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ヒップ・ホップ第3世代を牽引したスリック・リックと名盤『The Great Adventures Of Slick Rick』

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ニューヨーク出身のあるラッパーは『The Great Adventures Of Slick Rick』のリリースで、ヒップ・ホップ界のスターの仲間入りを果たし、世界屈指のストーリーテラーとしての地位を確立した。

「みんなその場にいるべきだった」という表現はその場にいなかった人を孤立させてしまいがちだ。だがかつては、一大事が起きたことを正しく伝える表現が、ほかに見当たらなかった。実際のところ、「みんなその場にいるべきだった」としか言いようがないのだ。イギリス生まれでブロンクスを拠点にしていたMCリッキー・D(のちのスリック・リック)が1988年に決して色褪せることのない名盤『The Great Adventures Of Slick Rick』をリリースしたことは、まさにそんな一大事だった。

とはいえまずは、時間をその3年前に戻そう。1985年の夏、ヒップ・ホップ界は大きく盛り上がっていた。Run DMCは『King Of Rock』のヒットの余韻に酔いしれており、新興のデフ・ジャム・レコードからはLLクールJビースティ・ボーイズといった新しいアーティスト/グループの傑出したレコードがリリースされた。黎明期にあった同ジャンルは、まだ内輪の楽しみや自慢話で成り立っていた。

 

パラダイム・シフトの始まり

当時、ほとんどのラッパーはマイクを使って自分たちがいかに凄いか、DJのディスク使いがいかに速いかを自慢しているだけだった。初期の頃からMCたちのライムには常にストーリーテリング(物語)の要素があったが、ストーリーテリングを自分のスタイルに昇華させているものはジミー・スパイサーを除いてわずかだった。しかし何の前触れもなく、“元祖ヒューマン・ビート・ボックス”を自称するダグ・E・フレッシュとゲット・フレッシュ・クルー(その中心がMCリッキー・D)がシングル「The Show / La Di Da Di」をリリースしたのだ。

このシングルのリリースはパラダイム・シフト以上のものだった。「The Show / La Di Da Di」はヒップ・ホップにサブ・ジャンル(ヒューマン・ビート・ボックスに乗せたストーリーテリング)を生んだ。アメリカの都市部では街を走るどの車からも、どのラジカセからも、パーティを開くどの家からもこのシングルが聴こえてきたものだ。だがアメリカのテレビ番組『Soul Train』やイギリスの人気音楽番組『Top Of The Pops』、そしてソウル・ミュージックやヒップ・ホップを扱う主要な紙媒体に登場したあと、ダグ・E・フレッシュとスリック・リックの決別の噂がまことしやかに囁かれ始めた。

1987年、ニューヨークのラジオ局の深夜番組でダグとリックによる楽曲「Treat ‘Em Like A Prostitute」がオンエアされるようになった。その1年後、同曲はリックのソロ・デビュー・シングル「A Teenage Love」のB面としてデフ・ジャム・レコードからリリースされた。また、リック・ルービンが監督しRun DMCが俳優として出演した映画『タファー・ザン・レザー』にも同曲が使われ、リックによる新プロジェクトへの期待感が高まっていたがリックがソロで活動を続けるという噂は、ダグのヴォイス・パーカッションなしで大丈夫かとリスナーを不安がらせた。

のちの『The Great Adventures Of Slick Rick』から最初に発表された「A Teenage Love」は、ダグ・E・フレッシュと活動していた頃の楽曲と似ても似つかないものだった。リリース当時はサンプリング偏重なヒップ・ホップのいわゆる“黄金時代”の最中であったにもかかわらず、同曲には生のベースやキーボードが使われ、テンポも他と比べゆっくりだった。リックは歌詞もサウンドも世間の予想外の楽曲で勝負をかけ、主に当事者として若者の恋愛の危機を考えられる10代のファンから好評を得た。

Slick Rick – Teenage Love

Slick Rick - Teenage Love

ヒップ・ホップ第3世代を牽引する存在に

ヒップ・ホップは第2世代(Run DMCやフーディニ、ファット・ボーイズら)から第3世代に移ろうとしていた。ビッグ・ダディ・ケインやエリック・B&ラキム、そしてパブリック・エネミーなどが新世代の代表格だった。「A Teenage Love」のビデオにビッグ・ダディ・ケインを出演させたのは、リックの評判とアルバムへの期待を高める見事な選択だった。

代名詞でもあったダグ・E・フレッシュのヴォイス・パーカッションに代わる存在は、パブリック・エナミーのプロデュース・チームのボム・スクワッドとRun DMCのジャム・マスター・ジェイが務めた。1988年11月1日にリリースされた『The Great Adventures Of Slick Rick』のサウンドはドラム・マシンにサンプラー、スクラッチ、時に生の楽器を織り交ぜたものだった。スリック・リックのそれまでの作詞は他者のアイディアに縛られていたが、ようやく彼はストーリーテリングの技量をフル・アルバムで発揮できるようになったのだ。そして彼は実際にそれをやってみせた。

アルバムの中で最高のセールスを上げた曲は、おとぎ話の形をとった訓話「Children’s Story」だった。その後主流となるギャングスタ・ラップの多くと異なり、「Children’s Story」はストリートでの日常を美化していない。強盗の現実と、何より、その致命的な転落を描いている。「Children’s Story」のトラックは7年後、リックのレーベルメイトであるモンテル・ジョーダンの大ヒット曲「This Is How We Do It」に引用されている。それ以外にも同曲をサンプリングした楽曲はこれまでに数知れず、ナズドクター・ドレー、アサップ・ロッキー、ミーゴスなどがその恩恵に浴している。

Slick Rick – Children's Story

Slick Rick - Children's Story

 

時代を席巻したリック

「The Moment I Feared」もアルバムの中の際立ったトラックのひとつに数えらる。ジェームス・ブラウンの「Funky Drummer」のテンポを落としたサンプリングに乗せて、リックがいくつかの恐ろしいシナリオを披露する。「KIT (What’s The Scoop)」も、リックの高い創造性が十二分に発揮された1曲だ。これは1980年代に人気を博したテレビ・ドラマ『ナイトライダー』の主人公と彼の未来型の車、キットとの会話の形式になっている。レゲエの要素を取り入れた「Hey Young World」でリックは早い時期から歌とラップを融合させている。これはリックによる1年前の回想という体裁を取った内容になっているが、同時に若者を取り巻く現代社会の危険を警告したトラックにもなっている。“Hey young world… the world is yours (若者たち……世界はお前らのものだ)”という彼の言葉は確かにリスナーの琴線に触れた。MCたちも時代を超えて彼の言葉に共感し、社会が居場所を決めつけようとする中で大きな何かのために戦ってきたのだ。

『The Great Adventures Of Slick Rick』は自信に満ちたソロ・アーティストとしてのスリック・リックの地位を確立した。そして彼のヒップ・ホップの世界における人気と知名度を一気に高め、世界最高のストーリーテラーと見做される存在にまでしたのである。

Written By JayQuan


『The Great Adventures Of Slick Rick』


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