オルタナティブ・カントリーのシンガーソングライター、トッド・スナイダー逝去。その功績を辿る
オルタナティブ・カントリーのシンガーソングライター、トッド・スナイダー(Todd Snider)が、2025年11月14日、肺炎のためナッシュビルで逝去した。享年59だった。
この訃報を受けて、彼のレーベルであるAimless, Inc. Headquartersは、ソーシャルメディアに次のような追悼メッセージを投稿している。
「避けがたい現実を忘れさせ、幾度となく90分間の気晴らしを与えてくれた彼なしで、私たちはどうやって前に進んでいけばよいのでしょう。 いつも18分をかけて物語を語ってくれた彼という存在なくして。それでも私たちは、愛と思いやり、そして平和のメッセージが込められた彼の物語と歌を胸に抱き、これからも歩き続けていくつもりです」
今月初め、トッド・スナイダーは、最新アルバム『High, Lonesome and Then Some』(2025年10月17日発売)を携えたツアーの残り日程をすべてキャンセルすると発表していた。これは、彼が米ソルトレイクシティで暴行事件に巻き込まれた後のことだった。11月3日にSNSへ投稿された声明では、彼が“重傷”を負い、現在は“不確定期間”パフォーマンスができない状態にあると説明されている。
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その生涯
トッド・ダニエル・スナイダーは1966年10月11日、オレゴン州ポートランドで、専業主婦の母ヴェラ・ミシェル(バセット)・スナイダーと、建設業に従事する父ダニエル・ポール・スナイダーの間に生まれた。
16歳で家を出て全米を放浪した彼は、やがてメンフィスへと辿り着き、ジミー・バフェットのマルガリータヴィル・レーベルと契約。その後、ジョン・プラインが設立したオー・ボーイ・レコードへ移籍した。
1994年にデビューアルバム『Songs for the Daily Planet』をリリースした彼は、すぐにジョン・プラインのようなフォーク/カントリーの伝説的存在の系譜に連なるソングライターとしての地位を確立し、自称“ナッシュビルのアンチヒーロー”として知られるようになった。
トッド・スナイダーは、1996年の『Step Right Up』、1998年の『Viva Satellite』、2000年の『Happy to Be Here』、そしてオルタナティブ・カントリー音楽の重要作として広く評価されている2004年の『East Nashville Skyline』をはじめ、そのキャリアを通じて少なくとも15作のアルバムを発表。
薬物依存症のためこれまで何度かリハビリ施設に入所してきた彼は、ローリング・ストーン誌のインタビューの中で、自身の最後のアルバム『High, Lonesome and Then Some』について、“すべて自身の心の痛み”を表現した作品であり、「良くなったとは言えないし、良くなるとも思っていない。この10年間は私生活で本当に辛い思いをした」と明かしていた。
Written By Sam Armstrong
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