【動画付き】90年代を代表するミュージック・ビデオ39選

Published on

芸術性の高いショート・フィルムから、空想的なスタイルのビデオや皮肉のこもったパロディ作品まで、90年代を代表するミュージック・ビデオを厳選した。

ミュージック・ビデオというフォーマットは60年代に生まれ、80年代のMTVの登場により新たなレベルへと進化した。だがこの表現形式が創造性、商業性の両面で真の隆盛をみせたのは、90年代のビデオの数々を通じてであった。MTVの存在によって大衆に広く届けられるようになったことで、ミュージック・ビデオはリスナーとアーティストの距離を縮めただけでなく、ストーリーテリングの新たな方法を試す有効な実験の手段にもなったのである。

ミュージック・ビデオの黄金期となった90年代には、第二世代のビデオ作家も数多く登場した。スパイク・ジョーンズを筆頭に、デヴィッド・フィンチャー、ハイプ・ウィリアムズ、ジョナサン・グレイザー、マーク・ロマネク、クリス・カニンガム、ピーター・ケア、ミシェル・ゴンドリーなど時代を牽引した映像作家たちは、芸術性を思いのままに発揮して、壮大なショート・フィルムを作り上げたのである。

絢爛でド派手なビデオから、リアリティーを重視した素朴な作品、シュールなファンタジー、懐古主義的な作品まで、90年代を代表するミュージック・ビデオの数々を紹介しよう。

<関連記事>
【特集】パルプ/PULPの歴史
【動画付】1993年に発売されたアルバム・ベスト71
90年代大特集:グランジからブリット・ポップ、R&Bやヒップホップの台頭まで
忘れられた90年代バンド10組:再評価すべき忘れられたアーティストたち


 

39位: パルプ「Common People」(1995年) / 監督: フロリアン・ハビクト

パルプは、カリスマ的フロントマンのジャーヴィス・コッカーが率いるシェフィールド出身の5人組。彼らは90年代中盤に活況を呈し、大きな影響力を誇ったブリットポップ・ムーヴメントをオアシスやブラーとともに牽引した。

そんな彼らの英国における最大のヒット曲である「Common People」は、労働者階級の生活を興味本位で覗き見る中流階級の人びとを皮肉交じりに批判した一曲。

同曲のカラフルなビデオでは、まばゆいヴィジュアルや演奏シーン以外の場面のシュールさが、コッカーの冷笑的な歌詞を引き立てている。そこには、俳優のセイディ・フロストも効果的な形でカメオ出演。小さくなったコッカーが入ったショッピング・カートを押す彼女の姿が印象深い。

 

38位: ベック「Where It’s At」(1996年) / 監督: スティーヴ・ハンフト

オルタナティヴ・ロック界のレジェンドであるベックは、変幻自在なサウンドで知られる。それゆえ、ヒップホップの要素を取り入れたトリップ感のある一曲「Where It’s At」 (グラミー賞に輝いた5thアルバム『Odelay』収録) の奇抜なビデオで、彼がいくつもの人物を演じているのもしっくりくる。彼はゴミ収集をする受刑者に始まり、車のセールスマン、さらにはホラー映画に登場する悪霊”キャンディマン”にも扮しているのだ。

このビデオは1996年8月、MTVの姉妹チャンネルとして開局したMTV2の記念すべき最初のビデオとして放送され、その1ヶ月後にはMTVビデオ・ミュージック・アワードで最優秀男性ビデオ賞に選ばれた。

 

37位: オアシス「Wonderwall」(1995年) / 監督: ナイジェル・ディック

ノエル・ギャラガーが作曲し、多くのアーティストにカヴァーされてきたアンセム「Wonderwall」は、オアシスの創造性が頂点に達した楽曲だと広く考えられている。そしてそのタイトルは、ジョージ・ハリスンによる実験的なアルバム『Wonderwall Music (不思議の壁)』から取られたという。

ロンドンで撮影された同曲のビデオは、僅かなあいだだけ映るギャラガーのギター (蛍光の緑色に着色されている) 以外、白黒で制作されている。メンバーたちの不機嫌そうな態度からはビデオ制作への関心の薄さが感じられるが、それでも「Wonderwall」は1996年のブリット・アワードで最優秀ブリティッシュ・ビデオ賞に輝いた。

 

36位: ウィーザー「Buddy Holly」(1994年) / 監督: スパイク・ジョーンズ

カリフォルニア出身の4人組パワー・ポップ・バンドによる「Buddy Holly」は、彼らのセルフ・タイトルのデビュー作からの2ndシングルだ。創意に富む同曲の印象的なビデオでメンバーたちは、1950年代にタイム・スリップしたような風貌 (撫でつけた髪とベージュのカーディガンが特徴的だ) に身を包み、70年代のアメリカの人気コメディ・ドラマ『ハッピーデイズ』のセットで演奏している。

監督のスパイク・ジョーンズは、バンドのパフォーマンスのために『ハッピーデイズ』のレストランを再構築し、さらには同番組の出演者であるアル・モリナロ本人をカメオ出演させた。その上、ジョーンズはグループの演奏シーンと実際のドラマのシーンを自然な形で繋ぎ合わせることにより、最新鋭でありながら懐かしさを感じさせる映像を完成させたのである。記憶に残るこのビデオは間違いなく、90年代でも指折りの完成度と独創性を備えたミュージック・ビデオといえよう。

 

35位: ファットボーイ・スリム「Praise You」(1998年) / 監督: スパイク・ジョーンズ

90年代を代表するファットボーイ・スリムのダンス・ナンバー「Praise You」のビデオは、ポップで出来のいいプロモ・ビデオを作るのに多額の予算は必要ないことを証明している。その制作費はたった800ドルだったと言われているが、そのDIY的な制作アプローチを考えれば、それも驚くようなことではない。この映像は、ロサンゼルスにあるフォックス・ブルーイン・シアターの外で、何も知らない一般の人びとの前でゲリラ的に撮影されたものなのだ。

監督のジョーンズはリチャード・カウフィーという変わり者の振付師に扮し、トーランス・コミュニティ・ダンス・グループという架空のフラッシュ・モブ集団を率いた。そんな「Praise You」は1999年のMTVビデオ・ミュージック・アワードで3冠を手にしたが、その中には最優秀振付賞も含まれていた。

 

34位: ブリトニー・スピアーズ「Baby One More Time」(1998年) / 監督: ナイジェル・ディック

ミシシッピ生まれの16歳だったブリトニー・スピアーズは、このデビュー・シングルで一躍”プリンセス・オブ・ポップ”として知られるようになった。そしてその成功を後押ししたのが、授業に退屈しきった制服姿のスピアーズが登場するこのミュージック・ビデオだ。これは一方で物議を醸し、彼女の”へそ出しルック”と挑発的なダンスに対して、心配性気味のアメリカ中の親たちから苦情が寄せられる事態にもなった。

1999年のMTVビデオ・ミュージック・アワードでは3部門にノミネートされながら受賞は逃したが、2001年にVH1が発表した”もっとも偉大なビデオ100選”では90位にランクインした。

 

33位: マドンナ「Vogue」(1990年) / 監督: デヴィッド・フィンチャー

「Vogue」は、映画『ディック・トレイシー』を基にしたサウンドトラック・アルバム『I’m Breathless』に収録された魅惑的なダンス・トラック。”クイーン・オブ・ポップ”の異名で知られるマドンナは、同曲でハウス・ミュージックの領域に足を踏み入れている。そして、のちに長編映画監督として名を成すデヴィッド・フィンチャーが監督した同曲のビデオは、ハリウッドの黄金期にオマージュを捧げた一本だ。

そのスタイリッシュな白黒の映像や、アール・デコ調の絢爛なセットはレトロな気品を滲ませている。現在では90年代を代表する象徴的なビデオと評価されている「Vogue」は複数の賞に輝いたほか、2019年には1億回再生を突破した。

 

32位: レディオヘッド「Karma Police」(1997年) / 監督: ジョナサン・グレイザー

現実離れしたデヴィッド・リンチのネオ・ノワール映画『ロスト・ハイウェイ』に着想を得た監督のグレイザーは、レディオヘッドの「Karma Police」のビデオを陰湿な雰囲気に仕上げた。その内容は、車に乗ったメンバーのトム・ヨークが人気の無い夜道で、逃げ惑う中年の男を追うというもの。最終的にヨークはその人物を追い詰めるが、そこで形勢が劇的に逆転し、驚きと衝撃に満ちた結末を迎えるのである。

レディオヘッドの音楽はポップ界の常識にことごとく逆らってきたが、そのビデオにも同じく型破りなものが多い。彼らは商業的で甘ったるいビデオを嫌い、革新的な映像制作を支持してきたのである。

 

31位: サウンドガーデン「Black Hole Sun」(1994年) / 監督: ハワード・グリーンハルジュ

シアトル出身のグランジ・バンド、サウンドガーデンのキャリアは4thアルバム『Superunknown』で頂点を迎えた。グラミー賞を受賞したシングル「Black Hole Sun」も同作の収録曲で、そのタイトルはシンガー/ギタリストのクリス・コーネルがテレビのニュース速報を聞き間違えたところから生まれたのだという。そして世界の終末を思わせる同曲のビデオも、この曲名をヒントに作られたもの。

このビデオではサウンドガーデンのメンバーたちの演奏シーンが、郊外で日々の生活を送る人びとのシュールな映像と組み合わされている。そこでの人びとは大袈裟で不気味なニヤケ顔を浮かべているが、最後にはそれが怯えた表情に変わり、”ブラック・ホールの太陽”に吸い込まれていくのだ。

 

30位: ローリン・ヒル「Doo Wop (That Thing)」(1998年) / 監督: モンティ・ホワイトブルーム、アンディ・デラニー

フージーズの元メンバーであるヒルの代表作となったデビュー・アルバム『The Miseducation Of Lauryn Hill』のハイライトの一つである「Doo Wop (That Thing)」。グラミー賞で2冠を獲得したこのアンセムは、ストリート事情に精通したヒップホップと洗練されたソウルが融合した彼女らしい一曲だった。

そんな同曲のビデオでは、画面分割の技術を巧みに使用することで、ヒルが21年の年月を隔てた二つの役柄を演じている。画面左ではビーハイブのヘアスタイルが特徴的な1967年の女性に、画面右では1998年に生きる人物に扮しているのだ。

「Doo Wop (That Thing)」のビデオは1999年のMTVビデオ・ミュージック・アワードで4つの賞に輝いたほか、その2年後にVH1が発表した”もっとも偉大なビデオ100選”のランキングでは74位に選ばれた。

 

29位: アラニス・モリセット「Ironic」(1995年) / 監督: ステファン・セドゥナウィ

オンタリオ出身のシンガー/ソングライターであるモリセットは、3rdアルバム『Jagged Little Pill』で無骨なオルタナティヴ・ロックの領域に足を踏み入れ、世界中の熱心なリスナーに自らの音楽を知らしめた。同作からの3rdシングルとなった「Ironic」は、人生における皮肉な出来事が列挙されるほろ苦い一曲。

この曲には、シンガーであるモリセットが雪景色の中をドライヴしていると、別の姿をした彼女自身が次々と車内に現れるという印象的な内容のビデオも作られた。このビデオはMTVビデオ・ミュージック・アワードで6部門にノミネートされ、そのうち最優秀女性ビデオ賞を含む3つの賞を受賞。VH1の”もっとも偉大なビデオ100選”でも18位にランクインした。

 

28位: エアロスミス「Cryin’」(1993年) / 監督: マーティ・コールナー

ハード・ロック・バンドであるエアロスミスの有名なパワー・バラード「Cryin’」のビデオでは、ハリウッドの新星だったアリシア・シルヴァーストーンとスティーヴン・ドーフが恋人同士を演じた。そこにはエアロスミスの演奏シーンも時折挿入されるが、ビデオの主眼はこのカップルに置かれている。

ドーフがシルヴァーストーンを裏切ったことで二人は別れることになり、後者は自分探しの旅に出るのだ。そして彼女は個性を表現するため、へそにピアスを開けるのだが、このシーンはボディ・ピアスが世間で広く認められるきっかけになったとも言われている。

若手スターの出演と終盤の驚きの展開により「Cryin’」のビデオは人気を博し、1993年のMTVでもっとも多くのリクエストを受けた一本になった。

 

27位: TLC「Waterfalls」(1995年) / 監督: F・ゲイリー・グレイ

TLCは、ティオンヌ・”T-ボズ”・ワトキンス、リサ・”レフト・アイ”・ロペス、ロゾンダ・”チリ”・トーマスの3人から成るアトランタ出身のR&Bグループ。避けられるはずだったリスクが致命的な結果を生むと警告する「Waterfalls」は、彼女たちの3rdアルバム『CrazySexyCool』の中でも傑出した一曲である。

同曲の歌詞は、TLCの3人が全能の女神のように海の中に立つ、示唆に富んだビデオで鮮やかに映像化された。そして彼女たちは、麻薬取引のトラブルで命を落とす若者と、避妊をしない性交渉によるエイズ感染という二つの悲劇を歌うのだ。90年代を代表するミュージック・ビデオの一つである「Waterfalls」は、1995年のMTVビデオ・ミュージック・アワードでも4つの賞を獲得した。

 

26位: パール・ジャム「Jeremy」(1991年) / 監督: マーク・ペリントン

シアトル出身のパール・ジャムは1990年代におけるオルタナティヴ・ロックのパイオニアであり、「Jeremy」はそんな彼らのデビュー・アルバム『Ten』からの3rdシングルである。ダークで不穏なこのバラードは、クラスメイトの前で拳銃自殺した学生に関する実話を基にしている。

映像作家のぺリントンはこの曲のために、コラージュの技法を駆使して没入感のあるビデオを作り上げた。そこでは物語を描くドラマ (若手俳優のトレヴァー・ウィルソンが問題を抱えたジェレミー少年を演じた) と、バンドの音楽と、画面上に僅かなあいだだけ現れる文字 (聖書からの引用も含まれる) が細かいカット割りで繋ぎ合わせられている。クライマックスの場面は物議を醸したものの、「Jeremy」は1993年のMTVビデオ・ミュージック・アワードで4部門を制した。

https://www.youtube.com/watch?v=MS91knuzoOA&pp=ygUh44OR44O844Or44O744K444Oj44Og44CMSmVyZW1544CN

 

25位: レッド・ホット・チリ・ペッパーズ「Give It Away」(1991年) / 監督: ステファン・セドゥナウィ

ロサンゼルス出身の4人組ファンク・ロック・バンドである彼らは、見た目が奇抜でスタイリッシュな「Give It Away」のビデオで急激にファン層を広げた。このビデオはMTVで凄まじい人気を博し、彼らの音楽を一気にメインストリームへと押し上げたのだ。

フランス人監督のセドゥナウィは、メンバーたちの体に銀色のアクリル絵の具 (それにより彼らは派手に光り輝いている) を塗った上で、白黒のフィルムを使用し砂漠でこのビデオを撮影。その制作費はおよそ14万ドルほどだったという。彼はまた、様々なカメラ・アングルや映像技術を駆使して洗練された映像のプロモーション・ビデオを作り上げたが、バンドの所属レーベルはその仕上がりについて”芸術性を狙い過ぎている”と感じていたようだ。

とはいえ、「Give It Away」は1992年のMTVビデオ・ミュージック・アワードで画期的ビデオ賞と最優秀芸術監督賞を受賞した。

 

24位: ガンズ・アンド・ローゼズ「November Rain」(1992年) / 監督: アンディ・モラハン

ド派手なハード・ロック/メタル・バンドとして知られるガンズ・アンド・ローゼズも、「November Rain」では自分たちの繊細な側面を披露した。悲しみに満ちた同曲は、彼らの3rdアルバム『Use Your Illusion I』からのシングルに選ばれたバラードだ。

ビデオは、150万ドルという史上最高規模の予算をかけて制作された。その主な要因は撮影地の高額な使用料や、ギタリストのスラッシュによるギター・ソロのシーンのために木造の教会をメキシコに運ぶ輸送料などだったという。

ストーリーはアクセル・ローズが愛する女性 (当時の実際の恋人が演じた) と結婚し、そのあと彼女に先立たれるというもの。生命と愛と死を描いた壮大な物語である。

 

23位: スパイス・ガールズ「Wannabe」(1996年) / 監督: ヨハン・カミッツ

“ガール・パワー”はUK出身のスパイス・ガールズにとっての重要なスローガンだった。そして、オーディションにより結成された5人組である彼女たちのデビュー・シングル「Wannabe」は、世の女性たちを勇気付けるキャッチーなアンセムであった。

ポップとラップを融合させたその作風により、同曲は瞬く間に全英チャートを急上昇。こうした成功の一つの要因になったのが、あまりにエネルギッシュなミュージック・ビデオだった。有名ブランドのテレビCMを手がけていたことで知られるスウェーデン人監督のカミッツは、ロンドンのホテルで楽しそうにはしゃぎ回る彼女たちの姿を映像に収めた。

このビデオはイギリスのケーブル・テレビの音楽チャンネルであるザ・ボックスで放映されたのをきっかけに人気を博し、1年後の1997年にはMTVビデオ・ミュージック・アワードで最優秀ダンス・ビデオ賞に輝いた。

 

22位: コーン「Freak On A Leash」(1999年) / 監督: トッド・マクファーレン

カリフォルニア出身の5人組ニュー・メタル・バンド、コーンのデビュー・アルバム『Follow The Leader』に収録された「Freak On A Leash」。そのビデオは彼らの音楽と同様、一切の妥協のない刺激的な作風だった。

アニメーションによる冒頭のパートでは、夜間に立入禁止区域に侵入し、崖の先端でケンケン遊びをする子どもたちの姿が描かれる。それを見つけた警備員が彼らを捕まえに行くが、誤って彼の拳銃が暴発してしまうのだ。そのあと映像は、物を壊しながら飛んでいく銃弾の軌道を追いかけ、バンドの演奏シーンを含む実写のパートへと移っていく。

グラミー賞の1部門を含む3つの賞に輝いたこのビデオは、YouTubeで現在までに2億回以上再生されている。

 

21位: ブラー「Coffee & TV」(1999年) / 監督: ハマー&トングズ

オアシス、パルプとともにブリットポップ界の”三位一体”の一角を成すロンドン出身のブラーは、デーモン・アルバーンがフロントマンを務めるグループだ。しかしこのシングル「Coffee & TV」ではグレアム・コクソンがリード・ヴォーカルを取っており、同曲の愛らしいビデオも彼を中心に構成されている。

冒頭では彼が行方不明になっていることが示され、両親の家にある牛乳パックの側面にも彼の写真が載っている。そしてこの牛乳パック (その名も”ミルキー”) は意思を持って動き出し、自らコクソンの捜索を開始。最後には、ユーモラスだが心の痛む結末が待っている。

NMEやMTVの賞を獲得したこのビデオは、2002年にVH1が纏めた”もっとも偉大なビデオ100選”の調査で4位に選ばれた。

 

20位: R.E.M.「Crush With Eyeliner」(1994年) / 監督: スパイク・ジョーンズ

アセンズ出身のR.E.M.はオルタナティヴ・ミュージック・シーンとともに発展を遂げていったが、彼らはミュージック・ビデオの世界でも多大な影響力を誇った。「Losing My Religion」、「Everybody Hurts」、「Man On The Moon」などに代表されるように、彼らはMTVの代名詞といえる存在だったのである。

他方、彼らのキャリアにおいてはメンバーたちがビデオに出演しないことが多かった。これは、マイケル・スタイプが音源に合わせて口パクするのを嫌ったからである。

アルバム『Monster』収録の「Crush With Eyeliner」は、グループがそのサウンドを劇的に変化させ、グラム・ロックの影響を取り入れた一曲。同曲のビデオでは、彼らの音楽的な変化を象徴するように、洒落た日本人のバンドがR.E.M.の面々に成り代わっている。

 

19位: シネイド・オコナー「Nothing Compares 2 U (愛の哀しみ)」(1990年) / 監督: ジョン・メイベリー

シネイド・オコナーがプリンス作の楽曲をカヴァーした「Nothing Compares 2 U」のプロモ・ビデオは、90年代の多くのミュージック・ビデオとはまるで対照的な作風だった。シュールなイメージ映像や派手なヴィジュアルを排したそのビデオでは、丸刈りのオコナーが大写しになり、失恋した気持ちを力強く歌い上げているのだ。

楽曲そのものに劣らぬほど印象的なこのビデオは、MTVビデオ・ミュージック・アワードで最優秀ビデオ賞を獲得。アイルランド人シンガーであるオコナーは、この賞を手にした最初の女性アーティストになった。

 

18位: ブラインド・メロン「No Rain」(1993年) / 監督: サミュエル・ベイヤー

バンドのキャリアを決定づけたシングル「No Rain」のミュージック・ビデオを制作することになったとき、ブラインド・メロンの面々は自分たちのデビュー・アルバムのジャケット (ドラマーのグレン・グレアムの妹がハチの衣装を着た写真) に目を向けた。そうして誕生したのは、ミュージック・ビデオ史上もっとも記憶に残り、人びとの共感を呼ぶキャラクターだった。

通称”ビー・ガール”と呼ばれるその不器用な子どもは、他者との繋がりを求めて彷徨うのだ。

 

17位: ジョージ・マイケル「Freedom! ’90」(1990年) / 監督: デヴィッド・フィンチャー

ナオミ・キャンベル、クリスティ・ターリントン、タチアナ・パティッツ、シンディ・クロフォードといったスーパーモデルたちが登場し、柔らかな照明、ピアス、官能的な表情のアップなどがふんだんに盛り込まれたこのプロモ・ビデオは、香水のCMと勘違いするのも無理はない仕上がりだ。

当時もっとも人気のあるミュージック・ビデオ監督だったデヴィッド・フィンチャーは、音楽と流行のスタイルを融合させ、90年代を象徴する熱のこもったビデオを作り上げた。

 

16位: フィオナ・アップル「Criminal」(1996年) / 監督: マーク・ロマネク

“この世界はデタラメ”というスピーチで知られるフィオナ・アップル。現像した写真の99%に赤目が混じっていた時代に、彼女はいかがわしいポラロイド写真から70年代の居間に飛び出したような出で立ちでビデオに登場した。要するに、「Criminal」は90年代のミュージック・ビデオの典型といえる一本なのである。

その刺激的な映像は、自分の性的魅力を利用することを歌った歌詞に則った内容だったが、アップルはそれにより厳しい批判を受けることとなった。現在もアップルのキャリアでもっとも成功したシングルとなっている「Criminal」のビデオは、そののちに作られたアメリカン・アパレル社の広告の礎を築いたともいえよう。

 

15位: レディオヘッド「Paranoid Android」(1997年) / 監督: マグナス・カールソン

90年代に入るころ、MTVはミュージック・ビデオを放送するだけの媒体ではなくなっていた。当時の音楽を使用したテレビ・アニメも、同局で放送されるようになっていたのだ。そのため、レディオヘッドがアニメーションによる大作である「Paranoid Android」を公開したときは、同局にぴったりの一本だと感じられたものである。

このビデオを制作したのは、『Robin』というアニメ・シリーズのクリエイターであるスウェーデン人のマグナス・カールソン。シュールで露骨な表現も含んだこのショート・フィルムは、親世代を震え上がらせると同時に、12歳から34歳までの主要なターゲット層を魅了したのだった。

 

14位: ザ・ヴァーヴ「Bitter Sweet Symphony」(1997年) / 監督: ウォルター・スターン

ブリットポップ界を代表するこの曲のストリングスのイントロを聞くと、シネイド・オコナーのビデオ同様、細身のリチャード・アシュクロフトがロンドン東部のホクストンの通りを闊歩する姿が自然と頭に浮かんでくる。

ワン・ショットで撮られたマッシヴ・アタックの「Unfinished Sympathy」のビデオに影響を受けたと思しきこの作品では、アシュクロフトが活気ある街を突き進む様子が映し出される。その中で彼は歩行者たちと何度もぶつかるが、まるで平然としているのだ。これが自己実現の象徴なのか、単なるうぬぼれの象徴なのか――それは自分の目で判断してほしい。

 

13位: スマッシング・パンプキンズ「1979」(1995年) / 監督: ジョナサン・デイトン、ヴァレリー・ファリス

ありふれた日常の場面を切り取ったスマッシング・パンプキンズのヒット・シングル「1979」のプロモ・ビデオほどに、郊外の人びとの退屈ぶりをうまく表現したミュージック・ビデオがほかにあるだろうか?

2枚組アルバム『Mellon Collie And The Infinite Sadness (メロンコリーそして終りのない悲しみ)』の収録曲のビデオは、大半が浮世離れしたものばかりだ。他方、魚眼レンズの映像から若者のパーティーのシーンに至るまでそうした楽曲とは完全に一線を画したこのビデオは、思春期の懐かしい日々を思い出させてくれる。

 

12位: 2パック「California Love feat. Dr. Dre」(1995年) / 監督: ハイプ・ウィリアムズ

ウェスト・コースト・ヒップホップ界を代表する2パックの刺激的なアンセム「California Love」はあまりに大きな話題を呼んだことから、ミュージック・ビデオも二種作られた。そもそも90年代のヒップホップ界で主流となっていたのは、装飾品などで飾った派手なビデオだった。特に、東海岸のバッド・ボーイ・レコードはそうした作風を好んだのである。

他方、ハイプ・ウィリアムズが監督したこの作品は同じような額の制作費をかけながら、もっと異国情緒溢れる場所で撮影された。その結果、『マッドマックス』の映画とバーニング・マンのイベントが融合したような、壮大でディストピア的な世界観 (文明滅亡後のオークランドが舞台になっている) が生まれたのである。

ビデオの最後に2パックは”夢”から目覚め、続編となるリミックス・ヴァージョンのそれへとストーリーが続いていく。そして、その二本目のビデオに映るのは砂漠を走るジープではなく、カスタム車やコンプトンでのハウス・パーティーなのである。

 

11位: プロディジー「Smack My Bi**h Up」(1997年) / 監督: ジョナス・アカーランド

ビッグ・ビート・サウンドのこのシングルについては、保守的なラジオの検閲に際して”Snap My Picture”のタイトルが使用された。そしてエレクトロ・パンク・グループのプロディジーは、同曲の挑発的なミュージック・ビデオでMTVを唖然とさせた。というのも、終始一人称視点で撮られたこのビデオでは、セックス、ドラッグ、破壊行為、暴力に満ちた狂気の一夜が描かれるのだ。

最後には、散々に暴れ回った主人公が女性であったことが明かされる。この露骨な内容のビデオはすぐに世間の反発を呼んだが、そうした騒動も結局はその人気に拍車をかけただけだった。

 

10位: バスタ・ライムス「Gimme Some More」(1998年) / 監督: ハイプ・ウィリアムズ

ミュージック・ビデオ監督のハイプ・ウィリアムズは無尽蔵の発想力を持ち合わせ、ヒップホップの映像表現の限界に挑んだ。それゆえ、彼が手がけたビデオだけでこのリストを構成することだって容易い。

そんなウィリアムズには、ミシェル・ゴンドリーにとってのビョークのように相性の良いミューズが存在した。それがバスタ・ライムスだったのである。この「Gimme Some More」で彼は、捻くれた『ルーニー・テューンズ』のような世界観を構築し、誰もが取り入れていた魚眼レンズの技法をたった一人で確立したのだった。

 

9位: ケミカル・ブラザーズ「Elektrobank」(1997年) / 監督: スパイク・ジョーンズ

作家性の強いインディー系映画監督になる以前、ソフィア・コッポラはスパイク・ジョーンズが監督したビデオにアクロバティック体操の選手として出演していた。

床の演技で彼女が繰り出す複雑な回転技の数々は、ケミカル・ブラザーズの2ndアルバム『Dig Your Own Hole』に収録されたインストゥルメンタル・トラックのヘヴィなビートと完璧に調和している。淡い色調と映画的なスタイルが特徴のこのビデオは、ミュージック・ビデオというより単館上映のショート・フィルムのような質感である。

 

8位: ビースティ・ボーイズ「Sabotage」(1994年) / 監督: スパイク・ジョーンズ

世界には二種類の人間がいる。スパイク・ジョーンズの手がけた「Sabotage」のミュージック・ビデオがビースティ・ボーイズ史上一番だと考える人と、Bボーイとロボットを面白可笑しく組み合わせた「Intergalactic」の方を好む人だ。

だが私たちは、70年代の警察ドラマをパロディ化したミュージック・ビデオの原型を作ったといえる「Sabotage」の方を推したい。

 

7位: マイケル&ジャネット・ジャクソン「Scream」(1995年) / 監督: マーク・ロマネク

そもそも、マイケル・ジャクソンのミュージック・ビデオに勝るものがあるだろうか?しかも、ここでは兄妹が宇宙へと飛び出すのだ!

「Scream」はマイケルとジャケットが共演し、マイケルの1995年作『HIStory』に収録された一曲。スケールがあまりに大きく印象的なそのビデオは、一度見れば頭から離れない。宇宙時代を舞台にしたこの一本には、ミュージック・ビデオ史上最高額の制作費がかけられたともいわれる。そしてその中では、ジミー・ジャムとテリー・ルイスが手がけたインダストリアル調のビートに乗せて、兄妹がリフレインを歌い上げる。

未来的な白黒の映像には上述のように多額の費用がかけられたが (7つの撮影スタジオを構築するなどして実に700万ドルを要したという) 、そのおかげで90年代という時代を決定づけるミュージック・ビデオが誕生したのである。また、この曲は「P.Y.T.」 (マイケルによる1982年の大ヒット作『Thriller』収録) 以来初めて、兄妹がスタジオで共演した記念すべき楽曲でもある。

 

6位: ミッシー・エリオット「The Rain (Supa Dupa Fly)」(1997年) / 監督: ハイプ・ウィリアムズ

詩的かつ不条理なミッシー・エリオットの楽曲の世界観を映像化するのに、ハイプ・ウィリアムズより適した人物はいないだろう。彼は光沢のある衣装が好まれた当時の流行に、アフロフューチャリズムや”世界一クールなゴミ袋”などの要素を如才なく組み合わせてみせた。

そもそもこの曲は、アン・ピーブルズが1973年に発表したシングルをカヴァーしたもの。ティンバランド、ダ・ブラット、パフ・ダディらがカメオ出演した同曲のビデオで、彼女はソロ・キャリアを一気に軌道に乗せたのである。

 

5位: ダフト・パンク「Around The World」(1997年) / 監督: ミシェル・ゴンドリー

ミシェル・ゴンドリーは90年代に幻想的なミュージック・ビデオを多数制作して腕を磨いたあと、長編映画の分野へと進出。その中で、ミュージック・ビデオ界における重要なトレンド (ワン・ショット撮影) も作り出した。

そんなゴンドリーが手がけた50以上のビデオの中でも指折りの傑作といえるのが、シンクロしたダンスが特徴的な「Around The World」のビデオである。この曲は、ダフト・パンクが世界を手中に収めるきっかけとなったシングル曲。すべてのダンサーがビート、シンセの音、サウンドにぴったりと合わせて踊るこの作品は、最高の連携プレーによって作り出されている。

 

4位: ニルヴァーナ「Smells Like Teen Spirit」(1991年) / 監督: サミュエル・ベイヤー

ニルヴァーナは「Smells Like Teen Spirit」を発表したことでメインストリームでの成功を手にした。そしてそれと同様、同曲の荒々しいビデオは、MTVの視聴者層にとってグランジ・カルチャーや10代の反抗心の象徴となった。視聴者たちは朝食を取りながらこの一本を楽しんでいたのである。

その場面設定は、アメリカの高校に通った人には馴染み深いものだろう。スポーツの壮行会の会場は、アナーキーなチアリーダーとカート・コバーンの激しいパフォーマンスのせいで大混乱に陥るのだ。

 

3位: ナイン・インチ・ネイルズ「Closer」(1994年) / 監督: マーク・ロマネク

昔ながらの手回し式カメラを使用し、肉体から分離した心臓、回転する豚の頭、SMの拘束具を身につけたトレント・レズナーの姿などを、スタイリッシュでありながら変態性の高い映像に落とし込んだこの一本。

そんなナイン・インチ・ネイルズの「Closer」のビデオは、MTVで放送される映像というより、どこからか発見されたヴィクトリア朝時代の殺人フィルムのようである。歌詞にしろヴィジュアルにしろ職場では到底流せない内容だが、この楽曲とビデオは非常に大きな成功を収めた。ビデオに登場するサルには、撮影中に危害は一切加えられていないことも念のため書き添えておこう。

 

2位: ビョーク「All Is Full Of Love」(1999年) / 監督: クリス・カニンガム

アーティストたちの中には、ミュージック・ビデオは単なる宣伝の手段ではなく、芸術表現の延長であると考える者もいる。そして、ビョークはその最たる例といえよう。彼女は「Human Behaviour」でこの媒体に手を染めて以来、ミュージック・ビデオの可能性を押し広げていった。彼女がビデオを楽曲にとって不可欠な構成要素の一つと考えていたことは、SFの世界観の中で愛を表現した「All Is Full Of Love」のそれにも明らかである。

監督を務めたクリス・カニンガム (エイフェックス・ツインの「Come To Daddy」の物騒なビデオも彼の作品だ) の考案した”カーマ・スートラと産業的なロボット工学を組み合わせる”というコンセプトの実現にあたっては、『エイリアン3』などの映画で特殊メイクや模型製作を担当してきた彼の経験が存分に活かされた。

 

1位: ジャミロクワイ「Virtual Insanity」(1996年) / 監督: ジョナサン・グレイザー

イギリスのポップ/ソウル・グループであるジャミロクワイは、目を疑うような不思議なプロモ・ビデオを作った。90年代のミュージック・ビデオに関するランキングは、この一本なしでは成立し得ないだろう。目が眩むようなその映像は、彼らのアルバムのタイトルである『Travelling Without Moving』 (動かずに移動する、の意) をそのまま具現化している。

このビデオによって彼らは一躍世界的なグループへと成長したが、世の人びとはその驚くべき技術力と、ジェイ・ケイの被るモコモコしたトップ・ハットの両方に困惑したものだった。

 

Written By uDiscover Team



 

 

Share this story

Don't Miss

{"vars":{"account":"UA-90870517-1"},"triggers":{"trackPageview":{"on":"visible","request":"pageview"}}}
モバイルバージョンを終了