HIP HOP/R&B専門サイトbmr編集長が語るK-POPの魅力(前編)

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ヒップホップやR&Bなどのブラックミュージックを専門に扱う音楽情報サイト『bmr』の編集長を務めながら音楽評論家/編集者/ラジオDJなど幅広く活躍されている丸屋九兵衛さんの連載コラム「丸屋九兵衛は常に借りを返す」の第9回の前編(全3回)。今回はK-POPにも造詣が深い丸屋さんが、なぜK-POPを好きになったのか? そしてK-POPの魅了を、ブラックミュージック専門家の側面から語っていただきました。

*コラムの過去回はこちら


ブラック・ミュージック専門誌の編集者である丸屋さんが最初にK-POPに出会ったきっかけはなんだったんですか?

2000年ぐらいのことです。会社の出版部門に新人が入ってきて、近くにあった韓国料理屋で歓迎会をやった時のこと。その店で流れていた音楽が……歌詞は韓国語なんですが、音作りが明らかにR&Bで、「あれ、韓国のR&Bってもの凄いレベルが高いんじゃないか?」って気づいたんです。

それまでは触れていなかったんですか?

90年代に輸入盤でSolidというR&Bグループはちょっと聞いたことはありました。確かその当時で3、4枚アルバムを出してましたね。後から聞いたらカリフォルニア育ちの韓国系アメリカ人で、父母の国韓国で音楽をやっている「帰国デビュー」組だったそうです。

Solidはどんな音楽だったんですか?

3人組で一人が音作りと歌、もう一人が歌、もう一人がラップでした。

90年代っぽい組み合わせのグループですね。

で、話は戻って、その歓迎会で流れていたのが女性R&Bで、誰かはわからなかったんだけど、「韓国のR&Bのレベルって高いんじゃないのか」って話になったんです。その後、2002年の日韓共催のワールドカップの時に、松尾 潔が作ったテーマソング「Let’s Get Together Now」ってあったじゃないですか。あれの韓国代表がリナ・パーク。彼女は必ずしもR&Bに括られる人じゃないんだけど、R&B的な歌い方も凄くて、同じく参加したブラウン・アイズもそうだし。とにかく韓国勢の歌が凄かったんです。「いつのまにこんなことになってんだ」と驚きました。

その前後の時期に、dj hondaと話したことがあります。hondaは日本のDJの凄さを世界に知らしめた最大の功労者ですが、日本でライブやる時にアリーナ規模とはならない。でも韓国だとスタジアムなんだって当時hondaさんに聞いたんですよ。当時のhondaはソニーを離れてdj honda RECORDINGSっていうのを作っ他ところ。そこから2002年に『Underground Connection』っていうEPMDのPMDと組んだアルバムを出しました。そのアルバムは日本盤、アメリカ盤、そして韓国盤と、それぞれ仕様が違う3バージョン。韓国では人気があったんで、インターナショナル盤とかではなくちゃんと韓国盤を作ったんですね。それで「俺は韓国でライブやる時、スタジアムだよ」って。

DJでスタジアムって凄いですね!

もしかしたらスタジアムの規模が日本と多少違うのかもしれないけど、それにしても日本での受け入れられかたと差が随分あるなぁと。こうして、「韓国はなんだか凄いことになっている」と気付いたのが2002、3年ごろ。それからいろいろ掘ってみたら、90年代にソテジワアイドゥルっていうパイオニア的なアーティストがいたと知ったんです。

そのソテジワアイドゥルっていうグループはどんな音楽だったんですか?

なんとういうのかな、ギャングスタ・ラップ meets ヘヴィ・メタルみたいな。

 

それだけ聞くとサイプレス・ヒルみたいですね。

そうそう!曲によっては、まるっきりサイプレス・ヒルなのもあって。グループ名のソテジワアイドゥルっていうのは「ソテジと男の子たち」ソテジ& the boysっていう意味ですね。ソテジという天才がいて彼が歌ってラップして、曲も作るんです。あとの二人はバックダンサー兼バックシンガー。ヘヴィ・D&ザ・ボーイズ的な構成なんです。

このソテジワアイドゥルは立て続けにアルバムを出すんですが、ソテジが突然引退宣言してアメリカに行っちゃうんです。それまで出した曲の中では韓国政府の取り締まりに異議を唱えてたり、その一方で「渤海を夢見て(발해를 꿈꾸며)」っていう曲もあって。

 

渤海とはなんでしょうか?

昔、朝鮮半島北部にあった国のことですね。つまり、いつか北朝鮮と一緒になりたいねって曲なんです。その後で金大中の時代、南北歩み寄りの時代になるわけです。その金大中はソテジのことを、とても社会的な影響力のあるアーティストとして評価してたんです。だからヒップホップを評価した大統領として、オバマより前に金大中がいるんですよ! さすが英語名D J Kimなだけはある。

(笑)。ソテジワアイドゥルは、音だけだとオリジナリティはまだない感じですね。

でも、様々な問題提起を行なった革命児なんですよ。歩いて数時間のところに血を分けた敵の国があるという状況や、他にも色んな問題を上手く表現した曲を書き、それをサイプレス・ヒルとかリンプ・ビズキットみたいなもトラックに乗せてた人なんです。彼の曲を問題視する検閲制度そのものも批判しながら。活動時期はSolidと同じぐらいの時期、90年代ですね。

そういう風にコリアンものをちょこちょこ聞いた後に、BIGBANGとの出会いがあったんです。たぶん2007,8年ぐらい。当時は私もBIGBANGのことは全然知らなくて。それで最初に聞いた曲はどう聞いてもオマリオンだったんです。B2Kを辞めて2枚目かな、オマリオンの『21』っていうアルバムの中にティンバランドがプロデュースした「Ice Box」っていう曲があって、それを聞いてから作ったような曲がBIGBANGの最初ほうのレパートリーにあったんです。K-“POP”とは言うけどBIGBANGは、R&Bでありヒップホップなんだなっていうのがわかって。

しかも韓国は日本と比べてその影響を素直に出せるというか、もちろんそこに工夫は入っているんですけどね。BIGBANG のG-DRAGONの経歴を調べてみると、もともと10代初頭から音楽を始めたんですね。リル・バウ・ワウがめちゃめちゃ流行っている時期だったこともあって、とある韓国のインディーのヒップホップ軍団が、“これはうちにも少年ラッパーをいれたほうがいいな”ってなってフックアップされたみたいです。韓国版リル・バウ・ワウとして。

実は私も日本の当時の所属レコード会社のユニバーサルが仕掛けようとしている時に、イベントを見たことがあって、確かそこだったと思うんですアカペラをやってって振られた時に彼らがクリス・ブラウンの「Run It」を歌ったんですが超絶うまかったのを覚えています。

上手いですよね!(BIGBANGの素晴らしさをひとしきり語った後)なんといってもBINGBANGの初期曲で忘れがたいものに、これがあります。

この頃のほうが露骨にヒップホップでしたね。その一方で、どこのK-POPグループもそうだと思うんですが、ラッパーのほうが人数は少なめなんです。例えばBTSはシンガー4人でラッパーが3人。BIGBANGだとシンガー3人でラッパー2人。なぜならシンガーは複数人で一つのパートを構成できるけど、ラッパーにはそれができないですから。

アカペラの話で思い出しましたが、R&Bをすっごく追求している部分が当初のBIGBANGにはあって。

これは「R&Bが好きな人たちの曲」って感じですね。

(次回へ続く)


【丸屋九兵衛今後のトークイベント】
2018年9月24日(月・祝) 13時00分~14時30分
丸屋九兵衛トークライブ【Soul Food Assassins vol.8】
黒人英語講座III スラング論を超えて。

2018年9月24日(月・祝) 15時00分~17時00分
丸屋九兵衛トーク【Q-B-CONTINUED vol.25】
がんばれ、イエローレンジャー! アジア系アメリカ人が歩んだ道



連載『丸屋九兵衛は常に借りを返す』 バックナンバー


■著者プロフィール

丸屋九兵衛(まるや きゅうべえ)

音楽情報サイト『bmr』の編集長を務める音楽評論家/編集者/ラジオDJ/どこでもトーカー。2018年現在、トークライブ【Q-B-CONTINUED】シリーズをサンキュータツオと共に展開。他トークイベントに【Soul Food Assassins】や【HOUSE OF BEEF】等。

bmr :http://bmr.jp
Twitter :https://twitter.com/qb_maruya
手作りサイト :https://www.qbmaruya.com/

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