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バディ・ホリーが率いたクリケッツ最後の創設メンバー、ジェリー・アリソンが逝去。その功績を辿る

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Jerry Allison (right) with Buddy Holly And The Crickets - Photo: John Rodgers/Redferns

バディ・ホリー&ザ・クリケッツ(通称:クリケッツ)のドラマーで、ロックロールに影響を与えたヒット曲「That’ll Be The Day」や「Peggy Sue」の共作者としてクレジットされているジェリー ・“JI”・アリソン(Jerry “JI” Allison)が、82歳で逝去したことがバディ・ホリー財団のFacebookページで伝えられた。

「JIは時代の先端を行くミュージシャンであり、彼のエネルギー、アイデア、卓越した技術は、クリケッツ、そしてロックンロールそのものの成功に確かな貢献を果たしました。バディはしばしば元祖シンガーソングライターと称されますが、JIもまた、永遠の名曲となる多くの曲を書き、インスピレーションを与えました」

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Buddy Holly & The Crickets "That'll Be The Day" on The Ed Sullivan Show

1939年8月31日、テキサス州ヒルスボーロで生まれたジェリー・アリソンは、テキサス州ラボックで中学からバディ・ホリーと同じ学校に通っていたが、2人が親しくなったのは高校時代で、バンドを結成し、ローラー・スケート場といった地元の会場でライヴをするようになった。ジェリー ・アリソンは、Texas Music Monthly誌のインタビューで当時をこう振り返っている。

「バディが2週間、ハンク・トンプソンやジョージ・ジョーンズらのバックバンドをやる仕事をもらってきて、2週間で6,000マイル旅をしました。そうしたら大学にいられなくなったんです」

クリケッツ最初で最後の全米No.1ヒット「That’ll Be the Day」

後にクリケッツとして成功を収めることになる彼らは、ベーシストのラリー・ウェルボーン(後にジョー・モールディンに交代)、リズム・ギタリストのニキ・サリヴァンと共に、1957年2月にソングライター兼プロデューサー、ノーマン・ペティがニューメキシコ州クロービスに所有するスタジオでのセッション中に録音した「That’ll Be the Day」で最初のヒットを記録(バディ・ホリーは、この前年、ナッシュヴィルに短期滞在していた時にデッカ・レコードから同曲のカントリー調ヴァージョンをリリースしている)。

ジェリー ・アリソン、バディ・ホリー、ノーマン・ペティが共作した1957年版「That’ll Be the Day」は、ブランズウィック・レコードからリリースされ、ラジオで徐々に人気を集め、同年9月には全米シングル・チャート1位に輝いた。ジェリー・アリソンはTexas Music Monthly誌に、彼らの最初のヒット曲の誕生秘話についてこう語っている。

「ラボックにある僕のベッドルームはとても広くて、ピアノが置いてあったんです。バディと僕は毎日、何時間もリハーサルをしていました。ある日、2人でジョン・ウェイン主演の映画『捜索者』を観に行ったら、ウェインは‘That’ll be the day’というセリフを何度も繰り返していました。そしたらバディが“曲を書こう”と言ってきたので、僕は“That’ll be the day(そんなのあり得ないね)”って彼に言ったんです。僕らは、30分くらいでこの曲を書きました」

クリケッツが「That’ll Be The Day」に続く全米No.1ヒットを出すことはなかったが、その後も「Oh, Boy!」「Maybe Baby」「Think It Over」(後者はジェリー・アリソンとの共作)など、次々とシングルを発表し、成功を収めていく。

ジェリー・アリソンも共作者としてクレジットされ、当時のガールフレンドで後に彼の妻となるペギー・スー・ゲロンにちなんで名付けられた「Peggy Sue」は、バディ・ホリーのソロ・シングルとしてもリリースされ、1957年に全米TOP3を獲得した。

Buddy Holly & The Crickets "Peggy Sue" on The Ed Sullivan Show

素敵な、素敵な「Peggy Sue」の時代

この「Peggy Sue」について、ジェリー・アリソンはClassic Bands誌のインタビューの中で、次のように語っている。

「(バディは)その曲を半分くらい完成させていました。僕たちがラボック中をドライブしている時に、彼はチャチャチャのビートやルンバのようなラテンっぽい曲を書き上げたんです。僕は“ビートを変えよう”って彼に言いました。その頃の僕はペギー・スーと交際中か、付き合ったことがあったかで、シンディの曲はいくつか書いていましたが、ペギー・スーの曲はなかったんです。おそらくペギー・スーが助けてくれたのかもしれない。とにかく、ノーマン・ペティによるエンジニアリング、バディによるギター演奏で、これ以上商業的になるのは難しかったでしょう。素敵な、素敵な時代で、みんなこの曲を気に入ってくれて、僕たちも本当に嬉しかったです」

ジェリー・アリソン自身は、ジョニー・オキーフの「Wild One」のカヴァーである「Real Wild Child」でささやかなソロ・ヒットを記録した。1958年に彼のミドルネームであるアイヴァン名義でリリースされ、全米シングル・チャートで68位を記録している同曲は、後にイギー・ポップらによってカヴァーされ、ロックのスタンダード・ナンバーとなった。

Real Wild Child

1959年2月、バディ・ホリーが、同世代のロックンロールの草分けであるリッチー・ヴァレンスやビッグ・ボッパーことJ・P・リチャードソンと共に乗った飛行機の墜落事故で亡くなった後、ジェリー・アリソンはジョー・モールディン、ソニー・カーティス、グレン・ハーディン、アール・シンクス、ジェリー・ネイラーらと共に、メンバー交代を重ねながらクリケッツとしてレコーディングとツアーを継続した。

バンド後期の最も有名なアルバムは、2004年の『The Crickets and Their Buddies』で、エリック・クラプトン、ジョン・プライン、ナンシー・グリフィス、グラハム・ナッシュ、ロドニー・クロウエルに加え、クリケッツの元メンバーであるウェイロン・ジェニングスらが参加している。

Leo Sayer – More Than I Can Say [Official Video]

ジェリー・アリソンとソニー・カーティスが共作した1960年のクリケッツのシングル「More Than I Can Say」は、後にレオ・セイヤーのカヴァーが全米2位のヒットを記録。ジェリー・アリソンはその後数十年にわたり、人気セッション・プレイヤーとしても活躍し、ボビー・ヴィー、エディ・コクラン、ウェイロン・ジェニングス、ポール・マッカートニー、ナンシー・グリフィスといったアーティストとレコーディングを行っている。

1959年にバディ・ホリーが22歳で亡くなった後、2004年にニキ・サリヴァン、2017年にジョー・モールディンが亡くなっており、ジェリー・アリソンはクリケッツの最後の存命オリジナル・メンバーだった。クリケッツは2012年4月14日にロックの殿堂入りを果たしている。

Written By Tim Peacock





 

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