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ジャクソン5「I Want You Back」:インディアナ州片田舎の兄弟たちが全米1位を獲得するまで

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Photo: Motown Records Archives

1960年代後半、インディアナ州ゲーリーの最も有名な人物といえば弁護士エルバート・ゲーリーだった。1906年、巨大企業であるUSスチールがこの土地に新工場「ゲーリー製鉄所」を設立したことで誕生した町であることから、会社の共同設立者でもあった彼の名前が町の名になったのだ。ちなみに彼の功績は凄まじく、バージニア州の町にもその名が使われている。

しかし、エルバート・ゲーリーが地元で最も有名な人物であったのは、ジャクソン5が世に出る前の話である。シカゴから約25マイル離れたこの町出身の彼らが、1969年10月7日にモータウン契約後のファースト・シングル「I Want You Back(帰ってほしいの)」をリリースしてからというもの、インディアナ州ゲーリーを代表する人物といえば、ジャクソン5の面々ということになった。

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I Want You Back

ジャクソン兄弟から成るこのグループは、1960年代半ばからゲーリーを中心にパフォーマンスを披露しており、1967年からはチトリン・サーキット(人種隔離政策が行われていた時代に、黒人アーティストやコメディアンといったパフォーマーが出演することのできた劇場やナイトクラブを指す)でも活躍。当時はリップル・アンド・ウェーブス・プラス・マイケル(Ripple & Waves Plus Michael)というグループ名で知られていた。

また、ハーレムにある、かの有名なアポロ・シアターで開催されたコンテストで優勝したこともあり、当時のモータウン・レコードのスターであったグラディス・ナイトの目に留まる。彼女は彼らのためにモータウンで契約できるよう計らったが、その時は実を結ばなかった。また地元のレーベル、スティールタウン・レコードから出したシングル「Big Boy」(リード・ヴォーカルは弱冠9歳のマイケル)も、地域限定のローカル・ヒットながら、一定の成功を収めた。

Big Boy

ジャクソン5のモータウンとの正式な契約に一役買ったのは、モータウン・レーベルに所属し、過小評価に甘んじていたカナダのソウル・グループ、ボビー・テイラー&ザ・ヴァンクーヴァーズを率いるボビー・テイラーだった。1968年中期、彼らもまた「Does Your Mama Know About Me」のヒットでジャンルを超えた大きな成功を収めていたが、シカゴのリーガル・シアターでジャクソン5と共演したときに、テイラーは彼らの才能を確信した。

そしてボビー・テイラーは、ジャクソン5の別のパフォーマンスをフィルムに記録するよう手配した。『The Complete Motown Singles Vol.9』によると、そのカメラマン役を務めたのはモータウンのソングライター、ジョニー・ブリストルだった。テイラーが用意した映像を観たモータウンの代表者、ベリー・ゴーディは、ジャクソン5をモータウン・レーベルに迎えるべきとするテイラーの意見に同意し、彼らのためにレコーディング・セッションをアレンジするよう指示を出した。

「ダイアナ・ロスが発見したジャクソン5」というデビュー時の触れ込みは、真実ではないものの、彼女自身とこの若いグループの両者にとって、有益なプロモーションになった。そしてこのキャッチ・コピーは誇大広告ではあったが、ダイアナ・ロスや、スモーキー・ロビンソン、その他のモータウンの有名人たちは確かにこの5人組に夢中になっていった。

1969年の数ヶ月間、彼らはデビュー・アルバムのための楽曲制作に取り組んでいたが、同年7月、10代の女の子のためのタレント・コンテスト、”Miss Black America Pageant”への出演を契機に、ジャクソン5のためにさらに多くの予算が用意されるようになった。同コンテストの会場でグループが披露したアイズレー・ブラザーズのレパートリー「It’s Your Thing」のカヴァー・ヴァージョンは集まった観客から喝采を受け、8月下旬に放送されたテレビでその様子を観た人たちからも好評を得た。彼らがモータウン・レーベルのトップ・グループになる瞬間はもうそこまで来ていた。

It´s your thing – Miss black america (1969) – Imagen y sonido mejorado (by Brigitte)

活気溢れるヒット曲「I Want You Back」は、彼らの成功を決定付けるにまたとない1曲だった。この曲の作詞 ・作曲を担当したのは”ザ・コーポレーション”という名前で知られるモータウンのソングライティング・チームで、その顔触れはフォンス・ミゼル、フレディー・ペレン、ディーク・リチャーズ、そしてモータウンの社長ゴーディだった。11月15日に米チャートの90位にランクインした「I Want You Back」の人気に火が点くには若干の時間を要したものの、やがて猛烈な勢いでチャートを上昇していく。

チャート入りから3週目にトップ30圏内に到達した「I Want You Back」は1970年1月31日に遂に首位に立った。同曲はR&Bチャートでもブレイク。脱退を控えていたダイアナ・ロスを擁するシュープリームスによる最後のシングルで4週に亘ってトップに君臨していたの「Someday We’ll Be Together(またいつの日か)」に代わって首位の座をものにしている。そしてここから、4曲連続でチャートのトップに輝くという、ジャクソン・ファミリーの華々しい活躍がスタートするのだった。

Written By Paul Sexton

The Jackson 5 "I Want You Back" on The Ed Sullivan Show


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