元テンプテーションズのリード・シンガー、デニス・エドワーズが74歳で死去

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Photo: Michael Ochs Archives/Getty Images

1968年にテンプテーションズに加入し、1977年まで続いた初期の在籍中に「I Can’t Get Next to You(邦題: 悲しいへだたり)」や「Ball of Confusion」、「Papa Was a Rollin’ Stone」といった伝説のモータウン・グループのヒット曲を次から次へと歌いあげたデニス・エドワーズが亡くなった。彼の家族がCBSニュースに伝えたところによると、死因は明らかにしていないが、デニス・エドワーズはシカゴ滞在中に亡くなったそうだ。デニス・エドワーズは2018年2月3日で75歳の誕生日を迎える予定だった。

テンプテーションズのオリジナル・メンバーである、オーティス・ウィリアムズが2018年2月2日に、以下の声明を発表した。

「我々は今日、我々の兄弟であるデニス・エドワーズの逝去の報に接し、深い悲しみに包まれています。彼は今、安らかな気持ちでいるでしょう。我々の愛と祈りを彼の家族に送ります。今までも、そしていつでも我々は、音楽業界で生き続けているテンプテーションズの遺産に対する彼の並々ならぬ貢献に感謝しています。テンプテーションズよ、永遠に」。

モータウンの設立者、ベリー・ゴーディもまたデニス・エドワーズに対する思いを共有した。

「私はかけがえのない人、デニス・デドワーズが亡くなったことを聞き悲しんでいます。我々のモータウン・ファミリーのひとつの明るい光を失いました。デニスはグループが大きくなり始めた重大な時期を迎えたテンプテーションズにとって、新たなメンバーとして迎えるには完璧なアーティストでした。彼は高身長で神秘的、ハンサムなうえに、他の人とは全く違う声といった彼らのスタイルを象徴していました。彼のよく響く低音のリード・ヴォーカルは、‘Cloud Nine(モータウン初のグラミー受賞)’や‘Psychedelic Shack’、‘Ball of Confusion’や‘Papa Was a Rollin’ Stone’といったヒット曲と共に、テンプテーションズをサイケデリックな時代へと導きました。お互い挨拶をするときはいつでも、強い抱擁と優しい笑顔がありました。彼の妻ブレンダ、そして彼の家族や友人に心から追悼の意を表します。デニス・エドワーズはこれからもモータウンの遺産の中で常に明るい光であり続けるでしょう」。

1932年、アラバマ州のバーミングハムで生まれたデニス・エドワーズが最初に歌ったのはコントゥアーズ。グループにとって最後のモータウン・シングルとなった「It’s So Hard Being A Loser」でリード・ヴォーカルを務めた。テンプテーションズに加入後のことを振り返り1970年に彼はこのようにブルース&ソウル・レコーズ誌に語った。「僕の現在の “職業”より前には、コントゥアーズとして活動していた。でもグループは解散をすることを決めたんだ。実は、ソロのシンガーとしてモータウンと契約していたんだけど、コントゥアーズに加入させられていたんだ。ソロとしてレコーディングはしたものの、モータウンからは一度も何もリリースされなかったんだ」

「とにかく、デヴィット・ラフィンがソロ活動でいくことを選んだ時、テンプテーションズに欠員が出来たんだ。僕はすでにテンプテーションズのメンバーのことはとても良く知っていたし、すでにソロのアーティストとしてそれなりに世間に認められている多数の他アーティストの熾烈な戦いをよそに、僕が6ヶ月のお試し期間を得られたのは幸運すぎるほどだった」。デヴィット・ラフィンすら褒め称えるデニス・エドワーズは大きな推薦を受けてテンプテーションズに加入したのだった。

デニス・エドワーズは、テンプテーションズの加入当時には、自分自身の役割を明確にするまでは神経質になっていたことを語っている。「僕はよく出来た模倣者だったよ」と彼は1969年のニュー・ミュージカル・エクスプレス誌で発言した。「まずテンプテーションズに加入したとき、僕はデヴィッド・ラフィンを真似しようとしたんだ。今度こそ僕は自分自身のグルーヴを見つけ、前よりも幸せだよ。はるかに幸せだ」

こうして既に尊敬されているグループに加入した新メンバーは新たな活気を与え、ファンキーでブルージーで、人を虜にしてやまないリード・シンガーとして彼自身の伝説を確立した。テンプテーションズがよりソフトなバラードから転換し始めたとき、デニス・エドワーズはよりサイケデリックなソウル色を帯びた1968年の曲「Cloud Nine」でリード・ヴォーカルをとり、モータウンとしては初となるグラミー賞を受賞した。ライター兼プロデューサーのノーマン・ホィットフィールドとグループの結びつき、そして彼による近代化した都会っぽいテンプテーションズの音の導入は、その後の彼らに何年もの間、莫大な成功をもたらすことになったのだった。

新しいラインナップによる常に独創性のあるヴォーカルの相互作用となるデニス・エドワーズが鍵を握った。そして、テンプテーションズはそれから何年にもわたり、「Run Away Child, Running Wild」や「Don’t Let the Joneses Get You Down」「Psychedelic Shack」、そして歌うのはほぼ不可能に近い数節をデニス・エドワーズが見事に歌ってみせる「Ball of Confusion (That’s What the World Is Today)」といったサイケデリック・ソウルな曲たちが次々とチャート入りし、成功を収めた。デニス・エドワーズは彼のヴォーカル・スキルを本当に見せつけたのは、テンプテーションズがシュープリームスと一緒に2枚のアルバム『Diana Ross & The Supremes Join The Temptations』と、モータウン・プロダクションズがプロデュースした1968年のテレビ番組『TCB』をレコーディングしたときだった。

「Cloud Nine」の後を受けて、テンプテーションズは1969年のLP『Puzzle People』で社会的意識の高い歌詞と共に、よりサイケデリックなサウンドへ向けた進化を続けた。アルバムには、デニス・エドワーズが再び異彩を放ち、第一位となったヒット・シングル「I Can’t Get Next To You」が収録された。

1972年、テンプテーションズはその後、R&Bでチャート首位の座を4度獲ることになるものの、全米のポップ・チャートとしては最後の1位となった「Papa Was a Rollin’ Stone」で獲得。多くの他の曲と同じく、バレット・ストロングと共にノーマン・ホイットフィールドが書いたこの曲は、デニス。エドワーズ独特のしゃがれ声で歌う有名な最初の一節「It was the third of September… (それは9月3日のことだった…)」から始まった曲だった。このヴォーカルは彼らの歴史において、この時代が特に一番の盛り上がりだったことを当時、反映していた。

「グループは今、これまでで一番幸せな状態だと思う」と彼はブルース&ソウル・レコーズ誌による別ののインタビューで答えた。「このグループで私が把握している中で、確実に最高に幸せな時間さ。現に、見れば分かると思うよ。うまくやれる限りは、演奏の半分以上をステージを降りた場所でこなしてるのだから。うまく気が合えば、もっと良い活動が一緒にできる。もし気が合わなければ、心身共に疲れてしまう。しかしグループとして、僕らは今とても幸せだよ。総じてね」。

ヴォーカルの達人たちが1976年のアルバム『The Temptations Do The Temptations』のために、モータウンからアトランティックへと移籍した時、デニス・エドワーズも活動を休止した。しかし彼はグループがモータウンへと戻った1980年代に復帰、新たな契約に基づき、R&Bチャートで11位を獲得した彼らの初シングル「Power」をリリースした。

10年に及ぶ不在期間を経て、1982年に復帰したデヴィッド・ラフィンはエディー・ケンドリックスと再会し、まさに再結成に相応しいアルバム名『Reunion』のために、デニス・エドワーズ、グレン・レオナルド、リチャード・ストリート、そしてオリジナル・メンバーのオーティス・ウィリアムズとメルビン・フランクリンを含む当時最新のテンプテーションズのラインナップに加わった。1980年代にわたって、デニス・エドワーズはテンプテーションズの1986年のアルバム『To Be Continued…』など、グループのレコーディングに断続的に関わった。彼の最後のバンド在籍となった1987年から1989年まで、デニス・エドワーズはグループに再加入していた。

デニス・エドワーズの初のソロ、ヒット曲となった「Don’t Look Any Further」は1984年、全米R&Bチャートで2位の座を2週間守り抜いた。この曲はロサンゼルス出身のヴォーカル、サイーダ・ギャレットの才能も紹介した。その後、サイーダ・ギャレットはソロ活動で成功を収め、マイケル・ジャクソンの全米1位獲得曲となった1987年の「Just Can’t Stop Loving You」にマイケルのデュエット役として起用された。

エリック・Bとラキムの「Paid in Full」や、2パックの「Hit ‘Em Up」、ノートリアス・B.I.G.がフィーチャリングされたジュニア・マフィアの「Get Money」など、その他数えきれないほど「Don’t Look Any Further」はサンプリングとしてヒップ・ホップ業界でかなり使われることになった。彼は続作の「(You’re My) Aphrodisiac」でR&Bのトップ20入りを果たし、ある意味、デニス・エドワーズの最も成功したソロ・リリースとして残ったが、1985年の「Collin’ Out」ではトップ30シングル入りを果たしただけとなった。

Written by uDiscover Team

PHOTO CREDIT: Motown Records Archives



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