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由緒ある名門レーベル”ファンタジー”と”ヴァンガード”がいかにしてディスコ・レーベルとなったのか

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“12インチ・リミックス”というのはいったい誰が最初に始めたものなのだろうか? いつ、どんなきっかけでDJが“ミュージシャン”になったのだろうか? 『Saturday Night Fever』やシカゴ・ハウス、ヨーロッパのダンス・ミュージックで聴けるあのグルーヴはいつ生まれたのだろう? ここではそれらの出発点をご紹介しよう。

ただ実のところ”出発点”といっても、それは二つある。なぜならこの話はアメリカの西海岸と東海岸の両方から始まっているからだ。両海岸から、あの4つ打ちバスドラムのスタイルが生まれてきた。楽しい音楽が生まれてきた。つまり、ディスコ・ミュージックが生まれてきたのである。

ディスコ・ミュージックは1970年代初めから存在した。しかしそれは単に、踊るためのソウル・ミュージックとしかみなされていなかった。アル・グリーンの「Here I Am Baby  (Come And Take Me)」、エディ・ケンドリックスの「Keep On Truckin’」、シルヴィアの「Pillow Talk」といった楽曲は、どれも人をダンスフロアに誘う力を持っていた。フィラデルフィア・インターナショナル・レーベルからリリースされたレコードの多くは、“ディスコ”というラベルが貼られる以前から“ディスコ・ミュージック(ディスコでかかる音楽)”だった。

シュガー・ヒル、バビロン、オシリスといった小規模なレーベルもディスコ・スタイルのレコードをリリースし、なかなかのインパクトを残した。こうしたレーベルは、一部の大手のレコード会社よりもこの新しいサウンドのことをよくわかっていた。やがてディスコは、はっきりとしたスタイルに固まり始める。夜型人間や、彼らに音楽を提供するDJのためだけに、凝ったアレンジのきちんとした音楽が作られるようになったのである。そこまで来ると、ほかのレーベルよりもこのグルーヴを得意とするレーベルがいくつか頭角を現してきた。

それらのレーベルは、過去にほかのジャンルの音楽を作ってきた大都市の会社だった。頭の堅い評論家はディスコ・ミュージックを紋切り型の軽薄な音楽だとみなしていたが、意外なことにそうしたレーベルはかなり由緒ある名門レーベルだった。ディスコ・レーベルの筆頭に挙げられるべきレコード会社の一つ、ファンタジーはサンフランシスコのレーベルで、ウェスト・コースト・ジャズ・サウンドを長年に渡って世の人に広めてきた。そしてもう一つの代表格ヴァンガードはニューヨーク・シティのレーベルで、もともとはクラシックを専門にしていたが、徐々に守備範囲を広げ、フォーク、ジャズ、サイケデリック・ロック、実験音楽までを扱うようになっていた。

ファンタジーもヴァンガードも、ディスコ・ブームのおかげで活気を取り戻した。一見すると、どちらもこの種の音楽に傾いたレコードをリリースする会社には見えなかったかもしれない。しかし実のところ、この二つはディスコにとっておあつらえ向きのレーベルだった。ファンタジーとヴァンガードは、巧みに作られた非常に知的でエキサイティングな曲でディスコ・シーンを盛り立てていった。また、どちらのレーベルもマーケットを理解することに長けていたので、客層に合わせたレコード作りをすることができた。この二つのレーベルは、ダンスを長く続けさせるエクステンディッド・ミックスの誕生において大きな役割を果たしている。そして1976年に初めて登場した12インチ・シングルも、それに一役買った。7インチ・シングルの2倍の長さで、ベースを強調したダンスフロア向けのナンバーをリリースできるようになったのである。

 

トンズ・オー・ファン (メチャクチャ楽しい)

自分たちがリリースしたレコードがヒットになれば誰だって気持ちいい。とはいえファンタジーもヴァンガードもヒットになるかどうかという点にさほどこだわらず、むしろしっかりとした内容のレコードを出すことに集中していた。どちらのレーベルも、自分が何を探しているのかはっきり承知しているような専門的な客層に慣れていた。共通点はそれだけではない。ファンタジーもヴァンガードも、長い歴史を持つ自分たちのジャズ・カタログを通してディスコにたどり着いたのである。

1960年代のジャズはソウル・ミュージックと浮気を繰り返すようになり、ソウル・ジャズ、ジャズ・ファンク、フュージョンといったジャンルが派生していった。それらのビートはファンキーなことが多かったため、ファンは踊ることができたのだ。ルー・ドナルドソン、スタンリー・タレンタイン、ドナルド・バードといったミュージシャンは、ノリのいいグルーヴの作品を発表し、それまでにないほどの多くのファンを獲得した。

ブラックバーズ  Photo: Fantasy Records Archives

このうちドナルド・バードはブラックバーズという若手バンドを発掘し、ファンタジーと契約させた。彼らは、ジャズ・ファンクをダンスフロア向けに改造し始める。そうして出たアルバム数枚はどんどんグルーヴ志向になり、彼らのシングル「Rock Creek Park」や「Do It, Fluid」などは非常に多くのファンを集めることになった。”もっと、このいうものを”という要望は高まるばかりだった。ファンタジーはイドリス・ムハンマド と契約。彼はありとあらゆるファンキーなジャズ・ミュージシャンと共演してきたドラマーだった。こうしてファンタジーがディスコというジャンルで名を上げると、ジャズ・フィールドの出身ではないアーティストやプロデューサーも、このレーベルにやってくるようになった。

LGBTコミュニティが非常に活発だったサンフランシスコにファンタジーがあったという事実も、間違いなくこの傾向に拍車をかけた。ゲイ・シーンはディスコに早くから馴染んでいた。そしてロック界で成功を掴み損ねた高音の女装シンガー、シルヴェスターがファンタジーと契約したとき、彼はそうしたコミュニティのおかげでスターになった。シルヴェスターは見事でとんでもないアーティストだった。彼の一番有名なレコードといえば「You Make Me Feel  (Mighty Real)」ということになるだろうが、シルヴェスターはそれだけのシンガーではない。「Dance  (Disco Heat)」や「Over And Over」といった楽曲もまた、ディスコ・ミュージックの最高峰といっていい名曲である。これらのレコードは美しい旋律にあふれ、心を沸き立たせ、ソウルフルだった。それゆえ、数え切れないほど多くののディスコの常連客たちが最高の夜を過ごすことになった。

Sylvester – You Make Me Feel (Mighty Real)

 

やがてシルヴェスターのバック・シンガー、アイゾラ・ローズとマーサ・ウォッシュもトゥー・トンズ・オー・ファンというデュオとしてファンタジーと契約し、「I Got The Feelin’」を発表。このふたりは、その後ウェザー・ガールズと改名して大成功を収めている。ファンタジー所属のダンス・ミュージック・アーティストは、さらに強力な顔ぶれになっていく。その中の1人、フィル・ハートは1970年代初期にフィラデルフィア・シーンでたくさんの名曲を作り、ディスコの誕生を手助けした人物だった。またファット・ラリーズ・バンドもファンタジーから3作の秀逸なアルバムをリリースしている。

シルヴェスター Photo: Fantasy Records Archives

 

さあ、音量を上げてくれ!

一方ニューヨークでも、ヴァンガード・レーベルのスタッフが、自社のジャズ・カタログがナイトクラブで持てはやされていることに気づいていた。このレーベルでジャズのレコードを担当していたプロデューサー、ダニー・ワイスはドラマーのクリス・ヒルズと組み、プレイヤーズ・アソシエイションを結成。これは、ジョー・ファレル (ギター) やデヴィッド・サンボーン (サックス) 、ジェームズ・エムトゥーメ (パーカッション) といったジャズの腕利きミュージシャンを集めたスタジオ・グループだった。1977年にリリースされた彼らのファースト・アルバムには「Love Hangover」の強烈なカヴァー・ヴァージョンが収められている。これは、ダイアナ・ロスのオリジナル・ヴァージョンよりもずっと早くダンス・セクションが始まる構成になっていた。それから2年後、彼らのレコード「Turn The Music Up!」が世界中の国のヒット・チャートを席巻した。

Love Hangover (12" Disco)

 

ワイスとエンジニアのマーク・ベリーは、リミックス・チームの代表格になった。そこに3人目のグルーヴの魔術師が加わる。それはニューヨーク・シティのクラブ・シーンを隅から隅まで知り抜いていた男、レイ・”ピンキー”・ヴェラスケスだった。彼ら3人は、ザ・リングのエレクトロ・ディスコの大ヒット「Savage Lover」を初めとする傑作ミックスをヴァンガードで作り上げた。またワイスとベリーは、“Poussez! (プッセ!) ”という名の覆面グループのディスコ・アルバムの制作も手がけている。このプッセ!は実はウェザー・リポートのメンバーとして有名なジャズ・フュージョン系ドラマー、アルフォンス・ムーゾンのプロジェクトだった (ムーゾンは、1973年にラリー・コリエルのフュージョン・グループ、イレヴンス・ハウスの一員としてヴァンガードでアルバムを録音したことがあった) 。

Savage Lover (Special 12" Disco Mix / Long Version)

 

マーク・ベリーは世界中で売れそうなディスコ・サウンドを生まれつきよく理解できる人物であり、今や伝説的なダンス・プロデューサーとなっているパトリック・アダムスと組んで、レインボー・ブラウンの1981年のアルバム『Rainbow Brown』をミックスした。ここからは、「I’m The One」や「Till You Surrender」といった名曲が生まれている。これらは、どこにも隙のない実にタイトなミックスになっていた。

やがて、その他のジャズ系のレーベルも、このジャンルに進出してくる。ブルーノートもその一つだったが、ブルーノートはディスコに全面的に参入する気構えは窺えなかった。またプレスティッジからは、1978年にビル・サマーズ&サマーズ・ヒートの「Straight To The Bank」というヒットが生まれている。この曲は、シャラマーの「Take That To the Bank」の線を狙ったものだった。しかしどれも、ファンタジーやヴァンガードのレコードほどフロアを揺らすことはなかった。1970年代中期にファンタジーとヴァンガードから出た飛びきりのレコードは1980年代に入っても新鮮でスリリングに聴こえたし、聴く人の心に直に訴えるものがあった。リスナーの魂にも触れていたのである。

Straight To The Bank – Original Mix

 

そんなサウンドを感じてみたい? プッセ!は「さあ、やろう」と呼びかけていた。かつてのように、あなたもあなたの足もきっと喜んで踊り始めるに違いない。

Written By Ian McCann


『For Discos Only: Indie Dance Music From Fantasy & Vanguard Records (1976-1981)』

『Disco RECONSTRUCTION – THE BEST OF REMIXES -』 


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