オールマン・ブラザーズ・バンドのグレッグ・オールマンが逝去。その半生を辿る

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Photo: Larry Hulst/Michael Ochs Archives/Getty Images

オールマン・ブラザーズ・バンドの創設メンバーであるグレッグ・オールマンが、2017年5月27日にジョージア州サバンナにある自宅で亡くなったという悲しい訃報が届いた、享年69であった。彼の死は彼のオフィシャルサイトで発表された。直接的な死因に関しては、言及されていないが、ここ数年いくつかの健康問題と戦ってきたそうだ。

彼は、オールマン・ブラザーズ・バンドのリード・シンガーであり、キーボード・プレイヤーであり、彼らのブルース、ジャズ、カントリー、ロックが融合した音楽を作り上げるのを助け、他の多くのサザン・ロック・バンドに多大なる刺激を与えてきた。

グレッグ・オールマンと彼の素晴らしいギター・プレイヤーの兄デュアン・オールマンはフロリダで経験を積み、ジョージア州メイコンでは、グループの反スタイル的なイメージ、反抗的なサウンドが自らとよく似ていると感じていたバイカー指向の観衆を、非常に長いジャムをベースとしたロックで楽しませてきた。1969年に、セルフ・タイトルのデビュー・アルバムをリリースした後、オールマン・ブラザーズ・バンドは不朽の名作、ライヴ盤2枚組『At Fillmore East(邦題:フィルモア・イースト・ライヴ)』(1971年)で成功を収める、その後、デュアン・オールマンのバイク事故死という悲劇に見舞われた。またその一年後には、ベーシストのベリー・オークリーもまた、似たような状況で、突然に亡くなった。

この不屈でタフなアメリカン・バンドは、この悲劇を乗り越え、バーやホールから離れ、素晴らしい『Eat A Peach』や長年にわたり愛されている「Ramblin’ Man」が収録された革新的な『Brothers and Sisters』で商業的な成功を収めた。グレッグ・オールマンはその後数十年にわたり、情熱的に活動を続けた、1995年にはロックの殿堂入りを果たし、1971年から2005年までの間にオールマン・ブラザーズ・バンドは11枚のゴールド、5つのプラチナ・アルバムを獲得、年長者から若者まで支持される熱狂的なライヴを続けた。 グレイトフル・デッドのように、アメリカの国宝とみなされ、ヨーロッパのファンも同様に(彼らに)忠実であった。

グレッグ・オールマンのハモンド・B-3・オルガンの演奏はオールマン・ブラザーズ・バンドのリズム・セクションを支え、オールマン・ブラザーズ・バンドが多くの人に愛された理由であるツイン・リード・ギターの演奏の完璧な対位旋律であった。彼のヴォーカルは彼が愛したブルース・シンガーたち、特にエルモア・ジェームスやリトル・ミルトンに影響を受けていた。

グレッグ・オールマンは「Dreams」、「Midnight Rider」、「Melissa」や「Whipping Post」などを含むバンドの初期レパートリーやいくつかの定番楽曲の作曲にも貢献している。彼のブルースに対する愛や理解は、彼らの「Statesboro’ Blues」といったブルース・カヴァーをとても印象的なものにしている。

バンドへの献身とは別にソロ・アルバムも発表しており、彼自身の作品はバンドの全作品にあるサザン・ロック・ヴァイブよりももっとソウルフルなものとなっている。かれの6枚目のスタジオ・アルバム『Low Country Blues』は2011年にグラミー賞ベスト・ブルース・アルバムにノミネート。このアルバムは、人気のあるジュニア・ウェルズや、マディ・ウォーターズや、他の有名なアーティストによるブルース・スタンダードのカヴァーで大部分が構成された。彼の最後のスタジオ・アルバム『Southern Blood』はドン・ウォズによってプロデュースされ、2017年にリリースが予定されていた。

グレッグ・オールマンはオールマン・ブラザーズ・バンドの一員として、1995年にロックの殿堂入りし、2012年にグラミー賞特別功労賞を受賞している。

グレッグ・オールマンよ、安らかに。




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