ジョージ・ハリスン『The Concert For Bangladesh』:1971年8月1日のチャリティ公演

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1971年8月1日、ライヴ・エイドが開催される14年前のこと、ジョージ・ハリスンは、友人であり師であるラヴィ・シャンカールと、そしてその他の多くのスター達と共に、それまで成し遂げられたことのない、あるいは試みられたことすらなかった何かを成功させた。

つまり、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで2度に渡って開催されたチャリティ公演『The Concert for Bangladesh』(バングラデシュ・コンサート)である。

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アップルからのシングル「Bangla Desh」

かつて“東パキスタン”と呼ばれていたバングラデシュでは、1970年に上陸したボーラ・サイクロンによる被害と“独立戦争”の影響で、何百万人もの難民が飢えに苦しんでいた。その窮状について、シャンカールから教わったジョージは、深く心を動かされた。

このコンサートの5日前に当たる7月27日、ジョージはアップル・レーベルからシングル「Bangla Desh」をリリース。世界的に有名な元ビートルズの一員にしか出来ないやり方で、この人道的危機に世界の注目を集めたのであった。 同シングルのリリース当日、ジョージとラヴィ・シャンカールは記者会見を開き、数日後に大掛かりなコンサートを開催することを発表した。

 

バングラデシュ・コンサート昼の部

ニューヨークでのリハーサルを経て、8月1日、マンハッタンに集まった4万人以上の観衆を前に、午後2時30分と夜8時の2回に渡って開催されたこのコンサート。

観客は、エリック・クラプトン、ボブ・ディラン、シャンカール、レオン・ラッセル、リンゴ・スター、ヒンドゥスタン人音楽家のアリ・アクバル・カーン、ビリー・プレストン、クラウス・フォアマン、ボビー・ウィットロック、ドン・プレストン、ジェシー・エド・デイヴィス、カール・レイドル、そして アップル所属バンドのバッドフィンガーらを含む、錚々たる出演者の演奏に酔いしれた。

この日のコンサートは、本アルバム同様、ラヴィ・シャンカールと、サロード奏者アリ・アクバール・カーン、タブラ奏者アラ・ラカ、そしてタンブーラ奏者カマラ・チャクラバーティによる「Bangla Dhun」で幕を開けた。

それに続いたのが、ジョージに加え、リンゴ、(体調不良の)エリック・クラプトン、レオン・ラッセル、ビリー・プレストン、クラウス・フォアマン、ジム・ケルトナーを始め、その他18人のミュージシャン達だ。

そこで繰り広げられたのは、「Wah-Wah」「Something」「Awaiting on You All」や、ビリー・プレストンが歌う「That’s The Way God Planned It」、リンゴの「It Don’t Come Easy(明日への願い)」、「Beware of Darkness」、そしてジョージとエリック・クラプトンが共演した「While My Guitar Gently Weeps」。 レオン・ラッセルはセンター・ステージに立ち、ローリング・ストーンズの「Jumpin’ Jack Flash」と、コースターズの「Young Blood」のメドレーを披露した。

 

ボブ・ディランの登場

それからジョージは、2人目のアコースティック・ギターにバッドフィンガーのピート・ハム、そしてドン・ニックスのゴスペル合唱団を従えて、「Here Comes The Sun」を熱唱。 そして白のフェンダー・ストラトキャスターに持ち替えたジョージは、ギターのボディにテープで貼り付けたセットリストに書かれている「ボブ?」という文字に目を遣った。ジョージは次のように語っている。

「見回すと、彼(ボブ)はすごく緊張していた。彼はギターを掛け、サングラスをしていた。気合を入れようとしているのか、こう(腕と肩を激しく上げ下げする動作を)やっていたんだ……。彼はやってくれるとようやく確信できたのは、その瞬間のことだったよ」

聴衆は、驚きのあまり一瞬静まり返った後、狂喜に湧き返った。ボブ・ディランがアメリカの観客の前に姿を現したのは、5年ぶりのことだったからだ。

ディランのミニ・セットでバックを務めたのは、ジョージ・ハリスンに、レオン・ラッセル(弾いていたのはフォアマンのベース)、そしてリンゴ・スターがタンバリンを担当した。 ディランは以下の5曲を披露した。

「A Hard Rain’s A-Gonna Fall(はげしい雨が降る)」
「Blowin’ in the Wind(風に吹かれて)」
「It Takes a Lot to Laugh, It Takes a Train to Cry(悲しみは果てしなく)」
「Love Minus Zero/No Limit」
「Just Like A Woman(女の如く)」

その後、ジョージがバンドと再登場し、「Hear Me Lord」「My Sweet Lord」そして「Bangla Desh」を聴かせた。

 

夜の公演

昼の公演を上回る内容だったと広く考えられている夜の公演では、演奏された曲や曲順が昼の部とは若干異なっている。 ジョージのミニ・セットは「Wah-Wah」で幕を開け、その次に「My Sweet Lord」を先に披露。 続いて「Awaiting on You All」、続いてビリー・プレストンが「That’s The Way God Planned it」を歌った。

夜の部では「Hear Me Lord」が曲目から外されたため、ディラン出演後のセットは「Something」と「Bangla Desh」のみになっている。 ディランも自身のセットで曲目を少し入れ替え、「Love Minus Zero/No Limit」の代わりに「Mr. Tambourine Man」が演奏された。

コンサート音源のミキシングは、ロサンゼルスのA&Mスタジオで9月に行われた。アルバムでは昼夜両公演の音源が使用されているが、より評価が高かった夜の部の方が優先され、全体の中心を成している。 昼公演の音源が用いられているのは、冒頭は夜公演ヴァージョンで始まるものの途中から昼公演に飛んでいる「Wah-Wah」の他、ジョージの「Band Introduction」、「While My Guitar Gently Weeps」、そしてレオン・ラッセルによるメドレーだ。

本アルバムの3枚組LPボックスセットは、米国では1971年12月20日、英国では1972年1月10日に発売された。 米ビルボード誌8月14日号は「ハリスン&フレンズがパキスタン支援のためのコンサートで大盤振る舞い」という見出しで、次のようなニュース記事を掲載している。

「ここで披露された音楽のほぼ全てが、困窮する国に支援の手を差し伸べるため自身の時間と多大な努力とを無償で提供した、各ミュージシャンの心情を代弁していた」

本作は1972年1月8日に全米チャート入りを果たし、惜しくも首位は逃したものの、6週間に渡って2位の座を守り続けた。 英国ではリリースから3週間後に、全英チャート首位に上り詰めている。 バングラデシュの飢餓救済のための資金を募ったこのイベントを通じ、推定25万ドル(現在の価値にして約150万ドル)が集まった。 このコンサートの模様は2005年にDVDとしてリリースされ、その純益は(アルバム同様)、現在<ユニセフ・ジョージ・ハリスン基金>と命名された基金を通じて寄付が続けられている。

2006年、オリヴィア・ハリスンは、このコンサートの35周年を記念して行われたマディソン・スクエア・ガーデンでの式典に出席。同アリーナの殿堂(ウォーク・オブ・フェイム)に常設されている記念銘板の除幕を行った。今日では、アーティストが慈善コンサートやチャリティ・シングル/アルバムなど、様々な方法で支援活動を行うことが当たり前のようになっている。人々がそのような形で自身の名声を活用するのは素晴らしいことだ。しかし、ジョージは時代を遥かに先取りしていた。彼の人道的な活動は画期的であり、後に続いた多くの人々にインスピレーションを与えている。

ジョージ・ハリスンは、真の人道主義者であったのだ。

Written By Richard Havers




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