スティーヴィー・ワンダーの名盤を共作したシンセサイザーのパイオニア、マルコム・セシルが逝去

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Photo: Daniel Knighton/WireImage

ジャズ界の重鎮で、シンセサイザーのパイオニアとして知られるマルコム・セシル(Malcolm Cecil)が、2021年3月28日早朝、長い闘病生活の末、84歳で逝去した。

マルコム・セシルは、50年代のUKジャズ・シーンを代表するジャズ・クーリアーズ(The Jazz Couriers)の創設メンバーを経て、ブリティッシュ・ブルース・バンド、ブルース・インコーポレイテッド(Blues Incorporated)のメンバーとして活躍するなど、音楽史上最も多彩で優れたキャリアを誇るミュージシャンのひとりだ。

しかし、彼のキャリアの方向性(もっと言えば音楽史)を変えることになったのは、ロバート・マーゴレフと共同創設したトントズ・イクスパンディング・ヘッド・バンド(TONTO’s Expanding Head Band)での活動だった。そして1970年代のバンド結成直後に、彼らの存在は当時画期的なアルバムを発表し始めたばかりの若き日のスティーヴィー・ワンダーの目にとまったのだ。

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TONTOとは、”The Original New Timbral Orchestra”の頭文字をとったもので、自身が望むスタイルでミュージシャンたちに演奏してもらうことに苦心していたマルコム・セシルが数年かけて設計・構築した世界初の、そして現在でも世界最大規模の“多音色ポリフォニック・アナログ・シンセサイザー”のことである。2013年に行われたRed Bull Music Academyのインタビューの中で、彼はTONTO製作の動機について次のように語っている。

「TONTOに着手したのは、シンセサイザーのオーケストラが間違いなく驚異的なものになると感じていたからです。また、僕は長年、ミュージシャンたちが演奏できなかったサウンドを実験的につくり出してみたいと思っていました。拍子記号は、多くのミュージシャンが演奏できなかったものの一つでした」

スティーヴィー・ワンダーは、アルバム『Talking Book』のアソシエイト・プロデューサーにマルコム・セシルとロバート・マーゴレフを起用し、マルコム・セシルが開発した刺激的なシンセサイザーを中心に自身のサウンドを構築していった。

同アルバムで、1972年のグラミー賞“最優秀アルバム技術賞(クラシック以外)”を共同受賞した2人は、今作の他にも『Music of My Mind』(1972年)、『Innervisions』(1973年)、『Fulfillingness’ First Finale』(1974年)でもスティヴィー・ワンダーとタッグを組んでいる。後にマルコム・セシルは、スティーヴィー・ワンダーとの日々を振り返りこう語っていた。

「スティーヴィーは、夜中の2時に電話をかけてきて、“今からスタジオに行くよ”と言うんだ。“わかったよ”って、僕たちはそこへ向かう。祝日もクリスマスも誕生日も、彼にとっては関係なく、全てスティーヴィーの時間で動いていました。僕たちは4年間ずっとそんな風に仕事をしていました」

 

マルコム・セシルとTONTOと言えば、スティーヴィー・ワンダー作品のイメージが強いが、彼はミニー・リパートン、ボビー・ウーマック、アイズレー・ブラザーズ、ギル・スコット・ヘロン、スティーヴン・スティルス、リトル・フィートなど、数多くの画期的なアーティストたちと仕事を共にしてきた。

Written By Will Schube




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