フェイス・ノー・モアの初期ヴォーカリスト、チャック・モズレーが57歳で死去

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Photo: Courtesy of Alex Young

オルタナティヴ・メタルの第一人者、フェイス・ノー・モアの初期ヴォーカリスト、チャック・モズレーが57歳で亡くなった。

「長い禁酒期間を終えて、チャールズ・ヘンリー・モズレー3世は、中毒による病気で2017年11月9日に帰らぬ人となりました」とチャック・モズレーの家族が声明で発表した。「必死で禁酒しようと努力している人に向けての警告、もしくは注意喚起、または信号になるかもしれないという希望を持って、彼が経てきた方法を共有したいと思います。彼は長年のパートナー、ピップ・ローガンと2人の娘、エリカとソフィー、そして彼の孫、ウルフギャング・ローガン・モズレーを残して亡くなりました」。

チャック・モズレーは、バンドが最初にヒットした1987年の強力なMTVヒット曲「We Care a Lot」で、のちにラップ・ロックと呼ばれるスタイルの開拓を手伝った。その後間もなく彼はバンドを脱退、1990年初頭にバッド・ブレインズのヴォーカルとして活動を行っていた。ソロ活動を始めてからこの数年間の間、2009年のフェイス・ノー・モアの再結成以来、彼はほんのわずかしかステージに立っていなかった。

チャック・モズレーは1980年代初頭のロサンゼルスのパンクロック・シーンに活気があった頃に登場した。当時彼はフェイス・ノー・モアの創設者となるビリー・ゴールドとチャック・モズレー自身のバンド、ヘアカッツ・ザット・キルのメンバーを含むニュー・ウェイヴのグループ、ザ・アニメイテッドでキーボードを弾いていた。そして1985年にチャック・モズレーはフェイス・ノー・モアに加入、彼の快活なポスト・パンクなヴォーカルとラップの要素は、ファンク、メタル、ヒップホップ、そしてポップから引き出した非常に独特なバンドの音に加えられることになった。

1987年に発売され高く評価されたバンドのセカンド・アルバム『Introduce Yourself』は彼らのキー・シングルとなった2枚「Anne’s Song」とヒット曲「We Care a Lot」を生み出し、バンドは全国的な注目を集めた。この曲は現在、人気のディスカバリー・チャンネルのシリーズ番組「Dirty Jobs」のテーマとして最も知られている。

チャック・モズレーがバンドで活躍していた間、彼の行動は不安定で、予測不可能なことが多かった。この時期の最も有名な事件といえば、『Introduce Yourself』リリース・パーティーの最中に彼がステージ上で眠ってしまったことだ。結局、フェイス・ノー・モアはチャック・モズレーと別れ、10代の扇動者であったマイク・パットンを採用、プラチナ・セールスとなった1989年のアルバム『The Real Thing』と共に世界的に認められる存在となった。

1990年、チャック・モズレーは短期間、ポール・H.R. ハドソンの代わりにハードコア・パンクの第一人者バッド・ブレインズのヴォーカルとなった。そのバンドの数々の解散のひとつに続いて、彼はファンク・メタルのバンド、セメントを結成。しかしそれもバスの事故でチャック・モズレーが背中の怪我を負ったあとに頓挫してしまう。1996年、彼はオハイオ州のクリーヴランドに移住、レストランで働きながら父親になることを目指していた。

2009年、チャック・モズレーはフェイス・ノー・モアの有名なファンでもある、コーンのジョナサン・デイヴィスが参加した彼のソロ・デビュー・アルバム『Will Rap Over Hard Rock For Food』をリリース。長い間、絶盤となっていた1985年、フェイス・ノー・モアとして彼のデビューLP『We Care a Lot』は2016年に再発された。チャック・モズレーや友人など昔からのライン・ナップがほぼ集まり、バンドは再発売を祝い、カリフォルニアでライブを2日間行った。

Written by Tim Peacock


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