『特捜刑事マイアミ・バイス』:TVドラマの音楽演出に革新をもたらした全米1位の80年代名サントラ
ドラマ『特捜刑事マイアミ・バイス(Miami Vice)』のような映像とサウンドを合わせ持つテレビドラマは、それまで存在しなかった。
1984年9月16日、2時間のテレビ映画として制作されたパイロット版『Brother’s Keeper』がNBCで初放送されると、たちまち大きな反響を呼んだ。『ヒルストリート・ブルース』や『女刑事キャグニー&レイシー』といった、80年代初頭を代表する刑事ドラマが、現実社会の問題や荒々しい描写、欠点を抱えた人物像に重点を置いていたのに対し、『特捜刑事マイアミ・バイス』は放送開始からわずか数分で、明らかに何かが違うことを印象づけた。
麻薬カルテルやギャング犯罪を追うマイアミの刑事たちは、それまでのテレビで見慣れた、堅苦しくドーナツを頬張るような刑事像とは大きく異なっていたのだ。潜入捜査官のジェームズ・“ソニー”・クロケット刑事(ドン・ジョンソン)は、元大学アメフトのスター選手で、ベトナム帰還兵という経歴を持つ、華やかで型破りな一匹狼で、パステルカラーのスポーツジャケットや白いリネンのスーツを好み、女性にも目がなかった。ボートでペットのワニと暮らし、靴下を履かないことでも知られていた。
一方、相棒のリカルド・“リコ”・タブス巡査部長(フィリップ・マイケル・トーマス)は、洗練された元ニューヨーク市警の警官だった。兄を死に追いやった麻薬ディーラーを追って、東海岸からマイアミへ移ってきたのである。タブスもまた異性を惹きつける魅力にあふれ、1964年製キャデラック・クーペ・ドゥビルのコンバーチブルを乗り回し、ダブルのジャケットを愛用した。そして同ドラマの放送期間を通じて、何度も命を落としかけながら、間一髪で死を免れていた。
実際、『特捜刑事マイアミ・バイス』は、その主人公たちに負けないほどスタイリッシュな作品だった。当時のテレビ番組としては、とりわけ新番組としては考えられないほど潤沢な予算が組まれていたためである。企画・製作を手がけたアンソニー・ヤーコヴィッチと製作総指揮のマイケル・マンは当初から視覚的に際立つ作品を作ろうと決意していた。NBC幹部のブランドン・タルティコフは、1984年のNew York Times紙のインタビューでこう語っている。
「ほかのアクション・アドベンチャー番組なら、プロデューサーは私にストーリーを説明する。ところが、マイケル・マンは“アース・カラーは使わない”と言うんだ。“テレビで目にするほかの何とも違う色を使うんだ”ってね」
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MTV的な音楽の使い方
『特捜刑事マイアミ・バイス』は、音楽の使い方においても、それまでのテレビドラマとは一線を画していた。ヤーコヴィッチはTelevision Academyに対し、自身の構想の一部にはミュージック・ビデオやMTVというポップカルチャー現象があり、「物語や登場人物にコメントするような形で、ストーリーを音楽に乗せ、その逆も成立するようにしたかった」と語っている。
タルティコフは後に、自分が紙ナプキンに“MTV cops”と書いてヤーコヴィッチに見せたところ、彼がそのアイデアを一気に形にしていったのだと主張した。ヤーコヴィッチ自身はこのエピソードを激しく否定しているが、“MTV cops”という言葉自体が同ドラマの特徴を端的に表していることは確かだ。
映像や編集がミュージック・ビデオの影響を受けていただけでなく、当時の最新曲を物語の装置として用いた点においても先駆的だった。『ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア』から『ストレンジャー・シングス 未知の世界』、『MAD MEN マッドメン』、『一流シェフのファミリーレストラン』に至るまで、既存曲を劇中で効果的に使う手法は現在のテレビドラマで欠かせないものになっているが、『特捜刑事マイアミ・バイス』はその先例のひとつとなった。さらに、シンセサイザー奏者ヤン・ハマーによるスコアが、80年代らしい光沢感のあるドラマの世界観を支えていた。
曲もアルバムも全米1位
80年代初頭は、テレビ番組のサウンドトラック・アルバムが90年代以降ほど一般的ではなかった。その点でも『Miami Vice (Music From The Television Series)』は先駆的だった。シーズン2開始から1か月後の1985年10月、ジャン・ハマーのインストゥルメンタル曲と番組で使用された主要楽曲を収録したサウンドトラックが発売され、Billboardのアルバム・チャートで1位を獲得。
そのまま首位を11週間維持し、1986年2月までに400万枚を売り上げた。その後2006年の『ハイスクール・ミュージカル』サウンドトラックに抜かれるまで、テレビ・サウンドトラックとして最大級の成功作として知られていた。
80年代初頭、テレビドラマのサウンドトラックは、90年代に入って定着するまで、まだそれほど多くは存在しなかった。その点でも『特捜刑事マイアミ・バイス』のサウンドトラック・アルバム『Miami Vice (Music From The Television Series)』は先駆的な作品だったと言える。
シーズン2の初回放送から1か月後となる1985年10月、ヤン・ハマーによるインストゥルメンタルのテーマ曲に加え、番組内で使用された主要楽曲を収録した同作がリリースされると、アルバムは全米アルバム・チャート(Billboard 200)で初登場1位を獲得し、首位を11週間にわたって維持。1986年2月までに400万枚を売り上げた。以降も、2006年に『ハイスクール・ミュージカル』サウンドトラックに抜かれるまで、テレビドラマのサウンドトラック・アルバムとして史上最大の成功を収めた作品であり続けた。
サウンドトラックのアルバム成功と並行して、ヤン・ハマーによるテーマ曲「Miami Vice Theme」も1985年9月に全米シングル・チャート(Billboard Hot 100)で1位を獲得。さらに翌1986年には、グラミー賞の“最優秀インストゥルメンタル・パフォーマンス賞”と“最優秀ポップ・インストゥルメンタル・パフォーマンス賞”を受賞した。脈打つシンセ、強烈なドラムマシン、歪んだギター・フレーズを組み合わせた同曲は、オープンカーで犯罪者を追うシーンにもうってつけの、当時としては未来的なサウンドを備えていた。ヤン・ハマーは後にBlogCriticsで次のように語っている。
「当時、僕が作っていたのはああいうタイプの音楽だった。それが本当にうまく機能したのは、ある種のダークなエッジがあって、推進力もあったからなんだ。でも同時に、コンガのようなパーカッションを含む、とてもリズミカルな要素もあった。それがマイアミという街のイメージや、ラテン文化全体、そしてそこで脈打つリズムの感覚に、実によく合っていたんだ」
ヤン・ハマーの生涯
1948年、チェコスロヴァキアのプラハに生まれたヤン・ハマーは、4歳でピアノを始め、ジャズ・ミュージシャンだった両親の後を追うように音楽の道へ進んでいった。1968年、ソ連が祖国に侵攻すると、彼はアメリカへ渡り、ボストンのバークリー音楽大学への奨学金を獲得する。卒業後はサラ・ヴォーンのツアーに参加し、その後、マハヴィシュヌ・オーケストラの初期メンバーとなった。
さらにジョニ・ミッチェル、ジェフ・ベック、サンタナらとも共演し、映画音楽にも携わっている。1984年初頭、友人とともにマイケル・マンを訪ねたことが、『特捜刑事マイアミ・バイス』への参加につながったという。ジャン・ハマーは1985年、New York Times紙のインタビューで、マイケル・マンとの出会いについて次のように語っている。
「少し時間を潰せることになって、友人のひとりが“マイケル・マンのところに寄ってみよう”と言ったんだ。彼は、僕がそれまでにやってきたほかの仕事、発表していた作品などを知っていた。これは1984年の初頭のことで、まだキャスティングの段階。撮影は何も始まっていなかった。するとマイケルが、“従来のテレビドラマのようなサウンドにはしたくないんだ”と言い始めたんだ(笑)。彼が何を意味しているのか、僕にはすぐにわかった。僕自身、そういうものにすっかりうんざりしていた人間のひとりだったからね。つまり、ありきたりで、白いパンのように味気ないテレビのスコアを、いったい何度繰り返せば気が済むんだ?ってね」
ポップスターと『マイアミ・バイス』
マイケル・マンの型破りな発想を示すもうひとつの例が、グレン・フライの「Smuggler’s Blues」のミュージック・ビデオから着想を得て制作された『特捜刑事マイアミ・バイス』の同名エピソード(シーズン1第16話:運び屋のブルース)だ。
同曲はサウンドトラック・アルバムに収録されただけでなく、彼自身もこのエピソードにカメオ出演し、クロケットとタブスを殺人犯の捜索へ送り届ける、疲れ切ったギター弾きのパイロット、ジミー・コールを演じた。
同ドラマにはそのほかにも、マイルス・デイヴィス、フランク・ザッパ、ジェームス・ブラウン、リトル・リチャード、バーブラ・ストライサンド、レナード・コーエン、ウィリー・ネルソンら意外な顔ぶれがゲストとして登場している。
また、サウンドトラックにはグレン・フライの「You Belong To The City」も収録。シーズン2の2部構成によるオープニング・エピソード「The Prodigal Son」のために書き下ろされた、この燻るような熱を帯びたパワー・バラードは全米シングル・チャートで2位を記録した。
フィル・コリンズもまた、『特捜刑事マイアミ・バイス』に登場したスター・ミュージシャンのひとりだ。シーズン2第12話では、地元テレビ番組を不正に操作して賞金を手に入れようとする詐欺師、フィル・“ザ・シル”・メユーを演じた。コリンズと同ドラマの関係はそれ以前から始まっていた。
1981年に発表したソロ・デビュー・シングルにして世界的ヒット曲「In The Air Tonight」が、パイロット版で使用されていたのだ。パイロット版の編集を担当したデイヴィッド・ローゼンブルームは、制作当時のことをTelevision Academyで次のように振り返っている。
「ドン(クロケット)が高速道路沿いの公衆電話ボックスから妻に電話をかけるシーンで、“Bernay’s Café”と書かれたネオンサインを背後に、フィル・コリンズの曲を使うというアイデアを思いついたのは監督のトーマス・カーターだった。このシリーズがどんな作品になっていくのか、その方向性を象徴するようなシュールな場面だったね。あの曲はやがて、作品そのものと最も強く結びついた楽曲のひとつになった」
「In The Air Tonight」は当然ながらサウンドトラックにも収録され、ティナ・ターナーの「Better Be Good To Me」も同作を彩った。
フィル・コリンズからティナ・ターナーまで、『特捜刑事マイアミ・バイス』は登場人物やストーリーと同様に、ポップミュージックを物語の不可欠な要素として位置づけた。その楽曲は、あらゆる追跡劇や失恋の場面を、まるでオペラのようなドラマチックなものへと昇華させた。この番組による音楽の革新的な活用は、テレビのサウンドを一変させ、その影響は今日でもなお続いている。
Written By Jamie Atkins
Various Artists『Miami Vice (Music From The Television Series)』
1985年10月発売
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