ブラジルのリズム:モダン・ジャズとボサ・ノヴァの出会い

July 26, 2017


ブラジルのリズム:モダン・ジャズとボサ・ノヴァの出会い

ブラジル音楽は1960年ごろに生まれ、その直後に太陽、海、ダンスを音楽に注入したブラジルのボサ・ノヴァやサンバが世界を席巻したと考える人々がいるかもしれない。しかし実際のところ、ブラジル音楽は誕生から500年以上を数えている。ヨーロッパやアフリカだけでなく、ブラジル先住民のサウンドから影響を受けた多様なスタイルを融合した音楽だ。

アントニオ・カルロス・ジョビンジョアン・ジルベルト、そしてアストラッド・ジルベルトといったスターが、モダン・ジャズ色を帯びたブラジルのリズムを描写した一方で、セルジオ・メンデスイリアーヌ・イリアス、ジョルジ・ベンをはじめとする大勢のアーティストが、ブラジル音楽を世界のリスナーへと届けることに貢献した。

ブラジル音楽とジャズの世界のユニークな関係について探ってみると、1960年前半が、ブラジルのリズムの歴史にとっていかに重要な時代だったかが分かるだろう。

Rhythms of Brazil

1961年の春、米国政府がモダン・ジャズの様相を一変させるきっかけとなった。これは、誰も予想がつかなかったことである。米国務省が、ギタリストのチャーリー・バードを南米の外交ツアーに派遣した。米国政府は、文化の輸出をポジティヴな政治手段だと考えていたのだ。しかし、この南米ツアーを終えて、チャーリー・バードがアメリカに持ち込んだものの方が、後に大きな意味を持つようになった。

南アメリカから帰国してすぐに、チャーリー・バードはワシントンDCのショウボート・ラウンジでスタン・ゲッツと会った。その後、チャーリー・バードがスタン・ゲッツの自宅でジョアン・ジルベルトとアントニオ・カルロス・ジョビンのボサ・ノヴァ・レコードをかけると、スタン・ゲッツもボサ・ノヴァをすっかり気に入り、ラテンの影響を採り入れたレコードの制作は良いアイディアであること、そしてさらに重要なことには、ヒットの可能性があることをプロデューサーのクリード・テイラーに訴えようと考えた。当時クリード・テイラーは、ヴァーヴ・レコードの運営を同社創業者のノーマン・グランツから引き継いだばかりだった。

クリード・テイラーは2人に説得され、こうして1961年10月、スタン・ゲッツとチャーリー・バードは最初のジャズ・サンバをレコーディングしたが、レコードはリリースされなかった。それから数か月後、1962年のヴァレンタイン・デーに、2人はチャーリー・バードの弟のジーン・バード(ギターとベース)、キーター・ベッツ(ベース)、バディ・ディペンシミット(ドラム)、ビル・ライヒェンバッハ(パーカッション)とともに、ワシントンDCのオール・ソウルズ・ユニテリアン教会のピアース・ホールでレコーディングをした。この教会は音響が素晴らしく、2人はそれを利用したのだ。キーター・ベッツとバディ・ディペンシュミットはチャーリー・バードの南米ツアーに参加していたため、ブラジルのサウンドに多少は通じていた。そして何よりも、ブラジルのリズムを理解していた。

「あれはチャーリー・バードのアイディアで、ここまで大きくなるとは誰も思っていなかった」クリード・テイラー

こうして完成したアルバム『Jazz Samba』は1962年4月にリリースされ、9月には全米ポップ・アルバム・チャートに入ると、翌年3月には首位に輝いた。同作は70週もの間アルバム・チャートに在位し、ボサ・ノヴァを地上で最もクールな音楽にすることに貢献した。また、同アルバムからの「Desafinado」は、シングル・チャートの15位に入り、チャーリー・バードのアルバムとシングルは、ボサ・ノヴァ大流行のきっかけとなっただけではなく、ヴァーヴ・レコードにとっても大きな利益をもたらした――ジャズ・レコードが大ヒットになることは、滅多になかったのだ。

『Jazz Samba』がチャートに入る前から、クリード・テイラーはスタン・ゲッツをゲイリー・マクファーランド・オーケストラと組ませ、『Big Band Bossa Nova』をレコーディングしていた。また、同時期にカル・ジェイダーも「Weeping Bossa Nova (Choro E Batuque)」をリリースしていた。そして1962年の終盤、エラ・フィッツジェラルドは「Stardust Bossa Nova」をレコーディングし、大晦日にはルイス・ボンファとブラジル人ピアニストのオスカー・カストロ・ネヴィスが『Luiz Bonfa Plays And Sings Bossa Nova』をレコーディングした。こうして、大勢のアーティストがボサ・ノヴァ人気に乗じたのだった。

「ジャズの演奏ほど、自然に発生するやり取りを心ゆくまで楽しめるアート・フォームは、会話以外には存在しない」
スタン・ゲッツ

Rhythms of Brazil

ボサ・ノヴァとは「ニュー・ウェイヴ(新しい波)」、「ニュー・トレンド(新しいトレンド)」を意味する。そして、『Big Band Bossa Nova』はその新しい波に乗り、1963年に全米アルバム・チャートで13位にランクインする。『Jazz Samba』と『Getz/Gilberto』という、この時代の名盤2枚に挟みこまれた同作は、不当にも見過ごされることがある。しかし、ハンク・ジョーンズのピアノはとりわけ素晴らしく、ジム・ホールはチャーリー・バードに代わってアコースティック・ギターを弾いている。アレンジャーのゲイリー・マクファーランドが4曲でペンを執っているが、他はブラジルのアントニオ・カルロス・ジョビン、ジョアン・ジルベルト、ルイス・ボンファによる楽曲だ。

1963年2月27日、スタン・ゲッツは続編『Jazz Samba Encore』をレコーディングしたが、ミュージシャンを一新した。このアルバムでは、アントニオ・カルロス・ジョビンとルイス・ボンファをピアノとギターに迎えたのだ。前作の商業的成功には遠く及ばなかったものの(大ヒット作の続編にはありがちなことだ)、多くのファンにとっては、前作よりも満足度の高いアルバムとなった。そして1963年3月、ニューヨークのA&Rスタジオで、スタン・ゲッツとピアニストのアントニオ・カルロス・ジョビン、ベーシストのトミー・ウィリアムス、ドラマーのミルトン・バナナ(彼の出生名はアントニオ・ヂ・ソウザ)、妻のアストラッド・ジルベルトを同伴したギタリストのジョアン・ジルベルトは、後に大きな影響を与えるブラジリアン・ジャズ・アルバムをレコーディングした。プエルトリコ出身の画家、オルガ・アルビスによるカヴァー・アートから、ソフトなサンバ・サウンド、さらには楽曲の主題(‘Corcovado コルコバード’と‘Ipanema イパネマ’はリオ・デ・ジャネイロにある)に至るまで、『Gets/Gilberto』のあらゆるグルーヴからブラジルが溢れ出している。

同作は、史上最も売れたジャズ・アルバムの一枚となり、他のどのアルバムよりも多くの人々をブラジルのリズムに惹きつけた。同アルバムに収録された「The Girl From Ipanema(邦題:イパネマの娘)」と「Corcovado」は、45回転シングルのA面とB面で、チャートを席巻した。アルバムは1964年に全米アルバム・チャートで2位を記録すると、2年近くにわたってアルバム・ベストセラー・リストに入り続けた。1965年には、全ジャンルで競合する最優秀アルバム賞でグラミー賞を獲得。ジャズ・アルバムが同部門でグラミー賞を受賞するのは初めてのことだった。そしてその後もこのアルバムは、史上最も売れたジャズ・アルバムの1枚であり続けている。

Billboard誌が1964年4月に掲載した同アルバムのレヴューでは、「心地良いブラジル音楽のプログラムの中で、スタン・ゲッツの官能的なテナー・サックスが、ソフトなエッジのあるジョアン・ジルベルトの歌声と融合している」と記されているだけだ。つまり、誰もこのアルバムがここまで成功するとは思っていなかった可能性がある。しかし、ジャズが芸術面な質を高く保ちながら、大衆にアピールできることを同作品は明確に示している。

Rhythms of Brazil

1940年にブラジルのバイニアで生まれたアストラッド・ジルベルトは、世界的に最も成功したブラジル人ミュージシャンの1人となった。23歳のアストラッドは、「The Girl From Ipanema」をレコーディングするまで、プロとして歌ったことがなかった。しかし、セッションをしていた中で、英語で歌えるだけの英語力があるブラジル人は、アストラッド・ジルベルトしかいなかった。ジョアン・ジルベルトがファースト・ヴァースをレコーディングした後、アストラッド・ジルベルトは英語でセカンド・ヴァースを吐息交じりに歌った。同曲は、誰もが知る曲となったが、正式な訓練を受けたことのないアストラッド・ジルベルトのためらいがちで繊細なヴォーカルが、同曲にさらなる魅力を添えた。

ヴァーヴ・レコードはアストラッド・ジルベルトの成功に乗じようと、すぐに『Getz Au Go Go』をリリースした。前作ほどのヒットには至らなかったが、それでも1年近くにわたってアルバム・チャートに入っていた。これは、ジャズ・アルバムとしては前代未聞ともいえることである。ヴァーヴは間髪を入れずに『The Astrud Gilberto Album』を1965年初頭にレコーディングすると、同アルバムはチャートの41位を記録した。

続いてリリースされた『The Shadow Of Your Smile』もチャート入りし、その後アストラッド・ジルベルトは『Look To The Rainbow』(1966年)でアレンジャーのギル・エヴァンス、『A Certain Smile, A Certain Sadness』で同じブラジル出身のアレンジャー/オルガン奏者のワルター・ワンダレイ、そして『I Haven’t Got Anything Better To Do』(1968年)でアレンジャーのアルバート・ゴーゴニと仕事をした。アメリカにおける人気は次第に衰えていったが、アストラッド・ジルベルトは母国ブラジルで10年ほど大スターの地位を保ち続けた。その後、リラックスした彼女の歌唱に代わり、フローラ・プリム、エリス・レジーナ、ガル・コスタなど、より高音で歌うジャズ・フュージョンや新しいブラジルのポップ・スターが台頭した。しかし、アストラッド・ジルベルトは、ブラジル音楽が世界の舞台に登場し、そのまま浸透した時代に活躍した人物の1人として、歴史に名を残している。

ブラジル音楽が有名になる数年前、常にラテン・ジャズを支持してきたディジー・ガレスピーは、1961年のモントレー・ジャズ・フェスティヴァルで「Desafinado」を演奏した。これは、アルゼンチン出身のピアニスト、ラロ・シフリンの勧めによるものだったかもしれないが、1961年夏にディジー・ガレスピーがブラジルをツアーしていたことも一因だろう。

ラロ・シフリンの父親はバイオリン奏者で、ブエノス・アイレス交響楽団の指揮者でもあった。ラロ・シフリンは6歳でピアノを始め、1952年にパリ国立高等音楽・舞踊学校に入学すると、パリの左岸で活発だったジャズ・シーンを楽しんだ。アルゼンチンに戻ったラロ・シフリンは、16人編成のジャズ・オーケストラを結成。これが1956年にディジー・ガレスピーの目に留まった。

1958年、ラロ・シフリンはニューヨークに移ると、ジャズ・トリオと仕事をしながら、ザビア・クガートのアレンジャーにもなった。そして彼は、ディジー・ガレスピーのカルテットにピアニストとして加入すると、ディジー・ガレスピーのために作曲したアルバム『Gillespiana』を1960年にヴァーヴでレコーディングした。ラロ・シフリンは1962年までディジー・ガレスピーの音楽監督を務めたが、クインシー・ジョーンズとレコーディングをするため、そして自身の楽曲執筆に専念するため、同職を辞した。その後、ラロ・シフリンは主にラテン・ジャズ、ボサ・ノヴァでリーダー作を発表。そして1963年、映画『フリッパー(原題:Flipper)』で初めて映画音楽を担当する。ラロ・シフリンはハリウッドに移り、1966年にグラミー賞を獲得した『スパイ大作戦(原題:Mission: Impossible)』のテーマ曲をはじめ、映画やTVの音楽を数多く手がけた。

1960年代を通じて、ジミー・スミス、クインシー・ジョーンズ、コールマン・ホーキンスウェス・モンゴメリージョー・ヘンダーソンビル・エヴァンスハンク・モブレー、ドナルド・バード、オスカー・ピーターソングラント・グリーンなど、多くのアーティストがブラジルとその官能的な音楽を取り入れた。

Rhythms of Brazil

スタン・ゲッツと仲間たちがアメリカでレコーディングをしていたちょうどその頃、セルジオ・メンデスはセクステット・ボサ・リオを結成し、デビュー作『Dance Moderno』をレコーディングした。彼は20代前半で、アントニオ・カルロス・ジョビンと仕事をし、1960年代にはブラジルを訪れたアメリカのジャズ・ミュージシャンたちと演奏をしていた。彼は1960年代前半にアメリカ・ツアーをし、キャノンボール・アダレイハービー・マンとレコーディングをした後、1964年にアメリカへと移住した。

メンデスはより自由に活動するため、スタン・ゲッツとハービー・マンの支援を受けて、ロサンゼルスの音楽家組合の会員となった。彼が初めてアメリカで結成したバンドは、ブラジル人ヴォーカリストを起用していたが、ほどなくしてヴォーカリストをシカゴ生まれのラニ・ホール(彼女は後にハーブ・アルパートの妻となる)に変更し、セルジオ・メンデス&ブラジル’66を結成。同バンドはA&Mレコードと契約を結んだ。デビュー・アルバム『Herb Alpert Presents Sergio Mendes & Brasil ‘66』は、「Mas Que Nada」(ジョルジ・ベンのカヴァー)の大ヒットを受けて、プラチナ・ディスク(100万枚以上のセールス)となった。

メンデスはブラジルのボサ・ノヴァを基盤に、太陽の光がさんさんと降り注ぐかのような温かみのあるサウンドを作り出すと、長年にわたって何百万枚ものアルバムを売り上げ、多くのアーティストに影響を与えてきた。メンデスの商業的な成功は、人々がブラジルを無意識のうちに受け入れていたことを意味する。1992年、彼は『Brasileiro』でグラミー賞を獲得した。そして2006年、彼は「Mas Que Nada」をブラック・アイド・ピーズと再レコーディングする。これが多数のコンピレーションに収録されたことから、若いリスナーの大半には再レコーディング・ヴァージョンが慣れ親しまれている。しかし、ブラジルの真髄を理解するためにも、オリジナル・ヴァージョンもぜひ聴いていただきたい。

ブラジル音楽に対する熱は1960年代が最高潮だったが、その後も多くのアーティストがそのリズム、サウンド、全体の雰囲気に影響を受けてきた。パット・メセニーリー・リトナーラリー・カールトンといったギタリストは、バード(チャーリー・パーカー)、グラント・グリーン、ハワード・ロバーツが始めた伝統を継続した。

ジャズ・クルセイダーズ(後のクルセイダーズ)の創設者でピアニストのジョー・サンプルも、ブラジル音楽とラテン音楽から強い影響を受けたミュージシャンだ。ランディ・クロフォードとレコーディングした「Rio De Janeiro Blue」の見事なカヴァーを聴けば、それがよく分かるだろう。

アメリカとブラジルのミュージシャンの共演で特に興味深かったのが、フランク・シナトラとアントニオ・カルロス・ジョビンのコラボレーションだ。アメリカのスタンダード曲を歌ってきたフランク・シナトラは、60年代の終盤、レコードを作るに値する楽曲をほぼ歌いつつあることに気づいた。「それなら、何をレコーディングすればいいだろう?」これが命題となった。

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こうして導きだされた答えが、コンポーザー/シンガー/ギタリストのアントニオ・カルロス・ジョビンとのコラボレーションだった。これは、フランク・シナトラの輝かしいキャリアの中で最も異色のコラボレーションだ。1967年1月にリリースされた最初の楽曲は、クラウス・オガーマンの指揮によるオーケストラとレコーディングした小品、「Baubles Bangles And Beads」。フランク・シナトラは、1959年に『Come Dance With Me』でビル・メイとレコーディングしていたため、同曲をよく知っていた。今回は、アントニオ・カルロス・ジョビンとのデュエット(ジョビンは一部をポルトガル語で歌っている)として、美しいボサ・ノヴァ・ヴァージョンになった。2人は3晩にわたってスタジオに入り、12曲をレコーディングした。当時、シナトラは51歳。彼の歌声がここまでクールに響いたことはなかった。

フランク・シナトラのピアニスト、ビル・ミラーによれば、「アントニオ・カルロス・ジョビンとアルバムを作るというのは、フランクのアイディアだった。ジョビンがクラウス・オガーマンを提案すると、フランクは『分かった――君が使いたい人を使えばいい』と言った」そうだ。「1曲を3分以内に収めてほしいという以外、彼はルーティンについても特に決めていなかった」。

こうして、フランク・シナトラがリプリーズでレコーディングした作品の中でも、特に傑作とされるアルバムが誕生した。リリース当時はあまり評価されなかったものの、全米アルバム・チャートで19位を記録し、トップ40に6週間ランクインした。アルバムの強みは、クラウス・オガーマンのソフトで官能的なアレンジの緻密さと、楽曲のチョイスだ。アルバム収録曲中、7曲はジョビンが作曲した。夏の夜に合うロマンティックな音楽を探しているなら、このアルバムで決まりだ。太陽が沈む中、カクテルを飲む時に聴く音楽としても最適だ。アルバムからは、ブラジルが溢れ出している……

それから50年近く経って、フランク・シナトラはサンバの国に舞い戻った。ブラジル人シンガー/ソングライターのパウラ・フェルナンデスが、フランク・シナトラのヴォーカルを使い、名曲「Brazil」をデュエットとしてレコーディングしたのだ。オリジナル・ヴァージョンは、キャピトル・レコードからリリースされたフランク・シナトラのアルバム『Come Fly With Me』に収録されており、同アルバムは1958年、全米アルバム・チャートで5週連続1位を記録した。パウラ・フェルナンデスは、未発表の別テイクに乗せてレコーディングをした。フランク・シナトラのパートは、ハリウッドのキャピトル・スタジオAでレコーディングされたものだ。2014年にリリースされたパウラ・フェルナンデスのデュエット・ヴァージョンは、ブラジルのベロ・オリゾンテとリオ・デ・ジャネイロでレコーディング/ミックスされた。

我々は、ここで言及されたアーティストをはじめ、ブラジルが誇るその他の大スター、さらにはブラジルを含めた南米大陸の音楽に影響を受けたアーティストのプレイリストを作成した。お楽しみいただければ幸いだ。ブラジルのビューティフル・ゲーム(サッカー)は近年、かつての輝きを失っているかもしれないが、音楽に関しては、ブラジルは最高だ!

Written By Richard Havers


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