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U2『War』:アルバム制作秘話

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『WAR(邦題:WAR(闘))』:U2が『War』で宣戦布告

 

「Is That All?」(=それで全部なのか?)。1981年秋、2作目『October(邦題:アイリッシュ・オクトーバー)』の最後の曲で、U2が発していた問いがそれだ。いや、間違いなく、“それで全部”などではなかった。

次のアルバムが我々の耳に届いた時、彼らは、より率直かつ政治的、そして筋肉質なものへと発展。そのメッセージは、曲名が示す通りの1983年元日(=New Year’s Day)にリリースしたシングルと共に届けられた。大胆不敵にも、当時ニュースの見出しを連日占めていたポーランドの“連帯”運動に目を向けているこの曲は、政治的な目的とロックの信頼性は突き詰めれば手を取り合えるという証明になった。

ボノの情熱的なヴォーカルと、想像力を掻き立てるジ・エッジのピアノの語り口に先導されたこの曲は、即座にアメリカのロック系ラジオ局やMTV、そしてヨーロッパ各国のチャート上位を席巻。 2月上旬までに「New Year’s Day」はバンド初の全英トップ10シングルとなり、シーンでは待望の3作目を迎える準備が整った。

2月下旬に発売された『War』は、U2が世界に打って出る準備ができていることを高らかに宣言するアルバムとなり、当然の結果として、次々とゴールドおよびプラチナ・ディスクを獲得していく。本作が成し遂げた数え切れないほどの業績の中で最も重要なのは、これまでU2が全英1位を獲得した10作のうち、本作がその第1号であったということだ。

本作の下準備として、『October』期と同様に、彼らは1982年初頭の段階で2ヵ月間のUSツアーを含む国内外ツアーを行っていた。また、4人が情熱を注いでいたもうひとつの理念を実行に移すため、ストラングラーズやザ・ビートらと共に、4月にはユトレヒトで行われた反核コンサートにも出演している。

その後、ウィンドミル・レーン・スタジオでの作業を再開。このダブリンのスタジオで新作に取り組むために82年の大部分が費やされたものの、夏の殆どをライヴ活動に充てることができた彼らは、デンマークのロスキルド・フェスティバルから英ゲイツヘッドのロック・オン・ザ・タインまでといった数々のフェス出演を果たした。また多忙なスケジュールの合間を縫って、8月にはボノがダブリン郊外でアリ・ヒューソンと挙式。夫妻は短い夏休みを取って新婚旅行に出かけ、ジャマイカで短い休暇を過ごしている。

82年後半、U2がツアーに戻った際には、スティーヴ・リリーホワイトがプロデュースした3作目の発表準備が整っていた。Pre-War(戦争前)ツアーという鋭い名称を冠したこのツアーは、12月初旬に英国とアイルランドで戦いの火蓋が切られ、「New Year’s Day」「Surrender」のライヴ初披露という武器で完全武装。アルバムのリリース時には、「Sunday Bloody Sunday」でリスナーの喉元に食らいつくことになる。

北アイルランドの政治的および宗教的なトラウマが嫌というほど周知されていくに従って、“厄介事(=ザ・トラブルズ)”と呼ばれるこの問題(北アイルランド問題)に対する感情は、生々しいものとなった。この曲名が、あの忌まわしい1972年の“血の日曜日事件”に由来するとしても、そこに込められた反宗派主義のメッセージは、悲しいまでに今日的な意味を帯びたものとして世界中に伝わった。 12月20日のベルファスト公演(北アイルランド)で、彼らはこの曲を披露している。

地元ダブリンのSFXセンターにおける3夜連続公演で、1982年のツアーを締めくくったU2。その最終日はクリスマス・イヴであった。その頃までにセットの重要な中核を成す曲となっていたのが「Sunday Bloody Sunday」と「New Year’s Day」だ。こういったデータを計算している人々の統計によれば、バンドがこれまでにライヴで演奏した最多回数上位5曲の中に、この2曲が含まれている。

またこの2曲は、アルバム『War』を支える原動力ともなった。 U2は当時、評論家に狙い撃ちされるほどの成長を遂げており、予想通りNME誌を始めとする各プレスが、本作に痛烈な批評を浴びせかけてきた。クリーム誌はより好意的で、『War』を、純真さの喪失、成長のアルバムと捉えている。「(アイルランドの)“厄介事”が膠着していることにより、このバンドは1980年代流の成人となることを余儀なくされた」と評していたのはリチャード・リーゲルだ。「そこに伴われるのは、嘆きの妖精の如く空想に耽って時を過ごしていた時代に彼らが切望してやまなかった、様々な重苦しい深刻さとの生涯に渡る取り組みである」。

だが何より遥かに重要だったのは、U2と支持者との関係が磐石なものになったことだ。これは一般のファンだけでなく、先駆者のアーティスト達にも当てはまり、彼らは進んで支持を表明。「車で聴くものと言えば、」と、1983年にピート・タウンゼントが熱意を込めて語っている。「ここ最近はU2ばかりかけてるね。彼らは初期のザ・フーに、ザ・バーズとザ・ビートルズを混ぜた感じなんだ。言葉で説明するのは難しいんだが、僕にはすごく魅力的なんだよ」。

『War』のサウンドは、これまでで最も壮大なものとなっており、ラリー・マレンJr.のドラムは「The Refugee」を始めとする曲で見事なまでに爆発。アダム・クレイトンのうねるベースとジ・エッジが刻むリード・ラインは、ニュー・ウェイヴのダンス・グルーブに近いものを「Two Hearts Beat As One」にもたらしている。「自分がどちらの側にいるのか分からない」と、叫ぶように歌うボノ。そこに滲んでいた疎外感は、恐らくは逆に、今やU2を本当の大物に変える後押しとなっていた。

「僕らは既に、ある地点に到達していたんだと思う」と、当時語っていたアダム・クレイトン。「それぞれの曲が書かれた時の感情を表現できるよう、曲毎に演奏の方向性を変えるスキルが身についているという所にね。目指す所に行き当たるまで、あらゆるものを削ぎ落とそうとしているんだよ」

今にして思えば、まるで政権交代のようだが、『War』は1983年3月、マイケル・ジャクソンの『Thriller』を首位の座から引きずり下ろし、全英チャート1位を獲得する。シン・リジィの伝統的ロックからOMDのシンセ・トーンまで同じ週に出た新作は、どれも太刀打ちができなかった。その後、100公演以上に及ぶツアーに再び乗り出したのに加え、アメリカのメディアから最上級の賞賛を引き出したU2は、世界各国に新たな進出を果たしていく。
Paul Sexton

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