英国のフォーク・バンド、ザ・ウォーターソンズのノーマ・ウォーターソンが逝去。その功績を辿る

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Norma Waterson - Photo: Jon Lusk/Redferns

その凛とした美しい歌声で、弟のマイクと妹のラル、そして夫のマーティン・カーシーと共にザ・ウォーターソンズ(The Watersons)のメンバーとして活躍し、イギリスのフォーク・ミュージック・シーンにおける最重要人物のひとりとして知られるノーマ・ウォーターソン(Norma Waterson)が2022年1月30日に82歳で逝去した。

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彼女の娘であるイライザ・カーシーは、この訃報を自身のFacebookでこう伝えている。

「この途方もない悲しみは言葉にできません。母は昨日、2022年1月30日の午後に亡くなりました」

ノーマ・ウォーターソンは先日、肺炎で入院していた。コロナ禍でツアーができない経済難により、家族は彼女の治療費とマーティン・カーシーを支援するためのクラウドファンディングを行っていた。

1939年にイギリスのハルで生まれたノーマ・ウォーターソンは、マイク、ラルと共に孤児となり、祖母のもとで育てられた。スキッフルの演奏を始めた彼女たちは、従兄弟のジョン・ハリスンと共にザ・ウォーターソンズを結成。1965年のデビュー作『Frost and Fire: A Calendar of Ceremonial Folk Songs』を皮切りに次々とアルバムを発表し、その飾らないヴォーカル・ハーモニーで、1960年代のイギリスにフォーク・ミュージックの再旋風を巻き起こした。

1968年にザ・ウォーターソンズが解散すると、ノーマはラジオDJとして働くためにカリブ海のモントセラト島へ移住したが、その後1970年代初頭に再びイギリスへと戻り、ジョン・ハリスンに代わって、フォーク・リバイバルの同志だったスティーライ・スパンの元メンバー、マーティン・カーシーを迎えてザ・ウォーターソンズを再結成した。ラルとマイクの2人は、オリジナル作品も手掛け、ノーマがゲスト参加した1972年の『Bright Phoebus』などの名盤を発表している。

ザ・ウォーターソンズは1980年代を通してレコーディングを続け、1990年代半ばに、ノーマ、マーティン・カーシー、そして娘のイライザがウォーターソン:カーシーを結成。ノーマ・ウォーターソンは、1990年代後半から2000年代前半にかけて3作のソロ・アルバムをリリースし、1996年のセルフ・タイトルのデビュー作はマーキュリー賞にノミネートされた。

2010年、大病を患い、昏睡状態に陥ったノーマ・ウォーターソンは、その後回復するも、再び歩き、話すことを学ばなければならなかった。

 

彼女の訃報を受けて、すでに音楽界から追悼の言葉が続々と寄せられている。シンガーソングライターのマーティン・シンプソンは、自身のツイッターで次のように追悼を捧げている。

「過去50年以上にわたる私の音楽的人生、そして私生活におけるノーマ・ウォーターソンと彼女の家族の重要性をどう言葉で表してよいのかわかりません。このポスターは私が10代後半だった頃のもので、今でも自慢の宝物の一つです。私たちはこんなにも大切な存在を失ってしまったのです」

同じくシンガーソングライターのビリー・ブラッグは次のように述べている。

「ハル出身のウォーターソン家の最後の歌姫、ノーマ・ウォーターソンが亡くなったと聞いて非常に残念です。スキッフル・バンドから活動を始めた彼女は、イギリスのトラディショナル・ミュージックを代表する歌手のひとりとなりました。マーティンとイライザ、そして彼女のご家族に、心よりお悔やみ申し上げます」

Written By Sam Armstrong



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