“真のモッズの生みの父”、スティーヴ・マリオットの遺産は今でも輝き続ける

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Photo: Fin Costello/Redferns

スティーヴ・マリオット(Steve Marriott)がこの世を去り、彼の音楽的遺産を取り囲む評価や活動を見ることができないのは非常に残念なことである。キャロル・ハリソンによる脚本で、現代の設定でスモール・フェイセスの歴史を振り返ったミュージカル『All Or Nothing』は全国各地を巡回しながら絶賛され、2016年にはロンドン公演を開催して好評を博した。首都やいくつかの地方ツアーでも満杯に埋め尽くされた会場で公演を行ってきたこのミュージカルだが、2018年初頭にアーツ・シアターでロンドンに戻り、2019年夏にはモデル・キャピタルであるブライトンを訪れた。

スモール・フェイセスの後にスティーヴ・マリオットが結成したバンド、ハンブル・パイはあちこちのロック・ファンによって崇められ続けており、ポール・ウェラーやギャラガー兄弟といった面々と歌ってきたスティーヴ・マリオットの娘、モリー・マリネットもまた彼女のデビュー・アルバム『Truth Is A Wolf』が特に大絶賛されたように、彼女自身のソロ活動で評判を確立している。ミュージカルには彼女もクリエイティヴ・コンサルタントとして関わっている。

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かつて“真のモッズの生みの父”と呼ばれていたスティーヴ・マリオットは、1947年1月30日、英東部エセックスのマナー・パークにて生まれた。44歳のとき、1991年4月に起こった火事によって悲惨で早過ぎる死を遂げてしまったスティーヴ・マリオットだが、長年にわたる情熱的な音楽的才能に、彼が注ぎ込んできたものは相当なものだった。

最初のバンドを結成したとき、スティーヴ・マリオットは若干12歳だった。ミュージカル『オリバー!』のアートフル・ドジャー役としてロンドンのウェストエンドのステージに初めて立ったのが13歳の時。16歳の時には彼の最初のソロ・レコードをデッカと契約するまで漕ぎつけ、スモール・フェイセスが結成された時は17歳だった。

スモール・フェイセスの仲間、ロニー・レーンと共に書き上げた彼の見事なソングライティングと、スティーヴ・マリオットの明確にソウルフルなロックの舵取りによって、スモール・フェイセスは、活気あふれる60年代として我々が思い出すものとして欠かせないグループとなった。彼は大胆不適で厚かましくもあり、コントロール不可能な革新家だった。そしてスモール・フェイセスはほとんどのバンドが一生かけてやるよりも多くのことを4年間でやってみせた。

それからスティーヴ・マリオットは、ほとんど不可能に近い快挙を成し遂げた。更にもうひとつのバンドとなるハンブル・パイを結成し、今度はもっとハードなロック・サウンドであっという間に大成功を遂げ、1970年代のアメリカのアリーナを満席にした。ハンブル・パイは、スティーヴ・マリオットのあふれんばかりの才能にとって、完璧な目的達成のための手段でもあった。

そして栄光の日々を終えたスティーヴ・マリオットは、彼の2つのグループの幾度ものリユニオンや多数のサイド・プロジェクトを受け入れ、自身を表現することができるどのステージも喜んでこなしたのだ。彼が誇るカタログにふさわしい現在の新たな勢いとそれを称賛する声、そして娘のモリーの活動を、スティーヴ・マリオットが天国から眺め、その全てを楽しんでいることを願う。

Written by Paul Sexton



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