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  • クイーン『INNUENDO / イニュエンドウ』制作秘話:フレディ生前最後となったアルバムの内容

    クイーン『INNUENDO / イニュエンドウ』制作秘話:フレディ生前最後となったアルバムの内容

    『Innuendo』が発表されたのは1991年2月4日、前作の『The Miracle』から僅か20ヵ月後のことだ。クイーンの新作としては、ここ10年以上の中で最も短い間隔でのリリースであり、それ自体は喜ばしいことであった。しかし彼らにとって14作目となるこのスタジオ・アルバムは、悲しみの色を帯びている。なぜならこれは、フレディ・マーキュリー存命中にリリースされた最後の作品となったからだ。

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    『Innuendo』のレコーディングは、1989年3月から1990年11月にかけ、ロンドン西部のメトロポリス・スタジオとモントルーのマウンテン・スタジオで行われた。元々は1990年のクリスマス期に合わせたリリースを目指していたが、フレディの体調不良により、完成の延期が余儀なくされた。だがそのような事情は、曲のクオリティや、4オクターブを超えるフレディのヴォーカルのパワーからは窺い知れない。音楽的に複雑な本作は、多くのファンにとって“原点回帰”作となっており……そして、それは全く悪いことではない。

    1990年2月、ブリット・アウォード音楽賞において、クイーンは<英国の音楽に対する傑出した貢献>を称える賞を受賞。遅すぎるほどだが、当然の受賞であった。ロンドンのドミニオン劇場で開催された授賞式には、バンド全員が出席。ブライアン・メイがバンドを代表して受賞スピーチを行った。結果としてこれが、フレディ・マーキュリーが公の場に姿を現した最後の機会となった。

    Queen win Outstanding Contribution Award presented by Terry Ellis | BRIT Awards 1990

     

    アルバムの内容

    アルバムの表題曲でもあるオープニング・トラック「Innuendo」の1小節目から、バンドは準備万端。これぞ威風堂々とした、壮大かつ華麗なるロックというものだ。「Innuendo」は元々ジャム・セッションから生まれ、全体的に微かなレッド・ツェッペリン風味が漂うが、クイーン独特のアプローチが全面的に打ち出されている。念のために言っておくと、間奏でフラメンコ・ギターを弾いているのは、イエスのスティーヴ・ハウだ。英国ではアルバムの先行シングルとしてリリースされ、全英1位を制覇。遅れてリリースされた米国では、ビルボード・メインストリーム・ロック・チャートでトップ20入りを果たした。

    Queen – Innuendo (Official Video)

    「I’m Going Slightly Mad(狂気への序曲)」は、元々フレディがノエル・カワードのパスティーシュ(模倣)として考え出した曲が由来で、その後バンドがスイスで完成させた。病が相当悪化した状態のフレディと共に撮影したビデオでは、ブライアン・メイがペンギンに扮している他、頭にやかんを載せたロジャー・テイラーや、中世の道化師の格好をしたジョン・ディーコン、バナナを頭に被ったフレディ・マーキュリーが登場する。

    Queen – I'm Going Slightly Mad (Official Video)

    ブライアンが「Headlong」をスイスのスタジオに持ち込んだ時は、元々自分のソロ・アルバムに収録するつもりでいた。だがフレディのヴォーカルを入れた途端、それは即座にクイーンの曲となり、1991年1月にアルバムのリード・シングルとしてリリースされると、米国ではメインストリーム・ロック・チャートのトップ3にランクイン。また「I Can’t Live With You」も、元はブライアン・メイのソロ・アルバム向けに書かれた曲だった。

    Queen – Headlong (Official Video)

    「Don’t Try Hard」は、フレディらしい美しいナンバーで、アルバムを繰り返し聴いた後、聴き手の心に深く刻み込まれ、根強い人気曲となるようなもののひとつだ。

    本作でロジャーが手掛けた最初の曲が「Ride The Wild Wind」で、当初デモとして録音した際には彼自身がヴォーカルを取っていた。だがその後、リード・ヴォーカルがフレディに代わり、ロジャーはバッキング・ヴォーカルに回っている。ブライアンのトレードマークであるソロは実に華麗だ。

    Queen – Ride The Wild Wind (Official Lyric Video)

    本作で唯一、作詞・作曲のクレジットがクイーン名義になっていない曲が、「All God’s People(神々の民)」である。これはフレディとマイク・モーランの共作で、元々はフレディがプロデューサー兼ソングライターのマイクと共に、ソロ・アルバム『Barcelona』用に書いたものだった。

    Queen – All God's People (Official Lyric Video)

    その次は、ロジャーがソングライターとして貢献した2つ目の曲で、ノスタルジックかつ痛烈な「These Are the Days of Our Lives(輝ける日々)」だ。この曲のミュージック・ビデオがフレディ最後の出演作となったことを知ると、より一層胸に沁みてならない。このビデオの最後でフレディは、カメラを真っ直ぐに見つめながら、「今も愛しているよ」と囁いている。

    「These Are the Days of Our Lives」は、1991年9月5日、フレディ・マーキュリーの45歳の誕生日に米国でシングルとしてリリースされた。フレディの死去を受け、英国では約3ヵ月後となる12月9日、両A面シングルとしてリリース。 英国盤シングルのもう片面は「Bo-Rap」で、全英チャート初登場1位を飾った後、5週間にわたり首位に君臨した。

    Queen – These Are The Days Of Our Lives (Official Video)

    「Delilah(愛しきデライラ)」はフレディが愛猫に敬意を表した曲だ。アルバム全体の路線からは外れているものの、フレディ・マーキュリーがどうしてもこれを収録したいと主張したと伝えられている。それに対し「The Hitman」の場合は、全く事情が異なる。当初フレディが書いていた曲をジョンが引き継いだもので、曲の構造の大部分を編成し直し、クイーンのトレードマークと言える楽曲に変貌させた。

    Queen – The Hitman (Official Lyric Video)

    「Bijou」はブライアンとフレディが考案した独創的な曲で、ヴァース部分をギターで演奏、コーラス(サビ)部分にヴォーカルが入っている。正にこれぞ美である!後にブライアン・メイが語っていたところによると、ジェフ・ベックの1989年の曲「Where Were You」から、多少のインスピレーションを受けたとのことだ。

    2008年、クイーン+ポール・ロジャースが『ロック・ザ・コスモス・ツアー』を行った際には、ヴァース部分をブライアン・メイが演奏、その後1986年のウェンブリー・コンサートでのフレディ・マーキュリーの映像が流された。

    Queen – Bijou (Official Lyric Video)

    クイーンのアルバムの最後を締め括る曲として、「The Show Must Go On」以上に相応しいものがあるだろうか?  あらゆる点において完璧なこの曲。これはまた、4人のメンバー全員が作詞・作曲に参加した曲でもある。

    終わりが近づいている時でさえも、レコーディングと作品作りを続ける、フレディ・マーキュリーの物語を伝えている曲。 この曲を聴き、圧倒されずにはいられない。 当初はシングル化されなかったものの、1991年10月にアルバム『Greatest Hits II』が発売された際、その先行シングルとしてリリースされた。この曲のプロモ・ビデオには、1982年以降のクイーンの全ビデオ・クリップがフィーチャーされている。

    Queen – The Show Must Go On (Official Video)

    『Innuendo』は全英チャートで首位を獲得。だが米国では残念ながら30位に止まった。その他の各国ではトップ10入りを果たし、オランダ、ドイツ、スイス、イタリアでは、誰もが羨むNo. 1の座をほしいままにしている。

    1991年11月24日、フレディが痛ましくもこの世を去ったことにより、それがクイーンの旅路の終わりであると誰もが考えた。だがその先に、更なるものが用意されていたのである……。

    Written by Max Bell



    クイーン『Innuendo
    1991年2月4日発売
    CD&LP / iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music

    クイーン『The Miracle Collector’s Edition』
    2021年11月18日発売
    国内盤: 5CD/DVD/Blu-ray/LP
    国内盤: 2CD
    輸入盤: 7inchアナログ
    *日本盤には『THE MIRACLE RADIO INTERVIEWS』の訳、映像の字幕付き


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  • フレディ・マーキュリーについてあなたが知らないかもしれない15の事実

    フレディ・マーキュリーについてあなたが知らないかもしれない15の事実

    フレディ・マーキュリー(Freddie Mercury)が天才的なソングライターであり,息を呑むほど独創的なパフォーマーであり,史上最高のバンドの一つであるクイーンのフロントマンであったことは誰もが知っている。

    しかし、あまり知られていないフレディ・マーキュリーの事実は数多くあり、それらの事実は1946年9月5日にザンジバルでファルーク・バルサラとして生まれた彼の人生と、彼が生み出した楽曲の深みを明らかにしている。ここでは、フレディ・マーキュリーについてあなたが知らないかもしれない15の事実を、彼自身のユニークな発言とともにご紹介しよう。

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    1. フレディ・マーキュリーは卓球やボクシングが得意だった

    インドの学校に通っていた若き日のフレディは卓球が得意で、休暇中はテニスをすることが多く、ウィンブルドンの観戦を楽しんでいた。また、ラグビーを見るのも好きだったが、一方でサッカーやクリケットは全く興味がなかった。

    「クリケットと長距離走は大嫌いで、どちらも全くダメ。でも、短距離走は得意だったし、ホッケーもね。それにボクシングのリング上では最高の選手だったよ」

     

    2. テニス界のスター、ビリー・ジーン・キングを助けたことがある

    フレディは、ニューヨークのナイトクラブが大好きで、ブルックリンにあったThe Gilded Grapeというディスコをチェックしに行った時のエピソードを語っている。

    「とても刺激的だと聞いていたけど、みんなから行くべきじゃないって言われてたんだ。誰もがこのクラブについて警告しようとしたので、もちろん僕は逆に行く決意を固めたんだ。着いて間もなく、大きな喧嘩が起こって、それは僕たちのテーブルにまで及んだんだ。椅子は壊され、拳が飛び交い、いたるところで血が流れていた。そこに僕の大好きなビリー・ジーン・キングが茫然としていたんだ。僕は彼女に大丈夫だよって言って、ケンカが激しくなると彼女をつかんでダンスフロアに連れて行ったんだ。ホテルでの居心地の良いディナーよりもずっと楽しかったよ」

     

    3. 彼のファッションセンスは両親を驚かせた

    イーリング・アート・カレッジの学生時代、フレディはさまざまなファッションを試していたが、実家ではあまり評判がよくなかった。彼は書籍『フレディ・マーキュリーア・ライフ、イン・ヒズ・オウン・ワーズ』の中でこう語っている。

    「僕の両親は、僕がやっていることについて激怒してたね。僕は定期的に実家に帰って、とんでもない服を着て、爪を黒く塗ってたりしてたんだけど、母は大騒ぎしていたよ。“近所の人に見られないようにしなさい。早く入ってきなさい。裏口を使いなさい!”ってね」

    Photo: Simon Fowler © Mercury Songs Ltd

     

    4. クイーンのロゴをデザインした

    1971年7月にフレディ、ブライアン・メイ、ロジャー・テイラーのラインナップにジョン・ディーコンが追加した後、フレディはクイーンのロゴをデザインした。これにはフレディはイーリング・アート・カレッジでアートとグラフィック・デザインを学んだことが役に立った。

    「バンド名をクイーンとして、僕がクイーンの紋章のロゴをデザインしたんだ。自分たちの星座を表す生き物を組み合わせたんだ(獅子座のジョンとロジャーは2頭のライオン、蟹座のブライアンは1頭のカニ、乙女座のフレディは2頭の妖精)。星占いは信じてないけどね」

     

    5. あまり睡眠を必要としなかった

    フレディは精力的に仕事をこなしながら、パーティーにも参加していたが、少しの睡眠でも生きていけると語っていた。

    「長時間眠らなくても大丈夫、それが僕の性分なんだ。夜に2、3時間だけ寝れば大丈夫。それがなぜなのかは分からないけど、本当なんだ。教えてあげたいくらい。それに僕は普通の人には理解できない方法でリラックスしているよ。飛行機で飛ぶときも20分寝るだけで十分。その短時間で充電できて、起きることができるんだ。毎日、何かをしていないとダメなんだよ」

     

    6. 悪い夢をよく見た

    「強烈な悪夢を見ることがよくあった。例えば、レインボーでのコンサート(1974年)の直前の夜に、ホリデイ・インの部屋で寝ていたんだけど、バルコニーに出たところでベランダが落ちて、舗道に倒れる夢を見たんだ。目が覚めたときには、本当に茫然自失だったよ」

     

    7. セックス・ピストルズの二人とやりあった

    1977年、クイーンがロンドンでアルバム『News Of The World』をレコーディングしていたとき、フレディは隣のスタジオにセックス・ピストルズのメンバー2人がいたときのことをこう語っている。

    「僕たちとパンク・ロックや反体制的なものが一つ屋根の下にあることを想像してみてよ。とにかく、ジョニー・ロットンとシド・ヴィシャスをスタジオに呼んで、僕らの曲を聴いてもらって、彼らが僕の曲を歌うなら僕も彼らの曲を歌うよって言ったんだけど、その時の彼らの姿を見てほしかったよ。彼らは、“フレディ・マーキュリーとは一緒に歌えない!”と言ってたよ。当時の僕はバレエ用のパンプスを履いていて、とても面白かったね。シド・ヴィシャスを“Simon Ferocious”って呼んだら、彼はその呼び名は全然気にいっていなかった。彼の体にはたくさんの傷があったから、“鏡で自分を引っ掻いたの?”と聞いたら、そんな風に話しかけられるのが嫌だったみたい」

     

    8. 小さな飛行機が怖かった

    クイーンは13回の大規模ツアーで世界を飛び回ったが、南米ツアーでは小型ジェット機で移動しなければならなかったことがフレディは気に入らなかったという。

    「怖かった。僕はジャンボジェットより小さい飛行機に乗るのが好きじゃなくて、僕たちが南米で乗った飛行機はとても小さかったんだ。到着先ではカメラマンとかが到着を待っていると聞いていたから、自分が怖くて震えているのを見せるわけにはいかなかった。肘掛けをしっかり握っていたから指先は真っ白になっていたよ。でも、到着したときには、いつものような笑顔でタラップから降りていった。怖がっていたなんて、誰にも気づかれなかったね」

     

    9. リンダ・ロンシュタットとブロードウェイで共演しないかと誘われた

    フレディは、劇場やバレエ、オペラを観に行くのが大好きだったが、自分で舞台に立つことは望んでいなかった。

    「劇場でひとシーズンを過ごすことなんてできない。一度、リンダ・ロンシュタットと一緒に『ラ・ボエーム』のオペラでブロードウェイに立たないか?って誘われたことがあるけど、冗談だろうと思ったよ。でも本当に、彼らは依頼してきた。彼らは僕がオペラ的な歌い方ができると思ったみたい。最初に頭に浮かんだのは、僕はマチネ(昼公演)はできないし、それに週に6日も7日も同じ舞台で歌えないことを彼らは理解していないねってこと。僕は退屈で死んじゃうよ」

     

    10. 裸で歌うのが好きだった

    マーキュリーは声帯に問題を抱えていたが、服を着ないでリハーサルをすることで解決と語る。

    「声帯結節のために、赤ワインは控えめにしなければならない。喉のウォーミングアップには、『モックオペラ(偽オペラ)』と呼ばれるものを行うんだ。裸でやるんだけど、ちょっとした刺激があるよ。服を着ているとうまくいかないから、完全な生身の状態で歌うんだ。声帯の専門医にも行ったんだけど、“ツアーはやらずに安静にしていなさい”とか“手術をしなさい”とか言われるだけ。手術を受けようと思ったこともあったけど、医者の顔が好きになれなかったし、変な器具を喉に押し込まれるのもちょっと抵抗があったんだ」

     

    11. ボードゲーム「スクラブル」の鬼だった

    フレディは1991年のアルバム『Innuendo』のタイトルについてこう語る。

    「『Innuendo』は僕がスクラブルでよく使う言葉で、僕はスクラブルの鬼なんだよ!クイーンにとっては完璧なタイトルだよ」

    (*スクラブルは欧米で人気のボードゲーム)

    Days Of Our Lives – 'Scrabble Wars'

     

    12. エルトン・ジョンとロッド・スチュワートとでスーパーグループを結成しかけていた

    「ロッド・スチュワートとエルトン・ジョンと僕は、3人の特徴をとって『Hair, Nose And Teeth』というバンドを結成しようとしたことがあったんだ……ワインをたくさん飲んだ後、その話をして“そうだ、やろう”って言って盛り上がったのはいいんだけど、翌日シラフになったエルトンが“ロッドとは歌わない”と言い、ロッドも“フレディとは歌わない”って言って、僕も“じゃあ、エルトンとは歌わない!”って。こりゃ絶対に実現しないことがわかったね」

     

    13. エルトン・ジョンから不動産のアドバイスを受けたことがある

    フレディとロジャー・テイラーは、若くて貧乏だった頃、ケンジントンの洋服屋で働いていたことがあった。フレディは、その後、ロンドンの高級住宅地のひとつであるケンジントンに8つのベッドルームが家を買えるほどの収入を得たことを楽しんでいたという。

    「大理石の床にマホガニーの階段、そして4分の3エーカー(約910坪)の庭まである……ケンジントンにあるんだよ! 信じられる? アラブ人が400万ポンド(約6億円)で買いたいと言ってきたんだ。それをエルトン・ジョンに話したら、“早く売って、プレハブに住もう!”と言われたよ。でも、これは僕の夢の家だから、いくらかかっても売らないよ」

     

    14. 高価なアートで家を埋め尽くした

    デイヴ・クラークが親友のフレディについて語った時、彼の芸術好きについて「彼がピカソの絵をトイレに飾っていたのをいつも覚えているよ」と語っていた。フレディは、サザビーズやクリスティーズのオークションに頻繁に行っており、こう語っていた。

    「たとえそれが美術品や骨董品であっても、僕は何かに囲まれていなければならないんだ。だから、たくさん収集していて、家中が美しい日本の美術品や骨董品であふれているんだ」

     

    15. アートに触発されて曲作りをした

    1974年のアルバム『Queen II』を制作していた頃、フレディは、ロンドンのテート・ギャラリーで見た絵画に触発されて「The Fairy Feller’s Master-Stroke」という曲を作ったと語っている。

    「僕にしてはとても珍しいね。アーティスティックというか、何というか、よく画廊に行くんだけど、テートでビクトリア朝のアーティストのリチャード・ダッドの絵を見て、とても刺激を受けたよ」

    Queen – The Fairy Fellers Master-Stroke (Official Lyric Video)

    Written By Martin Chilton


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