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ほぼ2人で作られたセックス・ピストルズの『The Great Rock’n’Roll Swindle』

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最初は、アルバム・タイトルにヒントがあるように思った。未収録曲やすでに機能していないセックス・ピストルズのメンバー2人(時折3人)が急いでレコーディングした楽曲の組み合わせで構成された『The Great Rock’n’Roll Swindle』は、半信半疑な部分があった。さらに、セックス・ピストルズのマネジャーであるマルコム・マクラーレンの発案であり、彼がアルバムを制作した主な動機は、1977年の夏に制作した同名の映画のサウンドトラックを作ることだったのだ。

2枚組の『The Great Rock’n’Roll Swindle』は1979年2月26日に独立したアルバムとして最初リリースされた。それは、ピストルズの辛辣な全米ツアー後の解散から1年経ったころ、映画のプレミアの15か月前のことだった。セックス・ピストルズは1979年初めにもまだまだ雑誌や新聞の見出しに掲載されるバンドではあったが、現実的には『The Great Rock’n’Roll Swindle』が『Never Mind The Bollocks(邦題:勝手にしやがれ!)』のように大きなインパクトを与えることはできるはずがなかった。本名であるジョン・ライドンに改名したフロントマンのジョニー・ロットンはすでに、新しいバンドのパブリック・イメージ・リミテッド(PiL)で全英トップ40入りしたデビュー・アルバム『First Issue』をリリースしており、そしてアルバム『The Great Rock’n’Roll Swindle』がリリースされる数日前にベーシストのシッド・ヴィシャスが亡くなり、その訃報はタブロイド紙を過熱させた。

セックス・ピストルズの名前を掲げただけで、『The Great Rock’n’Roll Swindle』は常に議論を引き起こしてきた。1978年の全米ツアー後、ジョン・ライドンはすでにバンドから手を洗い(特にマルコム・マクラーレンから)、彼がアルバムに参加しているのは、1976年の頃のスタジオのアウトテイク(特にザ・モンキーズの「(I’m Not Your) Stepping Stone」の荒いが熱の入ったカヴァー)、物議を醸した「Belsen Was A Gas」のライヴ音源、そして未発表であり、セックス・ピストルズのデビュー・シングル「Anarchy In The UK」のデイヴ・グッドマンがプロデュースしたヴァージョンだけだ。

ジョン・ライドンが不在だったことで、『The Great Rock’n’Roll Swindle』の正当性を問う人々もいた。さらに、「You Need Hands」(マルコム・マクラーレン自身がマイクを握っている)、そしてばかげた「Who Killed Bambi?(邦題:誰がバンビを殺したか)」ではのちのテンポール・チューダーのスターとなるエドワード・チューダー=ポールをフィーチャーし、パンクを中傷する人々の火にさらに油を注いだ。

しかし、『The Great Rock’n’Roll Swindle』には優れた楽曲もあり、アルバムにもある意味心からの称賛が手向けられるべきだ。何よりもまず、このアルバムはシド・ヴィシャスを短いかもしれないが見事に輝かせ、魅力が増したエディー・コクランの「Something Else」と「C’mon Everybody」のカヴァーでカリスマ性のあるヴォーカルが曲をリードしている。シド・ヴィシャスが大きく貢献したフランク・シナトラ/ポール・アンカの名作「My Way」のヴァージョンは、今だにシナトラ純粋主義者をイラつかせるが、シド・ヴィシャスがパリの劇場の観客を射殺する衝撃的なビデオは、間違いなくドキュメンタリー映画『The Great Rock’n’Roll Swindle』の映画の中でも最も象徴的なシーンだった。

Sid Vicious – My Way

 

しかし、アルバムの中で最も響く音楽は、過小評価されていたセックス・ピストルズのギタリスト、スティーヴ・ジョーンズとドラマー、ポール・クックのデュオから生まれた。がっしりした「Silly Thing」は『Never Mind The Bollocks』に値する曲であり、スティーヴ・ジョーンズの意外でメランコリックな「Lonely Boy」はのちに彼の自伝のタイトルともなった。ポール・クックとスティーヴ・ジョーンズはさらに、1978年のブラジルの短い旅において、大列車強盗の一員だったロニー・ビッグスと組んだ。この悪名高いコンビは、映画のための映像を生み出しただけでなく、アルバムの曲を2曲、がさつな「No One Is Innocent(邦題:ゴッド・セイヴ・ザ・セックス・ピストルズ)」と「Belsen Was A Gas(邦題:ベルゼンの毒ガス室Part1)」のスタジオ・ヴァージョンも作った。

イギリスではゴールドを達成した『The Great Rock’n’Roll Swindle』は、セックス・ピストルズの解散後も彼らを人々の前に露出させることに成功した。アルバムは全英トップ40で最高7位を達成し、1978~79年の間に両A面の「No One Is Innocent/ My Way」「Silly Thing」「C’mon Everybody」、そして「Something Else」と4曲のトップ10のヒット作を生んだ。「Something Else」は最高3位を達成し、その中で最も売れたセックス・ピストルズのシングルとなった。

そして40年後、『The Great Rock’n’Roll Swindle』は、今でもパンクが認めるのは恥ずかしいが実は好きな作品のひとつになっている。「God Save The Queen (Symphony)」と、ヒット曲のディスコ・メドレー「Black Arabs(邦題:ピストルズ・ディスコ・メドレー)」は、セックス・ピストルズのニヒリズムや異議を唱える精神を歌った曲で、完全に異なるサウンドのセッティングにおいてもいかに根強く残っているかを示している。振り返ってみれば、ヴィレッジ・ヴォイス誌の批評家であるロバート・クリストガウの解説が最も的を得ていたかもしれない。『Swindle』について彼はこう表現している。「素晴らしいメメント…4つの面がそれぞれに笑顔をもたらす作品だ」。

Written by Tim Peacock


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セックス・ピストルズ『The Great Rock’n’Roll Swindle』


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