【特集】1980年代、ヘア・メタルがアメリカを支配した時代

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Photos: courtesy of the artist (Def Leppard), Annnamaria DiSanto (Poison)

80年代、ハリウッドとビバリーヒルズを結ぶサンセット通りこと、サンセットストリップでは、ジーンズ、破れたTシャツ、歌い上げるサビ、そしてドラムのフィル、何もかもがタイトだった。そしてクラブ、ウィスキー・ア・ゴーゴーを満たしたファンは夜ごと、ヘア・メタル・シーンを牛耳る次のスターは誰かと目を光らせていた。

ヘア・メタルは、ロサンゼルスの街でクチコミから生まれた本物の流行だった。そこには反抗的な若者が凍えた手を温めることができる、世界中で共感を得ることができるものだった。遠く離れたロサンゼルスのストリートから聴こえてくる呼び声に、若い男女たちは自分たちが必要としている特効薬がそこにあると感じとった。その特効薬とは何だったのか。騒ぎまくることだ。世間にいくつもある壁のすべてが崩れてしまうほどに浮かれ騒ぐ。そして、ゴロゴロと足元に転がってくる柱を目にしながら叫び反逆の狼煙を上げ、二本の指のデビルホーンを頭上に掲げ……頭を上下に激しく振りながら、歌い、踊る。

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クワイエット・ライオットの大成功

史上最高のヘヴィ・メタル・ギタリストのひとりに数えられるランディ・ローズは、1975年に高い壁を築いた。それは同時期に活動するギタリスト、エディ・ヴァン・ヘイレンが毎晩必死になって習練しなければ乗り越えられない、そんな高い壁だった。

ランディ・ローズを擁したグループ、クワイエット・ライオットは、デヴィッド・リー・ロスがフロントマンを務めるヴァン・ヘイレンのロサンゼルスでのステージでオープニング・アクトを担当し、抜群のパフォーマンスを披露している。クワイエット・ライオットもヴァン・ヘイレンも、等しくニューヨーク・ドールズ、アリス・クーパー、KISSなど数々の先達に影響されたバンドで、実力、才能、意欲とも申し分のないミュージシャンの集まりだった。双方のリード・シンガーは異を唱えるかもしれないが、少なくともその他のメンバーは、どちらのバンドでも、名声よりも音楽性を重視していた。

ヴァン・ヘイレンは早い段階で成功を収めたが、クワイエット・ライオットはおよそ8年に亘って苦闘し、契約を得ることができたのは日本だけという状態だった。しかし1983年にリリースしたアルバム『Metal Health』によって遂に彼らはブレイクを果たす。ビルボードのヒットチャートでNo.1になったこのメタル・アルバムによって、サンセット・ストリップ、音楽、ヘアスプレー業界、そしてスパンデックス生産量の未来には決定的な変化が訪れた。

 

自然発生的なメタルの盛り上がり

怒れる男どもに向けてプレイするバンドと若い女性を喜ばせるバンドの二派に分かれる前の時代と言われる1983年から1986年の数年間、”ヘヴィ・メタル”は、世界を支配する王者だった。

1983年だけを振り返ってみても、モトリー・クルー は2枚目のアルバム『Shout At The Devil』を、キックスも同じく2枚目の『Cool Kids』をリリースし、リタ・フォードは『Out For Blood』によってスラッシュ・メタルが男だけのものでないことを実証した。そしてキッスも、1970年代から続いていたあのアクション・フィギュアめいた衣装をやめ、さらにメイクも取り払い、メタルに飢えた音楽シーンに向けて『Lick It Up』を放っている。

ロサンゼルスでは、ザ・ウィスキー、ザ・トリップ、ザ・スターウッドなどのクラブが大騒ぎになっていた。一時は、ヘアドライヤー片手にひっきりなしにヘアスプレーで頭を固めていれば、一夜でローリング・ストーン誌の表紙を飾れるようにも思えたほどだった。多くのシーンに言えることだが、ヘア・メタルの盛り上がりも自然発生的なものだった。バンドの数が増えればそれだけ演奏する場所は増え、そしてレコード会社との契約書の枚数も増えていったのである。

悪行については最初のころはまだ可愛いものだったが、それでも1980年代は、薬物ならいくらでも手に入れることができる時代で、やがて事態は手がつけられなくなっていった。ホテルの部屋での乱痴気騒ぎ、スポーツカーの大破、そして悲しいことに過剰摂取やオーバードーズといった事件が目につくようになっていく。しかし、そうした中にあってもなおムーブメントが収まらなかったのは、音楽が常に中心になっていたからだった。ラット、グレイト・ホワイト、オートグラフなどのバンドがシーンの頂点に立ち、クワイエット・ライオット、ドッケン、モトリー・クルーなどが目まぐるしいローテーションをMTVで繰り広げ、その勢いは衰える気配を見せなかった。

 

メタルの分断とたたき上げの実力者たち

ヘア・メタルのパワーを証明する最高の例を紹介しよう。あるクリスチャンのバンドがモトリー・クルーの「Shout At The Devil」でヘッドバングしていた子供たちに、一緒に神を讃え歌った曲でヘッドバンキングさせることができたのだから、ヘアメタルの力をこれほど証明するものはない。そのバンドとは、ストライパーのことだ。ストライプ柄のラテックス製衣装がトレードマークの彼らは、自分たちが愛する音楽が余りにも“闇”に満ちていることにうんざりし (彼らは神、光の側なのだ) し、ひたすら信じるスタイルで走り続けてシーンを盛り上げた。

MTVでは、「Headbanger’s Ball」と銘打ったヘア・メタルに特化したプログラムが始まり、驚異的な視聴率を稼ぎ、道を見失った子羊である全国の疎外感に満ちた若者たちに、テレビを囲んで団欒を楽しむ機会を与えた。そしてそのことによって、ヘア・メタルはアメリカ全土で祝福されると同時に引き裂かれることにもなったのだった。

「Headbanger’s Ball」によって公民権を得たシーンは、それまで以上の勢いでオーディエンスを獲得し、一連のバンドを地元の小さなバーから世界中のスタジアムへ送り込むことになったが、それと同時に、その音楽は厳しい審美眼の下にさらされることにもなった。才能のないバンドは、知識が豊富で活発なファン層によって評価されてはじかれ、ヒットチャートに登場するも翌日には姿を消していった。手っ取り早くカネを稼ごうというレーベルによって作り出された、急造のスタジオ・バンドでしかないことが見破られてしまうのだ。

しかし、その一方で、叩き上げのバンドは見事にその実力を開花させていった。モトリー・クルーは史上最強のヘア・メタル・アルバムと言っても過言ではない『Dr Feelgood』をリリースした。『Slippery When Wet』をリリースしたボン・ジョヴィはマイケル・ジャクソンすら凌ごうという人気を得て一世を風靡した。そして、ガンズ・アンド・ローゼズというチンピラ・バンドが『Appetite For Destruction』でシーンを襲撃した。

 

パワー・バラードの誕生

ヘア・メタルのバンドと決めつけられジャンルに一括にされることに違和感を覚えていた著名なグループがある。デフ・レパード、ガンズ・アンド・ローゼス、ボン・ジョヴィ、そして若干世代の異なるウィンガーである。アメリカ国内 (デフ・レパードの場合は国を跨いでいる) の異なるエリア出身のこれらのバンドは、道すがらLAシーンの賑々しさに関わりはしたかもしれないが、やがてはきっぱりと一定の距離を保つことになった。

ガンズ・アンド・ローゼスのメンバーのうち二名はLA・ガンズとハリウッド・ローゼズというLAベースのバンド出身で、彼らはポイズンやファースター・プッシーキャット・ドールズと同じステージに立って経験を積んでいた。しかし音楽性においても歌詞という点においても、ガンズ・アンド・ローゼスには常によりヘヴィな何かがあった。

ガンズ・アンド・ローゼスがシーンの新しい方向性を語っていたことに反応するかのように、他のバンドたちは「騒ぎまくれば勝ち」の姿勢を超えた素材を模索し始めた。そして誕生したのがパワー・バラードだ。このヘア・メタルの十八番と言えるこのジャンルの筆頭は、ポイズン最大のヒットを記録したアコースティック・ナンバー「Every Rose Has its Thorn」だろう。

ポイズンの成功後、すべてのバンドがメインストリームのラジオ局に気に入ってもらえるために独自のパワー・バラードを作ろうと、自分たちの繊細な側面を追求した。かくして、かつてはエッジの効いた快楽至上主義で派手さ一辺倒だったトラックリストに、バラードが次々と登場することになった。要するに、このジャンルはもはやオーディエンスを引っ張っていこうというものではなく、ニーズに合わせたおもてなしなのである。そして、この役割の逆転現象に見舞われたからには、そこに関わった音楽は例外なく終わりを迎えるしかなかった。

 

現在のサンセット・ストリップ

それから数十年の間に、サンセット・ストリップはすっかり更生し、せいぜい週末にアイライナーでメイクする程度に収まった。バーはまだそこにある。新たなハード・ロック・バンドがいて、失われた週末を楽しんだあのころをスパークリングウォーターを片手に懐かしみたい人々がいて、店は彼らの再結成ライブのために場を提供している。一方、シーンを代表したヘア・メタル・アクトは今もなおツアーで世界のスタジアムを満員にして稼ぎ続けている。バンドと同じように、オーディエンスは少し大人になり、少し賢くなった。

ファッションの時代は終わった。だが、ヘア・メタルの鋭いギターのリフや意気揚々としたドラムソロ、そして圧巻のフロントマンやフロントウーマンはいつまでも色褪せはしない。

Written By Jason Zumwalt


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