ポール・マッカートニーの同時1位獲得作、シングル「My Love」とアルバム『Red Rose Speedway』

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ポール・マッカートニーと当時の彼の新たなグループ(と呼んでほぼ差し支えなかろう)であるウイングスについて、1973年6月2日付のBillboard誌は極めて好意的な記事を掲載した。当時先立ってリリースされていたシングル「My Love」がBillboard誌のチャートで7週に亘って上昇を続けており、うち後半の3週には同曲を収録したアルバム『Red Rose Speedway』も同様にヒット・チャートを上がり、遂には双方が揃ってナンバー・ワンの座に輝いたのだ。

同じイギリス人アーティストであるエルトン・ジョンによる「Daniel」も3位から2位へとランク・アップを続けたが、マッカートニーのチャーミングなバラード群の中でも一、二を争う名曲「My Love」は、これに追い抜かれることなく2位から1位に上昇したのだった。同じ週の3位はその前の週に首位だったエドガー・ウィンター・グループによるヘヴィなインストルメンタル・ナンバー「Frankenstein」である。

『Red Rose Speedway』は前週のアルバムチャートで13位につけていたが、その後急上昇した。そしてマッカートニーが遂に自分のグループと呼べるものを完全に築き上げ、かつてのリヴァプールの4人組というイメージから脱却したのだということを高らかに宣言したがっていたとするなら、まさに絶好のタイミングであった。なぜなら、このアルバムによって1位の座から引きずり降ろされたのは、ザ・ビートルズのコンピレーション・アルバム『The Beatles 1967-1970』だったのだ。

『The Beatles 1967-1970』と一対を成すコンピレーション『The Beatles 1962-1966』は3位から5位へ下降したものの、依然として大ヒットを記録していた。要するに、この週のアメリカでのアルバム・ヒット・チャートのトップ5のうち3点にマッカートニーは大きな貢献を果たしていたのだ。この1週間前に『Red Rose Speedway』は、イギリスで最高位5位を記録していたが、ポール・マッカートニーとウイングスは結果的にアメリカでより大きなセールスを上げたのである。

ポールのアルバム群にあって、『Red Rose Speedway』の評価は高いとは言い難い。しかしながらヒットした「My Love」以外にも、アルバムのA面に収録された「Little Lamb Dragonfly」や、B面の11分間に及ぶ意欲的なメドレー「Hold Me Tight」、「Lazy Dynamite」「Hands Of Love」「Power Cu」など聴きどころは決して少なくない。

Billboard誌は同作について以下のような表現で称えている。「強力なロック・ナンバー、ポール・マッカートニーならではのバラードを収録した本作は、ザ・ビートルズの解散後に彼がリリースしたアルバムの中で、最も優れた作品である。ヘンリー・マカロックとデニー・レインによるギター・ワークや、デニーとリンダ・マッカートニーのコーラス・ワークなどに支えられ、どの曲にも、これまでの諸作以上に無駄のないアレンジが施されている。AM、FMのポップ専門局はもちろんのこと、MORの専門局でも挙ってオン・エアされることになるだろう」




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