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クイーン『INNUENDO / イニュエンドウ』制作秘話

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『INNUENDO / イニュエンドウ』

 

『Innuendo』が発表されたのは1991年1月、『The Miracle』から僅か20ヵ月後のことだ。クイーンの新作としては、ここ10年以上の中で最も短い間隔でのリリースであり、それ自体は喜ばしいことであった。しかし彼らにとって14作目となるこのスタジオ・アルバムは、悲しみの色を帯びている。なぜならこれは、フレディ・マーキュリー存命中にリリースされた最後の作品となったからだ。

『Innuendo』のレコーディングは、1989年3月から1990年11月にかけ、ロンドン西部のメトロポリス・スタジオとモントルーのマウンテン・スタジオで行われた。元々は1990年のクリスマス期に合わせたリリースを目指していたが、フレディ・マーキュリーの体調不良により、完成の延期が余儀なくされた。だがそのような事情は、曲のクオリティや、4オクターブを超えるフレディのヴォーカルのパワーからは窺い知れない。音楽的に複雑な本作は、多くのファンにとって“原点回帰”作となっており……そして、それは全く悪いことではない。

1990年2月、ブリット・アウォード音楽賞において、クイーンは<英国の音楽に対する傑出した貢献>を称える賞を受賞。遅すぎるほどだが、当然の受賞であった。ロンドンのドミニオン劇場で開催された授賞式には、バンド全員が出席。ブライアン・メイがバンドを代表して受賞スピーチを行った。結果としてこれが、フレディ・マーキュリーが公の場に姿を現した最後の機会となった。

アルバムの表題曲でもあるオープニング・トラック「Innuendo」の1小節目から、バンドは準備万端。これぞ威風堂々とした、壮大かつ華麗なるロックというものだ。「Innuendo」は元々ジャム・セッションから生まれ、全体的に微かなレッド・ツェッペリン風味が漂うが、クイーン独特のアプローチが全面的に打ち出されている。念のために言っておくと、間奏でフラメンコ・ギターを弾いているのは、イエスのスティーヴ・ハウだ。英国ではアルバムの先行シングルとしてリリースされ、全英1位を制覇。遅れてリリースされた米国では、ビルボード・メインストリーム・ロック・チャートでトップ20入りを果たした。

「I’m Going Slightly Mad(邦題:狂気への序曲)」は、元々フレディがノエル・カワードのパスティーシュ(模倣)として考え出した曲が由来で、その後バンドがスイスで完成させた。病が相当悪化した状態のフレディ・マーキュリーと共に撮影したビデオでは、ブライアン・メイがペンギンに扮している他、頭にやかんを載せたロジャー・テイラーや、中世の道化師の格好をしたジョン・ディーコン、バナナを頭に被ったフレディ・マーキュリーが登場する。

ブライアン・メイが「Headlong」をスイスのスタジオに持ち込んだ時は、元々自分のソロ・アルバムに収録するつもりでいた。だがフレディ・マーキュリーのヴォーカルを入れた途端、それは即座にクイーンの曲となり、1991年1月にアルバムのリード・シングルとしてリリースされると、米国ではメインストリーム・ロック・チャートのトップ3にランクイン。また「I Can’t Live With You」も、元はブライアン・メイのソロ・アルバム向けに書かれた曲だった。

「Don’t Try Hard」は、フレディ・マーキュリーらしい美しいナンバーで、アルバムを繰り返し聴いた後、聴き手の心に深く刻み込まれ、根強い人気曲となるようなもののひとつだ。本作でロジャー・テイラーが手掛けた最初の曲が「Ride The Wild Wind」で、当初デモとして録音した際には彼自身がヴォーカルを取っていた。だがその後、リード・ヴォーカルがフレディ・マーキュリーに代わり、ロジャー・テイラーはバッキング・ヴォーカルに回っている。ブライアン・メイのトレードマークであるソロは実に華麗だ。

本作で唯一、作詞・作曲のクレジットがクイーン名義になっていない曲が、「All God’s People(邦題:神々の民)」である。これはフレディ・マーキュリーとマイク・モーランの共作で、元々はフレディ・マーキュリーがプロデューサー兼ソングライターのマイク・モーランと共に、ソロ・アルバム『Barcelona』用に書いたものだった。その次は、ロジャー・テイラーがソングライターとして貢献した2つ目の曲で、ノスタルジックかつ痛烈な「These Are the Days of Our Lives(邦題:輝ける日々)」だ。この曲のミュージック・ビデオがフレディ・マーキュリー最後の出演作となったことを知ると、より一層胸に沁みてならない。このビデオの最後でフレディ・マーキュリーは、カメラを真っ直ぐに見つめながら、「今も愛しているよ」と囁いている。

「These Are the Days of Our Lives」は、1991年9月5日、フレディ・マーキュリーの45歳の誕生日に米国でシングルとしてリリースされた。フレディの死去を受け、英国では約3ヵ月後となる12月9日、両A面シングルとしてリリース。 英国盤シングルのもう片面は「Bo-Rap」で、全英チャート初登場1位を飾った後、5週間にわたり首位に君臨した。

「Delilah(邦題:愛しきデライラ)」はフレディ・マーキュリーが愛猫に敬意を表した曲だ。アルバム全体の路線からは外れているものの、フレディ・マーキュリーがどうしてもこれを収録したいと主張したと伝えられている。それに対し「The Hitman」の場合は、全く事情が異なる。当初フレディ・マーキュリーが書いていた曲をジョン・ディーコンが引き継いだもので、曲の構造の大部分を編成し直し、クイーンのトレードマークと言える楽曲に変貌させた。

「Bijou」はブライアン・メイとフレディ・マーキュリーが考案した独創的な曲で、ヴァース部分をギターで演奏、コーラス(サビ)部分にヴォーカルが入っている。正にこれぞ美! 後にブライアン・メイが語っていたところによると、ジェフ・ベックの1989年の曲「Where Were You」から、多少のインスピレーションを受けたとのことだ。 2008年、クイーン+ポール・ロジャースが『ロック・ザ・コスモス・ツアー』を行った際には、ヴァース部分をブライアン・メイが演奏、その後1986年のウェンブリー・コンサートでのフレディ・マーキュリーの映像が流された。

クイーンのアルバムの最後を締め括る曲として、「The Show Must Go On」以上に相応しいものがあるだろうか?  あらゆる点において完璧なこの曲。これはまた、4人のメンバー全員が作詞・作曲に参加した曲でもある。 終わりが近づいている時でさえも、レコーディングと作品作りを続ける、フレディ・マーキュリーの物語を伝えている曲。 この曲を聴き、圧倒されずにはいられない。 当初はシングル化されなかったものの、1991年10月にアルバム『Greatest Hits II』が発売された際、その先行シングルとしてリリースされた。この曲のプロモ・ビデオには、1982年以降のクイーンの全ビデオ・クリップがフィーチャーされている。

『Innuendo』は全英チャートで首位を獲得。だが米国では残念ながら30位に止まった。その他の各国ではトップ10入りを果たし、オランダ、ドイツ、スイス、イタリアでは、誰もが羨むNo. 1の座をほしいままにしている。

1991年11月24日、フレディ・マーキュリーが痛ましくもこの世を去ったことにより、それがクイーンの旅路の終わりであると誰もが考えた。だがその先に、更なるものが用意されていたのである……。

 

– Max Bell

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