバム、そして発売日前夜に行われたスターを称える2つの野心的なコンサートは、マイケルのキャリアをかつての途方もないピークへと戻すには至らなかった。

ただし、当時の人気プロデューサー、ロドニー・ジャーキンスと制作したファースト・シングル「You Rock My World」は、アメリカとイギリスの双方でトップ10入りを果たしている。マイケルは音楽界の伝説として崇敬され、同業者からも大きな尊敬を集めていた。しかし、家庭を持つようになった彼の私生活をめぐるメディアの報道や、健康状態への懸念は、彼の同時代の作品を常に覆い隠していった。

Michael Jackson – You Rock My World (Official Video – Shortened Version)

判断を誤ったテレビ・ドキュメンタリーへの出演は、ネヴァーランド・ランチに招かれていた子どもたちとの関係をめぐり、新たな疑惑を呼び起こした。検察は、90年代に示談で解決していた問題を再調査する機会に飛びつき、マイケルは長く屈辱的な裁判にさらされることになる。しかし最終的に、2005年6月、彼はすべての罪状について無罪となっている。

その後数年間、過去作品の再発によってマイケルのチャート上の存在感は保たれた。しかし、健康不安の噂は消えることなく、公の場への登場は次第に少なくなっていった。晩年のマイケルが直面していた経済的困難は、2009年に発表されたステージ復帰という驚きのニュースの背景にあった可能性が高い。ロンドンのO2アリーナで10公演を行うことが発表されると、チケットは記録的な速さで完売。その結果、公演数は追加され、もし実現していれば2010年半ばまで同会場でパフォーマンスを続ける予定だった。

だが、それは実現しなかった。『This Is It』公演のためのロサンゼルスでのリハーサル期間中、マイケルは心停止を起こし、自宅で亡くなっているのが発見された。彼の死後、バック・カタログは大規模に掘り起こされ、多くの未発表曲がチャートに送り込まれた。その中には、ジャスティン・ティンバーレイクとのデュエットとしてミックスされた「Love Never Felt So Good」も含まれている。ティンバーレイクは、自身のキャリアにおいてマイケルの方程式を受け継いだ存在と広く見なされている。

結局のところ、“キング・オブ・ポップ”は唯一無二の存在だった。ステージのために生まれ、そこから遠く離れることはほとんどなかったマイケルは、想像を絶する富、絶え間ない論争、そして狂信的な崇拝に彩られた過剰な人生を生きた。型破りな子ども時代によって形作られた悲劇の人生だと呼ぶ人も多いだろう。だが、その遺産は今日の音楽シーンの土台を支えている。彼の人生はあまりにも早く幕を閉じた。しかし、その歌は永遠に生き続ける。

Written By Mark Elliott


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