トラフィックのオリジナルメンバーでありマルチプレイヤー、クリス・ウッドを偲んで

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1944年6月24日生まれのクリス・ウッドは、トラフィックのオリジナル・メンバーとして最も知られている。しかし、彼はフルート、サックス、キーボードの名手として、そして時に作曲家として数多くの作品に関わってきた。その中にはジミ・ヘンドリックス、フリー、ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース、ジョン・マーティンなど、たった39歳という短かすぎる生涯を終えるまでに数多くのアーティストの作品に参加している。

バーミンガムのクイントン郊外に生まれたクリス・ウッドは、若くから芸術への情熱を抱き、様々な楽器を独学で学ぶ道を歩み始める。彼はすぐにクリスティン・マクヴィー(旧姓パーフェクト。ランカシャー生まれだがバーミンガム育ち)やスタン・ウェッブ(のちにパーフェクトをフィーチャーしたチキン・シャックを結成)、そしてトラフィックで同僚となるスティーヴ・ウィンウッドとジム・カパルディといった同じ志を持ったまだ無名の地元ミュージシャン達と出会った。

ウッドは若くして地元では名の知れたエルボー・ルームと呼ばれる小屋で演奏するジャズ・ブルース・バンドに所属していたが、1967年にウィンウッドがスペンサー・デイヴィス・グループを脱退し、より実験的な音楽を追求するべく2人はカパルディとデイヴ・メイソンと共にトラフィックを結成する。その中でもクリスのフォーク・ミュージックへの造詣の深さが、即座にバンドのユニークな音の融合の鍵となった。例えば、彼は17世紀の歌である「John Barleycorn」のリアレンジしたカバーをトラフィックが行うという大胆な案をバンドに提示し、後にバンドの作曲を一手に行ったウィンウッドとカプリと共作し、他にも「‘Dear Mr. Fantasy」を含む数々の楽曲を共作した。

しかし、トラフィック以外にもクリス・ウッドは1960年代後半から70年代初期までの数々のアーティストのクラシック・アルバムと呼べる素晴らしい作品に登場している。1968年の金字塔とも呼べるジミ・ヘンドリックスのアルバム『Electric Ladyland』に収録されている「1983…(A Marman I Should Turn To Be)」で彼はフルートを演奏。翌年にはフリーのセルフ・タイトル・アルバムに収録されている「Mourning Sad Morning」にも同じく参加している。

他にも1969年にチキン・シャックのアルバム『O.K.Ken?』や1970年のライブ・アルバム『ginger Baker’s Air Force』、1973年にジョン・マーティンがリリースした『Inside Out』にも参加し、他にもショーン・フィリップス、リーボップ・クワク・バーやクロウラー等の作品にも登場している。

彼はアルコールやドラッグ、うつ病との闘病の末1983年7月12日に肺炎で亡くなった。しかし、彼の真摯な創作への情熱は彼の世代やその次の世代へと引き継がれている。2017年には、彼の音楽への功績を讃えるべく212ページに及ぶ本を含む限定ボックスセット『Evening Blue』がリリース。下記の動画ではその革仕様のボックスセットのメイキング映像が公開されている。

 Written By Paul Sexton


トラフィック『John Barleycorn Must Die』
ハイレゾCDにて発売中

♪ 『Traffic Best Of 』

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