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R.E.M. -『New Adventures in Hi-Fi』

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R.E.M. – 『New Adventures in Hi-Fi』

マルチ・ミリオン・セラーとなった1994年のアルバム『Monster』の後を受け、R.E.M.は、1988年の『Green』時に行った1年に及ぶ過酷なツアー以来、久しぶりのツアーに復帰。この年、音楽業界で最も大きな羨望の的になった(そして噂によれば、最も興行収入が高かった)ツアーの1つと評された。3大陸を股にかけた100公演以上に及ぶこのツアーでは、アリーナ級の会場が使われ、サポート・アクトにはレディオヘッドからソニック・ユース、グラント・リー・バッファローまで、多彩な注目の顔触れが揃っていた。

計画段階においてですら、気が遠くなるような日程に思えたが、実際のツアー中、生死に関わりかねない医療緊急事態が連続してバンドに襲い掛かることになろうとは、誰も覚悟していなかった。最もよく知られているのが、スイスのローザンヌでの公演中、ビル・ベリーに脳動脈瘤破裂の診断が下ったことだ。そしてその後、マイク・ミルズが、7月のヨーロッパ・ツアー中、腸管癒着を除去する腹部手術を余儀なくされたこと。そしてさらにマイケル・スタイプが、ヘルニア修復の緊急手術を受けねばならなくなったこと。マイケルの手術は、どうにか日程を延期することなく執り行うことができた。

驚くべきことに、これらの試練を乗り越えている間にも、バンドは大いに創造性を発揮していた。レディオヘッドがツアー中に、アルバム『The Bends』のベーシック・トラックの一部を録音していたことや、混沌としているが随所で輝きを見せている、新曲のみで構成されたニール・ヤングのライヴ・アルバム『Time Fades Away』(1973年)にインスピレーションを受け、R.E.M.は、8トラックのレコーディング・デッキをツアーに持っていくことにした。これらの機材を使って新曲を記録し、それを徐々に発展させるという手法を用いる一方、ライヴやサウンドチェック、そして楽屋での気軽なジャム・セッションの音源も熱心に録音。後者の手法からは、揺らめくサーフ調のインスト曲「Zither」の公式音源が最終的に生み出された。

こういったライヴ音源が、1996年9月にリリースされたバンドの10作目『New Adventures In Hi-Fi』の元になった素材の大部分を構成している。しかし同アルバムは、いわゆる標準的な“ライヴ”アルバムとは程遠かった。なぜならその全曲が、ツアー後にシアトルのバッド・アニマルズ・スタジオで行われた実り豊かなセッションの最中に、4人で新たに作曲し直し、さらに膨らませ、録音したものだからである。

「すごくハッピーな気分で僕らはスタジオ入りした。そして全員が元気だということ、特にビルが元気だってことにホッとしたんだ」と、1996年11月、英国の月刊ロック誌Mojoのインタビューでマイク・ミルズが語っていた。「おかげで僕らの絆はより強まったし、お互いがお互いにとってどれほど大事な存在か、気付かされた。ああいった危機を乗り越えた後だったから、アルバム制作は朝飯前だったよ。『Monster』ツアーに出る1年半前から、ツアー中にアルバムを作ろうと話し合っていたんだ。サウンドチェックやライヴ、楽屋での気楽さや自然発生的な部分を捉えたいと思ったんだよ」

1996年9月にリリースされた『New Adventures In Hi-Fi』は、全米チャート2位、そして全英チャート初登場1位に輝いた。加えてこのアルバムからは、3枚の全英トップ20シングルが生まれ、第1弾シングルの「E-Bow The Letter」は全英4位を記録。最終的に同アルバムは、全世界で500万枚以上の売り上げを達成した。このように、本作が受けた反応は決して不十分なものではなく、レビューも熱烈であった(Q誌では4つ星、ローリング・ストーン誌のマイク・ケンプからは5つ星、名高いロサンゼルス・タイムズ紙の音楽評論家ロバート・ヒルバーンは4つ星を付けた)が、90年代前半にR.E.M.が高い評価を受けた『Out Of Time』や『Automatic For The People』を基準とすれば、『New Adventures…』が同じような最先端の作品という名声を得られたとは言えなかった。

そういった歴史に残るアルバムと比較すると、恐らく即効性や取っつき易さに欠ける『New Adventures…』は、(ビートルズの)“ホワイト・アルバム風”の、65分間に渡って繰り広げられる無秩序な作品であった。だが、リスナーに多少の時間と献身を求める一方、このアルバムは内容的に豊かで、人の心を掴んで離さない魅力が随所にちりばめられている。結果的に本アルバムは賞賛を受け続け、その後長い間ずっと、最も過小評価されているR.E.M.の陰の名作と捉えられている。

気まぐれで奇抜な本作の音楽性は、無数の方向へと散らばっている。シアトルでのスタジオ・セッションから選び抜かれたのは、嘆きと悲しみに満ちた壮麗なオープニング曲「How The West Was Won And Where It Got Us」で、ここではいつになく厭世的なスタイプが、ベリーの緩やかに駆けるビートと、バックが奏でるエンニオ・モリコーネ風バリトン・ギター・モチーフに乗せて、「これは悲しい物語/これまで何度も語られてきた」と歌っている。一方、音数の少ない「Be Mine」や、ザラついたメランコリックな「E-Bow The Letter」(ここではスタイプが長年の憧れであるパティ・スミスとデュエット)には、『Automatic For The People』の憂いを帯びた牧歌的フォークの響きがあった。一方、スタジオ由来の最後の曲である、物哀しい「New Test Leper」では、スタイプが宗教的な信仰に疑問を呈しており、この曲のタイトルは新約聖書の略称となっていて、その真実性がいかにチェックされるべきかを問うている。

スコット・リットによる慎重なポスト・プロダクションの間に多少整理整頓された、『New Adventures…』の残りの4分の3は、バンドが1995年に行った大規模ツアーの間に、様々な全米公公演の本格的なライヴおよび/もしくはサウンドチェック中の演奏から取り上げたものだ。素材の多くは、『Monster』のガレージ・ロックの系譜を受け継いでいるが、ステージ・パフォーマンスは、R.E.M.の4人のメンバーに加え、2人のマルチ楽器奏者、スコット・マッコーイーとグー・グー・ドールズの(ツアー・メンバー)ネイサン・ディセンバーによって音が増幅され、より強力になっている。

陰鬱な「How The West Was Won And Where It Got Us」よりも、恐らくオープニング曲にふさわしいと思われる、荒々しい(デヴィッド・ボウイの「Suffragette City」を思わせる)グラム・ストンプ「The Wake-Up Bomb」では、名声や派手なポップ・カルチャーに対して辛辣な言葉を浴びせており、「Tレックスみたいな動きを練習しなきゃな/人気を得るために」とスタイプは明かしつつ、オアシスのデビュー・ヒット曲「Supersonic」にも言及、そして意地悪な別れの言葉「じゃあな、君みたいにはなりたくないんだ」を投げかけている。

名声という罠を避けるとの考えは『New Adventures…』の中で度々繰り返され、それを除けば爽快感のある「Bittersweet Me」では「この中に囚われるくらいなら、自分の足を食いちぎったほうがいい」とスタイプは認めており、また「Leave」では「僕は行くよ……全てを振り切って行く」と宣言。恐らく、本アルバムで最も空想的な曲である後者は、物思いに沈んだアコギとニール・ヤング風の迸るオルガンで幕を開け、やがてマッコーイーによる車のクラクションのように喚くシンセ・モチーフが混じり、フル・バンドによる破壊的な挽歌へと姿を変えていく。

『New Adventures…』がアクセルを緩めスピードを落とすことは殆どないが、最終コーナーを回り、息を飲むようなホームストレートを疾走している時が、本作の最も超絶的な瞬間だ。アンフェタミンに駆り立てられたようにスリリングに猛進する「So Fast, So Numb」から、鮮やかな映画音楽風の「Low Desert」へ。後者では、辛辣なスライド・ギターと、本作のジャケットを飾っているモノクロの景色の不毛な雰囲気を音で表現するように、迫り来る乾いた空気感が展開する。しかし、このアルバムの極め付きの絶品曲は、最後の「Electrolite」だ。マイケル・スタイプがハリウッドのアイコン達に捧げた心のこもったトリビュートであり、20世紀全体を一つにし、感動的な別れを告げているこの曲では、マイク・ミルズのエレガントなピアノを中心に構成された、このバンドにとって最も輝かしくも抑制されたパフォーマンスが繰り広げられている。

一所に落ち着くことのない『New Adventures…』に対し、ローリング・ストーン誌のレビューでは、本作が「R.E.M.にとって最後の作品になり得るかもしれない——もしくは彼らの残りの人生の第一歩に」という、説得力のある提言がなされていた。一方、多くの評論家は、「Electrolite」の中で、マイケル・スタイプが次のような一節で敢えてアルバムを締めくくっている事実を取り上げていた。「僕は恐れてはいない……僕は出て行くよ」と。この一節は、彼のR.E.M.の一員としての活動が残り少ないことを意味すると解釈されていた。

後に明らかになったように、スタイプには仲間から離れる意思は全くなかったが、それにも拘わらず、本作のリリース後、R.E.M.内部の状況には劇的な変化が起きた。まず、バンドがマネージャーのジェファーソン・ホルトと袂を分かったこと(後釜となったのは、長年彼らの法律アドバイザーを務めてきたバーティス・ダウンズ4世)。それから、ビル・ベリーがある爆弾宣言を行ったことだ。1997年10月、次のアルバムに向けたセッションをバンドが開始しようとした時、彼は脱退したいとメンバーに告げたのである。

簡単な決断ではなかったと伝えられるが、何ヶ月にも渡って自分自身と向き合い、マイク・ミルズおよびバーティス・ダウンズと長い話し合いを行った末に、ベリーは脱退を決めた。だがその衝撃的なニュースは、このグループの仲睦まじさを苦境に晒すことになった。R.E.M.は、つまるところ、バンド結成時以来ずっと民主的に運営されており、メンバーが1人でも抜けたらバンドを解散すると、以前から言明していたのだった。

しかしながら、結局のところ、もし自身の脱退によってバンドが解散を決めるなら脱退は撤回すると、ベリーが他のメンバーに告げた。そのためバックとミルズとスタイプは、ベリーの後押しを受け、最終的に3人組として活動を続けることに決めた。それは世界の終わりではなかったかもしれないが、次の『Up』で1998年に再浮上するまで、バンドは改革の期間を経ることを余儀なくされることになる。

 

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