ノー・ウェイヴのパイオニアであり作曲家、グレン・ブランカが69歳で死去

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Photo: Frans Schellekens/Redferns

前衛的でアヴァン・ギャルドな作曲家兼ギタリストであり、70年代、80年代のニューヨークにおけるノー・ウェイヴ・シーンを築き上げたグレン・ブランカが癌を患い、2018年5月13日69歳で亡くなったとBillboardが報じた。

グレン・ブランカの妻であり、エクスピリメンタル・ギタリスト、作曲家、ソロ・アーティストのレッグ・ブロワーがFacebookページで声明を発表している。

「昨夜、グレン・ブランカは眠っている間に息を引き取りました。咽喉がんでした。

この18年半の間、見事なアイディアとクリエイティヴィティの源を持つ彼と共に生活し、活動できたことに感謝しています。グレンが作った音楽は、彼が日々の中で思いついたアイディアのほんの一部でしかありませんでした。彼が音楽の世界に与えた影響は計り知れません。

荒々しい外見とは裏腹に、彼はとても思いやりのある、忠誠心の強い人でした。私達は一緒に2人の小さな世界で生きていました。本当に愛しています。今、心が打ちひしがれています。

グレンは充実した人生を送り、後悔はなかったと思います。それを可能にしてくださったファンやミュージシャンの皆さんに感謝しています。

グレンの遺志を尊重し、公な告別式は行いません」。

グレン・ブランカの不協和音のギターをベースにした音楽は、彼をノー・ウェイヴのシーンにおいてのキーの存在にしただけでなく、ソニック・ユースの初期の音楽の礎ともなった。最近のインタヴューで、元ソニック・ユースのサーストン・ムーアは英雑誌ザ・クワイエタスにこう答えている。

「グレンからは、集中し専念することで、圧倒されるような新たなサウンドの世界が生まれることを学んだ。グレンはマセチューセッツ州、ボストンの過激なシアター・グループ(バスタード・シアター)出身で、ある意味ワイルドで、優しくて、スピード狂で、逆張りのマエストロだった。すごく刺激的だし、唯一無二の作品を作っていたんだ」。

1948年10月6日に生まれグレン・ブランカはペンシルバニア州ハリスバーグで育ち、エマーソン大学に通うためボストンに移り住んだ。最初は1975年に実験的なシアター・グループのバスタード・シアターでサウンドでの実験を試み、その後ニューヨークへ移り、最終的にシアターから音楽の世界に邁進し、ジェフリー・ロンとともにアート・ロック・グループのセオレティカル・ガールズを結成。1980年代になった頃には、グレン・ブランカは自身のレコード・レーベルであるニュートラル・レコードを設立、ソニック・ユースやスワンズの初期の作品をリリースした。

グレン・ブランカの初期の歴史は目まぐるしいCBGBの日々と密接だが、のちに著名な作曲家、そしてシンフォニック作家へと変貌した。ギター・オーケストラのザ・グレン・ブランカ・アンサンブルでは、サーストン・ムーアと同じくソニック・ユースのメンバーであるリー・ラナルドを含む100人以上ものミュージシャンが集結、16の異なるシンフォニーを書き下ろした。また、グレン・ブランカは、クラシック界にも認められたギターを中心としたオーケストラの先駆者であり、最近では2016年にその努力が収録された『Symphony No.13 (Hallucination City) for 100 Guitars』をリリースしている。

Written by uDiscover Team


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