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83歳の今も歌い続けるシュガー・パイ・デサントのヒット曲「I Want To Know」

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チェス・レコードの素晴らしい所属アーティストの中で、ニューヨーク生まれのソウルのソングバードことシュガー・パイ・デサントの作品は、知名度がもっと高いアーティストによって、時折その影が薄れてしまっていた。しかし、本名アンペイリア・バリントンはチェス・レコードに素晴らしい名作を残しており、長い間住んできたカリフォルニアのオークランドを拠点に、83歳となった現在でもそのパフォーマンスを続けている。

今回は、チェスに所属する前に、シュガー・パイ・デサントが「I Want To Know」で全米R&Bチャートにデビューした1960年9月5日を振り返ってみよう。シュガー・パイ・デサントは1950年代半ば、ジョニー・オーティス・レヴュー、そしてジェームス・ブラウンとの巡業のコーラスとして歌ったことで脚光を浴びた。身長は150cmもなかったが、身長が足りないことは彼女の刺激的でソウルフルな歌で十分に補えることを、二人のフロントマンに証明したのだ。

1950年代後半からは自身でレコーディングを始め、「I Want To Know」はオークランドを拠点にしたヴェルトーン・レーベルの為の曲で、そのままヴェルトーンからリリースされた。この曲は夫のピー・ウィー・キングスリーとの数々のコラボレーションのひとつで、結婚生活は続かなかったものの、楽曲の息は長かった。Billboard誌のHot R&B Sidesで、ブルック・ベントンが「Kiddio」で1位をキープする中、堂々と10位を記録している。

sugar-pie-desanto-resizeそして「I Want To Know」は9週間チャート入りを続け、最高位4位まで上昇。その後、1962年にシュガー・パイ・デサントはチェス・レコードと契約を結んだ。2年後まで大きな成功をつかめなかったが、トミー・タッカーのヒット曲「High Heel Sneakers」へのスマートなアンサー・ソングだった「Slip-In Mules」は、R&Bチャートで10位を記録。そして、次には彼女のトレードマークのひとつになる「Soulful Dress」をシングルとしてリリースした。

1966年には、シュガー・パイ・デサントは、先にチェスでの成功を成し遂げた女性エタ・ジェイムスとの素晴らしいデュエットを披露した「In The Basement」でソウル史に貢献を刻むことになる。チェスを去ってからのリリースは、さほどの結果を出さなかったが、シュガー・パイ・デサントは他のレーベルで活動しながらベイ・エリアに拠点を置いた。現在までライヴ・パフォーマンスで観客を魅了し、2008年にはリズム&ブルース財団のパイオニア・アワードを受賞している。

Written by Paul Sexton



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