ダイアナ・ロスの経歴を振り返る:ソロとしての成功を掴みさらに羽ばたくまで
2026年5月23日にKアリーナ横浜、5月25日に大阪城ホールにて11年ぶりの来日公演を行うダイアナ・ロス(Diana Ross)。
マイケル・ジャクソン、マライア・キャリー、ビヨンセなど多くの後出アーティスト達が憧れ、影響を受けてきたパイオニアの経歴についてご紹介。
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モータウンの歌姫だったダイアナ
「彼女はソウルと気品を完璧なバランスで併せ持っていた。まさにシックの目指していた姿だ。ダイアナの繊細なソプラノ・ボイスと、彼女のアーティストとしてのスタイル、そして彼女のために選ばれた完璧な楽曲群がすべて一体になることで、彼女はベリー・ゴーディにとってのガラテア(*)になったんだ」
(ナイル・ロジャース)
*ギリシャ神話におけるキプロス島の王ピグマリオンによって造られた象牙の女性像
ダイアナ・ロスのレコードの数々は、スモーキー・ロビンソン、スティーヴィー・ワンダー、マーヴィン・ゲイらの功績とは違った軸で評価されている。それは彼女が作曲家ではなく、歌手だからだ。彼女は、パフォーマンスの力と信念と親しみやすさで楽曲を自分のモノにしてしまう。
その歌手としての解釈力は、1972年の映画『ビリー・ホリデイ物語/奇妙な果実(Lady Sings The Blues)』で新たな高みに到達した。「Diana Ross *is* Billie Holiday(ダイアナ・ロスはビリー・ホリデイそのもの)」という映画の宣伝文句に嘘は一切なかった。
米アカデミー賞にノミネートされたそのパフォーマンスには、他の誰かに成り切り、その人の感情を表現して観客に伝える彼女の能力の高さが表れていたのだ。
彼女が演技に挑戦したのは必然だった。ダイアナが歌えば、その歌詞は作詞家自身が歌っているのと同じくらい個人的な響きを帯びることもあるのだ。彼女がモータウン・レコードの創業者であるベリー・ゴーディ・ジュニアとの結婚を見送った1970年(彼女は1971年に彼とのあいだの娘を出産しているが)に発表されたアルバム『Everything Is Everything』の収録曲「I’m Still Waiting」はその好例だ。
また、「It’s My Turn」を収める『To Love Again』がリリースされた1980年、彼女は熟慮の末に2000万ドルのオファーに応じて20年過ごしたモータウンとゴーディのもとから離れた。そんな中でも彼女がその個性を放ち続けたことはまったく奇跡だったとも言える。
1970年にシュープリームスを抜けて以降、彼女は40人以上のプロデューサーと仕事をしたが、そのほとんどはアルバム1作を丸々手がけることはなかった。とはいえ、ダイアナにとってはむしろその方が好都合だったのかもしれない。彼女は音楽、テレビ、映画と、ゴーディが切り開いた米国エンタメ界の黄金ルートを突き進んでいたからだ。そのゴーディは1976年、アメリカの業界誌ビルボードに掲載された全80ページの豪華特集の冒頭ページで簡潔にこう記した――「To My Star(我がスターに捧ぐ)」
ここでもう1つ念頭に入れておかなくてはいけないのは、ゴーディが「競争が勝者を生む」という理念のもとで一大帝国を築き上げたことだ。同社専属のプロデューサーや作曲者は、所属アーティストたちの次なる”アルバム”ではなく次なる”ヒット・シングル”を作り出すべく切磋琢磨していたのである。
またもう1つ、70年代における同社の方針を決定付けた要因がある。それは、ポップ・ミュージック界で新たなアイデアが次々と生まれていたことだ。モータウンはかつて”サウンド・オブ・ヤング・アメリカ”を標榜していたが、そのターゲットとなっていた若者たちは60年代に比べてより多様で野心的なサウンドを求め始めていたのだ。そして、ゴーディもこのことを認識していたようだった。ダイアナのソロ・デビュー・シングルにローラ・ニーロ作の「Time And Love」が検討されていたこともその証左である。
モータウンのトップだったゴーディはその際、社外のエンジニア/プロデューサーであるボーンズ・ハウの力を借りていた。ハウはママス&パパス、アソシエイション、フィフス・ディメンションら、アメリカ西海岸におけるポップ界の新たな潮流を牽引するグループの作品に携わっていた人物だ。
彼を起用するアイデア自体は画期的だったものの、ハウは同社のかつてのビジネス・モデルを好み、ロスを”黒人シンガー界のバーブラ・ストライサンド”として売り出すことを提案。その考えはゴーディの計画と合わず、結局ハウが手がけたトラックもお蔵入りとなったが、「Time And Love」は後年になってロスのベスト・アルバムに収められた。
軌道に乗らなかったソロキャリアの転機となった映画
「彼女は僕の母であり、恋人であり、姉のようでもあり、そのすべてが一体となった素晴らしい人だった」
(マイケル・ジャクソン)
そうした経緯で、シュープリームス脱退後のダイアナのキャリアはニック・アシュフォードとヴァレリー・シンプソンに委ねられた。この二人はマーヴィン・ゲイとタミー・テレルを大人気デュオへと変貌させた実績を持つソングライター・コンビだ。そんなアシュフォード/シンプソン作のワルツ「Reach Out And Touch」はモータウンの基準では異色作であり、ニューヨーク出身のニックとヴァレリーはデトロイトで創業した同社の伝統からの脱却を象徴する存在となった。
ダイアナ自身も、胸に抱いた野心を現実のものにする柔軟な心とスタミナを持ち合わせていた。ベリー・ゴーディは大切な彼女を映画『ビリー・ホリデイ物語/奇妙な果実』に出演させることになったとき、その両方である柔軟な心とスタミナをロスに求めたのだ。そしてゴーディの人生の大半がそうであるように、このプロジェクトもまたギャンブルだった。
シュープリームスでのダイアナはスーパースターだったが、彼女のソロ・キャリアは思うように軌道に乗らなかった。最初の6作のシングルのうち、ジャンルの垣根を越えて米国内で正真正銘の大ヒットとなったのは1曲のみ「Ain’t No Mountain High Enough」だったのである。他方、ジーン・テレルを新たなリード・シンガーに迎えた新生シュープリームスは同じ時期にトップ10シングルを2作放っていた。
ダイアナ・ロスと古巣のこうしたライバル関係はミュージカル『Motown: The Musical』でも描かれていたが、その劇中では彼女がソロで行うラスベガス公演の初日を満席にするためゴーディが行った離れ業も再現されている。彼は20ドル札を半分に切り、その晩のダイアナのライヴに来ればもう半分を渡すという約束のもと、その片割れを街中で配らせたのだ。
ハリウッドでのダイアナ・ロスは当時、あくまでもポップ・スターであり演技スキルは未知数だと考えられていた。それゆえ『ビリー・ホリデイ物語/奇妙な果実』の制作費が上振れした際、ゴーディは同作におけるパラマウント・ピクチャーズの持分を買い戻さなければならなかった。しかしこのギャンブルは成功し、同作が公開されると批評家からの賞賛と多額の興行収入がどちらも舞い込んだ。
また、ダイアナ・ロス自身もこの映画によって米アカデミー賞にノミネートされたほか、同作のサウンドトラック盤は彼女のキャリア最大のヒット作となってビルボード・チャートで最高位1位をマークし、最終的に同チャートには12ヶ月以上もランクインし続けた。これをきっかけにダイアナはレコード、コンサート、映画、テレビとマルチに活躍するスターとして、夢にまで見たような地位を確立。ロサンゼルスに拠点を移したモータウンも稼ぎ頭として彼女を重宝した。
ソロでの代表曲たち
彼女はソングライターたちの楽曲からインスピレーションを得ることに長けているが、そんな彼女独自の手法が特に際立った作品がいくつかある。1972年に制作されるも当時はリリースされなかったジャズ・アルバム『Blue』もその1つだ。また、同じくその好例である『Baby It’s Me』は、1972年から1979年のアルバム(サウンドトラック盤を除く)の中で唯一、単一のプロデューサー(リチャード・ペリー)が手がけた作品である。
楽曲単位では、大人向けのポップ・サウンドに仕上げられた「Touch Me In The Morning」「Theme From Mahogany (Do You Know Where You’re Going To)」「It’s My Turn」などが挙げられる。これら3曲はいずれもマイケル・マッサーが共作/プロデュースしたソープ・オペラ風のナンバーであり、編集盤『All The Great Hits』でまとめて聴くことができる。
ロスとマーヴィン・ゲイが非の打ち所のないパフォーマンスで10曲をデュエットした『Diana & Marvin』も1970年代におけるハイライトの1つ。同作にはベリー・ゴーディがプロデュースした「You’re A Special Part Of Me(噂の二人)」や、トム・ベルがスタイリスティックスに提供した楽曲のカヴァーである「Stop! Look, And Listen」と「You Are Everything」の2曲などが収められている。
アルバム『Last Time I Saw Him』と『Touch Me In The Morning』はどちらも、拡張版で聴くと新たな発見の多いアルバムだ。特に後者のボーナス・トラックには、当時は日の目を見ることがなかった70年代のプロジェクト『To The Baby』の楽曲も収録されているのである。
同様に、2012年に発売された1976年作『Diana Ross』(ジャケットの色合いからファンのあいだでは”ブラック・アルバム”とも呼ばれている)の拡張版も驚きに満ちている。そこには、彼女がエルトン・ジョン、ダニー・ハサウェイ、スライ・ストーンらの楽曲を取り上げたトラックも含まれているのだ。
一方、力強く大胆なダイアナの歌声を好む人は、彼女が故ハル・デイヴィスのもとで録音した楽曲を聴いてみるといい。ロサンゼルス時代のモータウンを代表するヒット・メーカーである彼によれば、世界中で人気を博した「Love Hangover」の録音にダイアナは消極的だったという。ハル・デイヴィスは「彼女はディスコ・ミュージックを嫌っていた」と回想し、スタジオにストロボ・ライトを焚き、彼女のお気に入りの酒であるウォッカを用意することで場の雰囲気を盛り上げたという。「(スタジオには)僕たち3人しかいなかったけど、まるでパーティーが開かれているみたいだった」と話している。
そんなお祭り騒ぎは彼女がニック・アシュフォード/ヴァレリー・シンプソンと再び手を組んだエネルギッシュな作品『The Boss』や、シックのナイル・ロジャースとバーナード・エドワーズを迎えた『Diana』でも続いた。特に後者は『ビリー・ホリデイ物語』のサントラ以来となるポップ・チャートの上位にランクイン。同作についてロジャースは「あれが彼女のモータウンでの最後のレコードになることは、本人しか知らなかった」と明かしている。
なお、ダイアナとシックのメンバーのコラボレーションについては現在も研究されたり、ブログが書かれたり、話題にされたりしているが、ロジャースの回顧録『Le Freak』にも当時のことが詳しく綴られている。
モータウン以降を離れたダイアナ
そうして彼女はモータウンを去った。その最後のアルバムが(サウンドトラック以外の作品として)自身最大のセールスを記録したことも、彼女の挑戦を後押ししたのだ。「Upside Down」や「I’m Coming Out」などの収録曲の人気も同作がヒットした大きな要因だった。
そしてその成功が追い風となり、彼女はRCAと新たなレコード契約を締結。さらに世界中に存在する数百万人のファンのニーズに応えるべく、北米以外の地域ではキャピトル/EMIと契約した。他方、ダイアナは1981年の映画『エンドレス・ラブ』の主題歌を作者のライオネル・リッチーと共に歌うことも打診されていた。
コモドアーズのフロントマンだったリッチーは当時ソロ・キャリアを歩み出そうとしており、この提案は彼の所属するモータウンにとっても好都合だったのである。こうして同社が独占リリース権を確保したその楽曲は、過去30年でも指折りの人気を誇るラヴ・ソングになった。
モータウンからスターを奪うことはできても、そのスターからモータウンを奪うことはできない。実際、ダイアナの1980年代の作品には、マイケル・ジャクソンとの数回に亘るコラボレーションや、マーヴィン・ゲイを追悼した1984年の感動的な楽曲「Missing You」、60年代の作風に回帰した「Chain Reaction」(作曲/プロデュースはビー・ジーズの面々)などが含まれる。特に「Chain Reaction」は、往年のモータウン・サウンドが衰え知らずの人気を誇る英国のチャートで首位を獲得した。
新たに自立心を育みつつあったダイアナは、積極的に自身の音楽をプロデュースしたり、自作曲を録音して世に出したりするようになった。また会社を立ち上げて、数々のテレビ特番やセントラル・パークでの歴史的なコンサートを自らプロデュースするようにもなった。
そして、ビジネスのノウハウを蓄えたダイアナは1989年にモータウンへ戻って以降、数々のアルバムでエグゼクティヴ・プロデューサーを務めた。ナイル・ロジャースと再び手を組んだ挑戦的なアルバム『Workin’ Overtime』、ピーター・アッシャーやジェームズ・アンソニー・カーマイケルをプロデューサーに迎え、大人向けの楽曲群を自信たっぷりに歌い上げた『The Force Behind The Power』、どちらも現代的でエネルギッシュなサウンドの『Take Me Higher(思い出にかわるまで)』と『Every Day Is A New Day』などもそれに当たる。
ロスは最後に挙げた2つのアルバムの合間の期間に、ある意味でビルボード・チャートのトップに立っていた。ノトーリアス・B.I.G.、メイス、パフ・ダディの3人がコラボして同チャートを制した「Mo Money, Mo Problems」のトラックは、「I’m Coming Out」を基に作られていたのだ。同曲をはじめ彼女の楽曲をサンプリングしたヒット曲は数多くあるが、モニカの「The First Night」とウィル・スミスの「Freakin’ It」にはどちらも「Love Hangover」が使用されている。
ダイアナ・ロスは現在もツアーで「I Will Survive」など彼女自身の人生と重なる楽曲群を披露し、輝きを放っている。ダイアナとベリー・ゴーディ・ジュニアの考えは正しかった。どんなに高い山でも、ファンたちと彼女のあいだを引き裂くことはできない。そして、それは永遠に変わらないだろう。
「この女性は、あなたや私と同じような1人の人間です。だから私は、彼女が胸に抱く感情は皆さんにも共感し得る感情だということを伝えたかったのです」
ヴァリシア・リケイ(ミュージカル『Motown: The Musical』ダイアナ・ロス役)
Written By uDiscover Team
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