クリーム解散宣言と解散後の『Goodbye』、そしてクラプトンが語る解散の理由

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1968年11月、セントラルパークにてボートにのるクリーム: Photo: Michael Ochs Archives/Getty Images

1968年7月10日、クリーム(Cream)は数カ月以内に解散することを発表した。彼らの3枚目のアルバム『Wheels Of Fire(クリームの素晴らしき世界)』がリリースされた直後であり、その年の全期間、あるいはそれ以前からこの発表を検討してきたエリック・クラプトンは、“方向性の違い”を理由にバンドの解散を発表したのだ。

とはいえ、ファン達にとってこの残念なニュースに慣れる猶予が残されていた。エリック・クラプトン、ジャック・ブルース、そしてジンジャー・ベイカーの3人は10月から解散ツアーを行い、11月26日にロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで行われたかの有名なファイナル・コンサートで最高潮の演奏をみせた。

そのツアーの直前、バンドはロンドンにあるIBCスタジオで「Badge」「Doing That Scrapyard Thing」そして「What A Bringdown」の3曲をレコーディングし、それらは彼らのラスト・アルバムとなった『Goodbye(グッバイ・クリーム)』に収録された。

1969年初頭に『Goodbye』は発売となったが、収録時間はわずか30分、解散ツアー中に収録したロサンゼルスのフォーラムでのライブ音源3曲の後に、新曲を3曲収録しただけのものであった。多くの人にとってクリーム最後の名曲となった「Badge」は、エリック・クラプトンの友人であるジョージ・ハリスンとの共作だ。クレジットには“ル・アンジェロ・ミステリオーソ”と記載されいるが、ジョージ・ハリソンがリズム・ギターを担当している。

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クラプトンが語る解散の理由と過酷な状況

エリック・クラプトンは2012年に行われたアンカット誌でのインタビューでクリーム解散についてこう説明している。

「労働環境が過酷だった。俺達は毎週6日間演奏していた。俺の体重は57キロまで落ちて、まるで屍みたいだった。かなりボロボロだったんだ。自虐的というよりも、セルフネグレクトだった」

「どんなに”今がバンドの全盛期だから”と思っていても、肉体的疲労が厄介なことに精神的にも響いてきていた。ジンジャーもジャックもダイナミックな性格の持ち主で俺は抗えなかった。俺はまるで24時間戦いっぱなしのような精神状態だったんだ。1日の半分は、どうにか平静を保とうと努めていた。そんななかで、クリエイティブで新しい音楽を作ろうとしていた」

「俺はマネージャーのロバート・スティグウッドを呼び出してこう言ったんだ。『もう終わらせてくれ、こいつらは気が狂ってる。何が何だかわからない、もう無理だ』と。すると彼はいつもどおり、『もう1週間だけ様子を見よう』と返してくる。他に目に見える選択肢がなければそれでも耐えられる。だけどそこに他の道が現れてしまったから、もう俺にとってはそこまでだった」

Written by Paul Sexton



クリーム『Goodbye』
1969年2月5日発売
CD / iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music


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