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元ヘヴィ級ボクサーが作曲し、パクられ、カヴァーされ続ける名曲「Hoochie Coochie Man」

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ウィリー・ディクソンと言えば、戦後のシカゴ・ブルースの音楽シーンにおける、まごうことなきプロレタリアートの詩人である。作詞家としての彼の疑念の余地のない才能は、恐らくミシシッピ州ヴィックスバーグで過ごした幼少期、母親が自作の詩を暗誦するのを聴いていた頃に育まれたと思われる。だがウィリー・ディクソンにとって、音楽は最初に目指した道ではなかった。彼は数年間、そこそこ成功したヘヴィ級ボクサーとして活躍した後に、様々な仕事を転々とし、音楽ビジネスに辿り着いたのである。一躍その名を挙げたのは1948年、シカゴのチェス・レコードで職を得てからで、ダブル・ベースの演奏とアレンジの技術、タレント・スカウトとしての確かな目、そして勿論卓越したソングライティングの力量(彼が所属レーベルのアーティストたちのためにペンを振るった数え切れないほどの名曲の中でも、「Hoochie Coochie Man」、 「I Just Want To Make Love To You」 、そして 「Back Door Man」は代表格だ)により、彼はあっと言う間に社内スタッフルームのヒエラルキーを駆け上がった。

「Hoochie Coochie Man」を最初にレコーディングしたのは、マッキンリー・モーガンフィールドとしてミシシッピ州ローリング・フォークに生を受けた、バカでかい声をしたデルタ・ブルーズ・シンガーである。彼はステージ・ネームをマディ・ウォーターズと名乗り、1950年にチェスと契約する以前にも既に幾つかチャート・ヒットを飛ばしていた。マディ・ウォーターズがR&Bチャートで5曲のトップ10ヒットの実績を積み上げたところで、ウィリー・ディクソンは彼に「Hoochie Coochie Man」を提供した。原題を 「(I’m Your) Hoochie Coochie Man」といったこの曲は、1954年にリリースされると、マディ・ウォーターズにとってR&Bチャート最高位第3位というアメリカ国内最大のヒットとなったが、恐らくそれより重要なのは、ウィリー・ディクソンの名を著名なソングライターの地図に記させた点だろう。

この曲の音楽的な礎は、独特の緊張感と堂々たる貫禄で進んでは止まり、また進んでは止まりを繰り返すひとつのギター・リフ(リトル・ウォルターのもの悲しいハーモニカが更に音を重ねる)で、これは後に60年代のロック・ミュージックにおける一要素として吸収され、そのDNAの根源的な部分となったものだ。

ウィリー・ディクソンの他の多くの曲と同様、 「Hoochie Coochie Man」には鬱積したエロティシズムが充満している。“hoochie coochie”という言い回しは、19世紀の猥褻なダンスに由来しており、アフリカ系アメリカ人たちの間のスラングではアルコールとセックスを指す言葉だった。ウィリー・ディクソンはジプシーの予言と、ヴードゥー教から派生した黒魔術のイメージ (“I got a black cat bone/I got a mojo too”)を盛り込むことで、曲の持つパワーを更に増幅させた。また彼は迷信と運の持つ力と重要性を強調し、特に後者は第3ヴァースで繰り返し使われる7という数字に顕著である(“On the seventh hour/On the seventh day/On the seventh month/The seventh doctor say…”).

マディ・ウォーターズはR&Bチャートでは「Hoochie Coochie Man」を出す前にも後にも多数のヒットを出したものの、数字的にはいずれもこの曲を超えることはなかった。「Hoochie Coochie Man」はミシシッピ生まれのマディにとって最大のセールスを記録したシングルというだけでなく、名刺代わりの一曲となり、その特徴的で泥臭いスタイルを凝縮した象徴的なレコードと目された故に、彼はキャリアの中で何度となくこの曲をレコーディングしている。

デルタ・ブルーズとロックン・ロールの間の架け橋である 「Hoochie Coochie Man」のサウンドと構成は、たちまちのうちにポピュラー・ミュージック界にも浸透した。1955年、ボ・ディドリーがこの曲のメインのリフをリサイクルし、事実上全く同じヴォーカル・メロディ(ただし歌詞は新たに書き下ろし)を使って自作曲「I’m A Man」として発表したところ、皮肉なことに 「Hoochie Coochie Man」 を上回る全米R&B第1位の大ヒットとなった。ロックン・ロールのソングライター兼プロデューサー・チームのジェリー・リーバー&マイク・ストーラーも、「Hoochie Coochie Man」のリフをパクって、ザ・ロビンズの「Riot In Cell Block No.9」に仕立て直し、ヒットを獲得した。

60年代にヨーロッパとアメリカの両方でブルース及びフォーク・ミュージックに対する関心が再燃すると、シーンは「Hoochie Coochie Man」のカヴァー・ヴァージョンで溢れ返った。口火を切った中の一組が1962年、イギリスのアレクシス・コーナー率いるブルース・インコーポレイテッドである。2年後、ポップ・グループのマンフレッド・マンもデビューLP『The Five Faces Of Manfred Mann』にカヴァー・ヴァージョンを収録した。更に英国では、後にクリームのメンバーとなるジャック・ブルースとジンジャー・ベイカーが、オルガン奏者のグラハム・ボンドをサポートしていたことでも知られるザ・グラハム・ボンド・オーガニゼーションが、1965年のアルバム『The Sound Of ‘65』からの先行シングルとしてこの曲をリリースしている。

それより有名なのが、1966年に刺激的なジャズ・ヴァージョンを出したハモンド・オルガン奏者のジミー・スミスと、更にその一年後、50年代にはマディ・ウォーターズとチェスでレーベル仲間だったチャック・ベリーが、 自らの比類なきスタイルそのままに録音した、もはやオリジナル・ナンバーとも言える極上のライヴ・ヴァージョンである。その同じ年、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスがBBCラジオのセッションでエナジー漲るヴァージョンを披露しているが、何と言っても60年代に生まれた「Hoochie Coochie Man」のベスト・テイクのひとつは、カナダ出身のロック・グループで、エポックメイキングな大ヒット曲「Born To Be Wild」で知られるカウンターカルチャーの寵児、ステッペンウルフによるカヴァーだろう。彼らの解釈によるこのウィリー・ディクソンのナンバーは、花崗岩並みにハードなリフと、フィードバック全開のリード・ギター、咆哮のようなヴォーカルと、どこを取っても申し分ない。



70年代に世に出た 「Hoochie Coochie Man」の出色のカヴァーも数々あれど、まず挙げるとすればサザン・ブルース・ロックのパイオニア、 オールマン・ブラザーズ・バンドがLP『Idlewild South』に収録した、デュアン・オールマンの扇情的なスライド・ギターをフィーチュアしたハイオク・ヴァージョンではないだろうか。

これと時を同じくして、シカゴのブルーズ・ギターの達人バディ・ガイが、ハーモニカ奏者ジュニア・ウェルズとピアニストのジュニア・マンスとのコラボアルバム『Buddy And The Juniors』で、「Hoochie Coochie Man」を、彼らしい余分なものを削ぎ落としたアコースティック・ヴァージョンでレコーディングした。

また70年代初期には、ポスト・パンクスのニューヨーク・ドールズが「Hoochie Coochie Man」をレコーディングしており(ただしこのヴァージョンがリリースされたのは1992年になってからだった)、ジョニー・サンダースの叩きつけるパワー・コードとデヴィッド・ヨハンセンの大音響のヴォーカル、ワイルドなハーモニカで個性が際立っている。もうひとつ新たな切り口を見せてくれたのは、ニューオーリンズ出身のソウルフルなシンガー、スキップ・イースタリングで、踊るようなフルートの音色と柔らかなホーンのパートを活かしたメロウなヴァージョンは、ジャズの息のかかったファンクとブルースのフュージョンだ。

ケタ外れにヘヴィな方向性の解釈と言えば、ロック・トリオのモーターヘッドによる1983年の強烈なヴァージョンで、ブライアン・ロバートソンの猛り狂うギターが、故レミー・キルミスターの絞め殺されそうなヴォーカルと対等に張り合っている。

90年代に出た目ぼしいヴァージョンを挙げるとなると、元フリー/バッド・カンパニーのシンガー、ポール・ロジャース、自らのブルースのルーツを再訪する決心をし1994年のアルバム『From The Cradle』に「Hoochie Coochie Man」を収録したエリック・クラプトン、そして1998年に 「Hoochie Coochie Gal」のタイトルでこの曲を録音したエタ・ジェイムスぐらいだろう。

近年には亡くなったブルーズ・ロッカーのジェフ・ヒーリーや、驚くべき肺活量を誇るカレン・ラヴリー(彼女の鮮烈なカヴァーには「Hoochie Coochie Woman」という副題がついている)らの現代風ヴァージョンが世に出る一方で、2016年にはブルース・マニアで知られたザ・ドアーズによる、50年前に録音されながらレコード盤のボックス・セット『London Fog』の収録曲として初めて世に出ることになったライヴ・ヴァージョンなどという掘り出し物もあった。

「Hoochie Coochie Man」 はヒップホップ・エイジのサンプル素材としても引っ張りだこだ。とりわけよく知られているのは、1970年のウィリー・ディクソンのヴァージョンから一部を拝借してトラックに使用した、ビッグ・ダディ・ケインの「Somebody’s Been Sleeping In My Bed」である。それ以外で特筆すべきは、マディ・ウォーターズのオリジナルの45回転盤をサンプリングしたスペインのラッパー、デフ・コン・ドスが1993年に発売したToponoto Blues」とラップサスクレイ2010年の「Nací Para」あたりだろうか。

初めてレコーディングされてから63年を経てなお「Hoochie Coochie Man」の人気は衰える兆しすら見せず、ブルースのみならずロックやポップ・ミュージックにおいても、未だに現役バリバリの主要なサウンドの礎のひとつとして、その存在を評価され続けているのだ。

Written By Charles Waring



♪ステッペンウルフの「Hoochie Coochie Man」をはじめ、ロックン・ロールの基礎を造ったウィリー・ディクソンによる多数の曲をフィーチュアしたブルース初心者向けプレイリスト『Roots Of The Blues: Hoochie Coochie Man』をフォロー:Spotify

 

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