角野隼斗×アリス=紗良・オット:2人のピアニストが語る、クラシック音楽を演奏することの意味とは?

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今を生きるクラシック音楽家として、過去から受け継がれてきた遺産=作品を、どのように現代の聴衆へ届けるか——それも生き生きと魅力的に、聴き手の共感を喚起しながら。21世紀においてクラシック音楽を演奏することの意味とは何か、どのようなアプローチが求められているのか、そうした問いを絶えず自らに投げかけているピアニスト、アリス=紗良・オットと角野隼斗に、二人の問題意識やクラシック音楽をめぐる現状について、語り合ってもらう対談が実現した。


アリス=紗良・オット
ドイツ、ミュンヘンでドイツ人の父と日本人の母の間に生まれた。3歳でピアニストになることを決意、4歳からピアノを学び始める。7歳からヨーロッパの10以上のコンクールで優勝。ザルツブルク・モーツァルテウム大学でカール=ハインツ・ケマリンク教授に師事した。2008年、ドイツ・グラモフォンと専属契約を結び、『リスト:超絶技巧練習曲』でCDデビュー。その後、世界中でリサイタルを行い、ベルリン・フィル、シカゴ響、フィルハーモニア管など、世界の一流オーケストラや巨匠指揮者と共演を重ねている。

角野隼斗
1995年、千葉県出身。2018年、東京大学大学院在学中にピティナ・ピアノコンペティション特級グランプリ、及び文部科学大臣賞、スタインウェイ賞を受賞し、本格的に音楽活動を始める。2020年12月に1stフルアルバム「HAYATOSM」をリリースし、オリコンデイリーアルバムランキング8位を獲得。国内だけでなく海外でも広く演奏活動を行う他、“Cateen(かてぃん)”名義で自ら作編曲および演奏した動画をYouTubeにて投稿し、チャンネル登録者数は77万人を超え、なお増え続けている。


■クラシック音楽を21世紀の聴衆にどう届けるか

——アリスさんも角野さんも、現代の聴衆にクラシック音楽の魅力を伝えるために、オリジナリティあふれる取り組みをさっています。どのような問題意識のもとに、そうした意欲的な活動を展開されているのでしょうか。

アリス:私は4歳から伝統的な音楽教育のもとでピアノを始めました。作曲家や歴史、演奏様式といったことも勉強し、楽譜の奥に隠されたメッセージを読み解き、理解するための教育を受けてきました。しかし実際には、作品をコンテクストの中で捉えるということが、当時はまだきちんと考えられていなかったと思います。作品の生まれた時代に身を置こうとすることは、博物館に陳列された遺産を扱うようなもの。21世紀に生きている私たちがそうすることに、どのような意味があるのか。そこまでは考える機会がなかったのです。

©Pascal Albandopulos for DG

違和感を持ち始めたのは18歳か19歳くらい。コンサート活動を始めてから、クラシックのホールにはあまりにも「ルール」が多いと感じたのです。プログラム構成についていえば、バッハからモーツァルト、ベートーヴェンの作品を弾き、休憩を挟んでロマン派や近現代の作品を弾く。そうした年代順のスタイルに、誰も疑問を持つようなことはしない。聴衆は身動ぎもせず音楽を聴き、音楽に反応して声をあげようものならキッとにらまれる。年齢層は高く、どこか排他的でエリート主義的な価値観がホール内に充満している……。

次第に私は、今の時代のコンテクストの中でクラシック音楽を生きたものとして届けるには何が必要かを考えるようになりました。時代のニーズや考え方、社会のあり方に即した形で、人々にクラシック音楽へとアプローチしてもらうためには、アーティストは何をしなければならないのか、どうしたら聴衆と距離をおかず、共鳴し合うことができるのか。さまざまなプロセスを経て、自分なりの方法を見出し、積極的に取り組み始めたのは5、6年前からですね。

2015年『ショパン・プロジェクト』でアイスランドのマルチインストゥルメンタル奏者/コンポーザー、オーラヴル・アルナルズとコラボレーション

角野:僕も小さい頃からずっとクラシック音楽をやってきて、同時に即興やジャズやポップスなど、クラシック以外の音楽の道も通ってきましたが、クラシック音楽を演奏することの意味をしっかり考えるようになったのは最近です。

Photo ogata

3年前にピティナ・ピアノコンペティションで優勝して、音楽キャリアが本格的に始まってからです。「クラシック音楽のコンサート」では、ほとんどの場合100年以上前の作曲家の作品を再現します。もちろん、コンテンポラリーの作品を扱う場合もありますが、200年、300年前の作品を扱うのがメインストリーム。これはおそらく、この先も変わらないでしょう。となると、この先50年100年と経ったら、扱われる作品はさらに古いものになる。どんどん「現代人」とは離れ、古くなるわけです。

僕はそれに対する漠然とした違和感というか、不安のようなものを感じることはあります。21世紀には多様なジャンルの音楽がある中で、クラシック音楽は作品が生まれた時代に即した形で再現することにすごく注力している。そのためにほかのジャンルと交わることが少ないように感じています。現代を生きているのに、過去に限定されているのは少しもったいないなと感じることがあり、今クラシック音楽をやる意味を絶えず考え続けています。

■録音メディアと音楽の聴き方の変化

——お二人はコンサート活動と同時に、録音や動画メディアを多いに活用されています。ここにも現代の聴衆とコミットしたいという思いが強く表れているのでしょうか。

角野:クラシック音楽は再現芸術と言いましたが、すでにレコードが発明されて久しく、現代ではショパンの作品もラフマニノフの作品も、重要なレパートリーの録音はたくさん存在します。50年前のレコード黎明期ならば、録音することには作品を形として残すという大きな意味・貢献がありました。

しかし今となっては、優れた奏者の録音がいくらでもある。そうした中で、僕らのような若い世代が、新たに何かを付け加えるって、相当な覚悟がないと難しい。昨年末に僕は初アルバムをリリースしましたが、自分にはどういう貢献ができるのか、ということも考えています。

1st.フルアルバム「HAYATOSM」よりピアノソナタ第0番「奏鳴」

アリス:録音に関していえば、LPやカセットやCDというメディアを通じ、クオリティーがどんどんアップしてゆくという、面白い時代に私たちは育ってきました。かつてはポップスやロックのアルバムでも、まるっと一枚聴くのが普通だったし、クラシックならソナタの全楽章や曲集全曲など、まとまった形で聴くのが普通でしたね。

でも、ストリーミングで音楽を聴く時代になってからは、人々は自分でプレイリストを作れるようになりました。ジャンルもアルバムもアーティストも異なるトラックを組み合わせて、自分の目的や気分に合わせて、自分自身のサウンドトラックを作れる。これは人々の音楽の聴き方を大きく変えたと思います。

そうした中で、クラシック音楽に対しても人々はこれまでにない出会い方ができるようになりました。コンサートホールで身動き一つしないで聴くことを強いられるのではなく、自分の心地よい過ごし方の中で、全く違ったスタイルで聞いていい。そこにはたくさんの可能性があると思います。現代のテクノロジーの可能性を生かすことはとても大事ですね。私たちは過去に生きているのではないし、今の人々が何を求めているかを考えることも、アーティストの使命であると思います。

その意味で角野さんは、アルバムやコンサートだけでなく、YouTubeというメディアを通じて、音楽ジャンルの垣根を超えて、多くのフォロワーにクラシック音楽の楽しさ、かっこよさを伝えていて、とても先進的な活動をされています。アルバムやYouTubeで披露されているリストの「ハンガリー狂詩曲第2番」に続けた「カデンツァ」は先進的で、重要な取り組みです。とても感銘を受けました。

角野:ありがとうございます。おそらく僕のYouTubeを見てくれる方の中には、クラシックの作品だと認識せずに聴いている方もいると思います。他のジャンルの曲のあとに、たまたまショパンの「木枯らしのエチュード」が流れて、素晴らしい曲だ! と感じてもらう。緩やかにスムーズに、他ジャンルからクラシックの世界に入っていけるように、というのは意識しています。そう聞いてくれるのはとても嬉しいことですね。

■聴衆の集中力を呼び覚ますために

——ストリーミングや動画コンテンツを通じて、人々のクラシック音楽に対する姿勢にも変化が現れていることを、お二人とも実感されていらっしゃることがわかりました。可能性も広がる中で、難しいと思う点はありますか?

角野:YouTubeやストリーミング・サービスで自由に音楽にアクセスし、プレイリストを作れることには、いい側面も多いけれど、一方では、作品そのものの持っていたコンテクスト、つまり本来はどういう楽章構成で、どういう背景から生まれた作品なのかという情報が、失われてしまう危険性もあると思います。

また、昨今ストリーミングから配信される曲の長さは、どんどん短くなっているそうです。3分半とか3分とか。人々は短いコンテンツしか受け入れられない方向に走っている傾向があるようです。そうなると、クラシックはとても長い曲もあるので、その素晴らしさを伝えるのは難しくなっていくのかな、という危惧もあります。アリスさんはそうした側面についてはどうお考えですか?

アリス:確かに10年前に比べると、人々はネット社会でマルチタスクをこなす一方で、3分も読書に集中できないようになったと言われています。集中してひとつのことにエネルギーを注ぎ続けるのが難しくなっているそうです。でも、クラシック音楽に関して言えば、私はあまり危惧していません。というのも、聴衆はアプローチの方法さえわかれば、アーティストが提示しようとしていることに、ちゃんと興味を示してくれるからです。

私の経験で言えば、「小犬のワルツ」か何かで私の演奏に感心を持ってくれた人が、その後いろいろと調べて多様な作品を聴くようになり、やがてはメシアンの「世の終わりのための四重奏曲」のような難解な作品も愛聴してくれるようになったケースがあります。
また、何年か前に中国の成都市でコンサートを行った時のこと。聴衆はほとんどクラシックを聞いたことがなく、リサイタル中もおしゃべりしたり携帯をいじったりしていました。終演後、プロモーターが私のもとへ来て謝ってくれたのですが、クラシック音楽を聴く習慣のなかった彼らが悪かったわけではありません。私がアプローチの仕方を変えるべきなのです。

©Pascal Albandopulos for DG

2年後、再び同市でリサイタルを行いました。ベートーヴェンのソナタも含めた1時間のプログラムです。開演前、私は聴衆に向かってお話しすることにしました。現地の学生さんに通訳してもらって、「コンサートは、聴衆のみなさんも音楽を一緒に作る上でとても大切です。私が出す音だけでなく、曲間の沈黙や、雰囲気もとても大事なんですよ」と伝えました。そういう話だけで、彼らには十分でした。コンサートは初めから終わりまで完璧な静けさの中で行われました。彼らに音楽を理解する力がなかったのではなくて、音楽に参加することを促された経験がなかっただけ。終演後、「こういう経験は初めてだったので嬉しかった」という声がたくさん寄せられました。

私たちは決して聴衆の力を過小評価してはならないし、理解できない、集中できないと判断する必要はないのです。大切なのは、私たちアーティストがどう提示するかなのだと思います。

■ショパンをめぐる多様なアプローチ

——角野さんは、10月にワルシャワで開催されるショパン国際コンクールに出場されることが決まっています。アリスさんは新譜「ECHOES OF LIFE」で、ショパンの「24の前奏曲集」を一つの軸としてアルバム作りをされました。ここからはショパンをキーワードに、お話を伺いたいと思います。

角野:アリスさんの「ECHOES OF LIFE」は、実はこの対談の話をいただく前から聴いていました。とにかくアイディアが面白くて素晴らしかったです。ショパンの24の前奏曲の合間合間に、7曲の現代作品が挿入されることで、ショパンがものすごく新鮮に響きました。なおかつ音楽的な繋がりをもった配置が見事で、すっと耳に入っていきました。

アリス:ありがとうございます。角野さんが言うとおり、ショパンの作品は偉大なピアニストたちの録音がいくらでもあります。だからこそ、私は何か別のアプローチで作ろうと思いました。

24の前奏曲集は、人生を映し出すような作品だと思っています。個々の作品はまったく違ったキャラクターを持っていて、なおかつそれぞれに結びつきはある。それって、まるで人生だな、と。私たちの日々の中で起こる個々の出来事は独立しているように見えるけれど、あることの終わりは、あることの始まりでもある。人生はまったく先が予測できず、壁に突き当たったり、歩きながら道を作っていくような時もある。

このアルバムでは、私自身の個人的な思い出や経験と重なり合う7つの現代作品を、ショパンの前奏曲の合間に挟んでいます。7つの作品も、テクノ風だったり、ミニマル的だったり、映画音楽風だったり、まったく性質が違います。それらとショパンとを並べて一枚のアルバムにしたときに、ショパンの音楽がいかに時代を超越する力を持っているかが浮き彫りになりました。別の次元へと世界が開け、多様性が浮かび上がり、コンテクストによって変化しうる力を秘めていたのです。それを提示することができていたなら嬉しいです。

ところで、ショパンといえば、角野さんはこの秋にワルシャワで開催されるショパン国際コンクールに出場されます。かつてコンクールは、エージェント契約やレコード・レーベルとの関係性を作るチャンスとして機能してきましたし、ショパン国際コンクールもとても伝統的な形式のものです。角野さんのように、すでに独自の取り組みをしていて若い聴衆からも支持を得ているような方でもなお、こうしたコンクールに参加しようと思ったのはなぜなのでしょうか。何かモチベーションになっていますか?

Photo ogata

角野:クラシックをベースとしながらも、他のジャンルの音楽も経験してきた僕のようなアーティストも、こうしたコンクールに出場することで、より多くの人に興味を持ってもらえるんじゃないかな、という思いはありますね。ですのでコンクールでキャリアを得たいというというよりも、自分がどういう信念を持って活動しているかを世界中の人に発信したい、という方が強いかもしれません。また自分がクラシックをもっと学びたいという思いも根底にはあります。予備予選の舞台も自分とって本当に大きな経験でした。その上で一人のアーティストとして、他の人とは違った自分だからこその表現をしたいというのは、最大の目標です。予選の段階で、他のコンテスタントの唯一無二と思えるような素晴らしい演奏を聴くこともでき、再現芸術の学びを深めていくことへの勇気ももらっています。

このコンクールは、「ショパンらしさとは何か」が問われるという見方もあります。今となっては誰も彼の生演奏は聴けないので、文献や楽譜から判断するしかないわけですが、僕が思うのは、ショパンは本当に緻密に作品を書き上げているけれど、ふとした瞬間に即興性を感じさせる場面があります。あたかもその場で初めて生まれたかのように聞こえる音楽表現が、ショパンを弾く上でとても大切なのではないかと思います。考えれば考えるほど、それができるようになるわけではないし、煮詰めれば煮詰めるほど新鮮さが失われる危険性もあるので、緻密な構成感と即興性とのバランスを取って表現することが、もっとも大事なのだと考えています。

アリス:角野さんのように、これだけ聴衆のことを思い、クリエイティヴに自分を表現できる人の考えを聞くことができて、とても嬉しかったです。未来を切り開いてくれるアーティストだと思っています。コンクールも頑張ってくださいね。

角野:こちらこそ、お話を伺えて楽しかったです。ありがとうございました!

Interviewed & Written By 飯田有抄(クラシック音楽ファシリテーター)


■リリース情報

発売中
角野隼斗『HAYATOSM』
CD  / Amazon Music / Apple Music / Spotify/ iTunes

発売中
アリス=紗良・オット『Echoes Of Life エコーズ・オヴ・ライフ』
CD / Amazon Music / Apple Music / Spotify / iTunes


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