【独占】P.P.アーノルドがバリー・ギブやエリック・クラプトンと制作した『Turning Tide』を語る

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Photo: Lorne Thomson/Redferns

P.P.アーノルドのアルバム『The Turning Tide』のリリースについては7月にuDiscoverが独占でお伝えした通りだが、このアルバムは旅多きソウル・シンガーが長い間掲げてきた目標を見事に達成した証拠である。1968~69年にバリー・ギブのプロデュースによる楽曲や、1970年代に入る頃のエリック・クラプトンによる楽曲など、今まで未公開だった曲が収録されている。

「みんなにとっても、そして私にとってもある意味新しいの」とP.P.アーノルドはuDiscoverに語った。「アルバムのレコーディングはしたけど、どの曲もパフォーマンスで披露したことはないわ。全ての曲は、私が感じていたことについて。この曲を手に入れることができて幸運だと思っているわ。誰かにリリースしてもらおうとしたし、誰もしないのであれば自分がリリースできるようにライセンスを取得しようと長い間一生懸命戦ってきたの」。

10月6日にクンダリーニ・ミュージックよりリリースされたこのアルバムは、彼女が現在行っている50周年ツアーとセント・ジェームス出版社からの自伝の発売の発売に合わせて発売された。また、2018年にはP.P.アーノルドのニュー・アルバムも予定されている。この作品の発売は、イギリスやその他の国でもメディアの注目を浴びている。というのも、カリフォルニア出身の彼女がアイク&ティナ・ターナーとともに歌うためにイギリスに訪れ、その後自身がチャート入りする存在となるまで歌い続けた彼女の音楽文化におけるある時期の素晴らしいタイム・カプセルでもある。

「このアルバム『The Turning Tide』は私のキャリアにとって重要な時期を物語っているの。自分のアイデンティティを探していた時だったわ」と話す。当時の『The Turning Tide』レコーディングの前まで、P.P.アーノルドはアンドリュー・ルーグ・オールダムのイミディエイト・レコードに所属し、そこでスモール・フェイセスとの親交を深め、彼らの楽曲を歌い、また、キャット・スティーヴンスの「The First Cut Is The Deepest」のカヴァーなど自身のヒットも輩出した。 

「イミディエイト・レコードではアンドリューがヴィジョンを持っていて、私はただの若いシンガーだったの。だからソロ・アーティストになるなんて考えてもいなかった」と振り返る。「彼の指導のもとに歌っていたの。何かを無理強いされたことはないし、一緒に曲を選んだりしたわ。私のオリジナルの曲は全てミック・ジャガーがプロデュースしてくれた。それでも自分自身がどういうアーティストなのかわかっていなかったし、イミディエイトの後はそれを見つけ出さなければならなかった」。

ビー・ジーズが彼女のセカンド・アルバム『Kafunta』に収録されている「To Love Somebody」を気に入り、バリー・ギブとP.P.アーノルドは、両アーティストのマネージャーを務めていたたロバート・スティグウッドを介して出会った。バリー・ギブとのレコーディングについてアーノルドはこう語る。「彼との仕事は本当に楽しかったわ。バリーは『The Turning Tide』に収録されている‘Turning Tide’と‘Bury Me Down By The River’をレコーディングしたの」。

「バリーはのちにソロ活動をした時にその時の何曲かをレコーディングしていたわ。他に誰もレコーディングしたことがない唯一の曲は‘High And Windy Mountain’ね」。「Bury Me Down By The River」の最後には、P.P.アーノルドが「Hey Barry?」と話しかけ、バリー・ギブが「Yes love?」と答えているのが聞こえる。

バリー・ギブが忙しくなり、マネージャーのロバート・スティグウッドが彼女との仕事に無関心になっていくにつれ、その楽曲もお蔵入りとなった。「そしたら‘スティギー’がやってくれたの。エリック・クラプトンのデラニー&ボニー&フレンズのツアーでオープニングを務めることになって。ジョージ・ハリスンもビリー・プレストンもそのツアーに参加していた。だからアシュトン・ガードナー&ダイクとバンドを組んだの。その後間もなくイエスとして活動するスティーヴ・ハウがギターを弾いていて、レスリー・ダンカンとケイ・ガーナーがバック・ヴォーカルを務めていたのよ」。

「ツアーは本当に楽しかったわ、みんな仲良くなって。それでスティギーがエリックと私がスタジオに入る時間を作ってくれて、どうなるかやってみようということになったの」。デラニー&ボニーのツアーしていたバンドは、その後デレク&ザ・ドミノスとなって楽曲を演奏し、バック・ヴォーカルはリタ・クーリッジとドリス・トロイが務めた。

「レコーディングしたものは素晴らしかったんだけど、スティギーがその方向性を好きではなくて」とP.P.アーノルドは続ける。「誰も私のことをどうすればいいかわからなかったの。彼はマネジメントをしていたけど、私の成長を熱望していたわけではなかった。だからエリックとの制作した曲が収められたテープは、バリー・ギブのテープの隣に置かれてそのままになってしまったの」。

P.P.アーノルドはすでにエルトン・ジョンのバンドで活躍していたギタリストのカレブ・クエイと楽曲の共作とレコーディングを行ったが、それでもこのレコーディングはどこへもたどり着かなかった。それから数十年にわたって数え切れないほどのアーティストと歌い、ニック・ドレイクからロジャー・ウォーターズ、ピーター・ガブリエルの「Sledgehammer」などのメジャーなヒット曲に参加し、1988年にビートマスターズの「Burn it Up」で全英チャートに返り咲き、すでに高かった評判を広げていった。

現在、71歳になったばかりの彼女は、『The Turning Tide』への関心が新たな刺激になっていると話す。「バリー・ギブのマネージャーのディック・アシュビーが私をビル・レヴェンソンにつないでくれて、バラバラの場所にあったテープを見つけたの、ロンドンにもあったし、ドイツにもロサンゼルスにも。それを全部まとめると結構な曲があるのよ。今回のアルバム以外にもまだまだ楽曲はあるわよ」。

今後もP.P.アーノルドのインタヴューをuDiscoverでご紹介していきます。スティーヴ・マリオット、ロッド・スチュワートとの話など、ポップ、ロックとソウルにおける彼女の50年以上の冒険を。

Written by Paul Sexton


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