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クイーン『オペラ座の夜 / A Night At The Opera』制作秘話

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『A NIGHT AT THE OPERA / オペラ座の夜』

 

『Sheer Heart Attack』を引っ提げた全英ツアーが開幕したのは1974年秋。その後、ヨーロッパとアメリカを回り、1975年5月1日に日本武道館でその幕を閉じた。クイーンが再びUKツアーに乗り出すのは1975年11月14日のことだが、その間に彼らが録音したアルバムは、バンドを大スターからスーパースターへと変える1枚となる。

ロイ・トーマス・ベイカーとバンドが共同プロデュースした4枚目のアルバムは、1975年8月にレコーディングを開始。完成を迎えたのは、11月14日のリヴァプールのエンパイア・シアター公演を皮切りにツアーが始まる直前のことだ。今では誰もが知っている通り、『A Night At The Opera(邦題:オペラ座の夜)』は歴史的傑作である。そのタイトル(1935年公開のマルクス兄弟の同名映画から借用)から、音楽的特質、アルバム・アートワーク、パッケージ全体の壮麗さから枝葉末節に至るまで、全てが荘厳たるものであった。

ジョン・ディーコン、ロジャー・テイラー、ブライアン・メイ、そしてフレディ・マーキュリーは、待望の休暇を取ってリフレッシュした後、新たなプロジェクトに本格的に着手。英ハートフォードシャー州の一軒家を借りて、3週間に及ぶ曲作りとセッションを開始した。その後、彼らはそこを引き払い、再びウェールズ国境地帯にあるロックフィールド・スタジオへ。完璧さを追求するため、バンドはそれから更に5つのスタジオ(ラウンドハウス、サーム・イースト、スコーピオ、ランズダウン、オリンピック)で作業を重ね、自分達を信じる思いはその中で十分に正当化された。

『A Night At The Opera』を構成する12曲は、43分の壁を悠々と突破。前作同様、収録曲の配列は、ここでも独自のダイナミズムを生み出している。本作は、ランダム再生やシャッフルといった予測不能な聴き方ではなく、曲順通り全体を丸ごと聴くべきアルバムなのだ。

クイーンは、ロイ・トーマス・ベイカーが提供した24トラックのセットアップを最大限に活用。2002年に惜しくもこの世を去ったエンジニア、マイク・ストーンと共に、彼らは共同で素晴らしいサウンドのアルバムを創り上げた。オープニング曲「Death On Two Legs (Dediicated To…)」は、金儲けに長けた、ある仕事関係者に対する露骨かつ辛辣な公開書簡となっており、実際、最後の仕上げが施されたのはリリース直前のことだった。フレディ・マーキュリーが作詞した中でも極めて痛烈な内容であっため、ブライアン・メイはこの歌詞を歌うことにあまり乗り気ではなかったほどである。

フレディ・マーキュリー作の「Lazing On A Sunday Afternoon(邦題:うつろな日曜日)」で彼は、ピアノ演奏のスキルを引き続き披露。キーボードに対する彼の自信が高まったことは、アルバム全体の飛躍的な向上に一役買っている。ここから次のロジャー・テイラー作「I’m In Love With My Car」への移行は見事だ。スピードと車への思い入れを描いたこの賛歌は、後にジャガーのテレビCM曲として使われることになる一方、シリアスなラヴ・ソングとしても捉えることが出来る。この曲はシングル「Bohemian Rhapsody」のB面にも収録されていたが、伝えられるところによれば、他のメンバーが笑いながらそれに同意するまで、ロジャー・テイラーはサーム・スタジオの物置の中に立てこもっていたと言われている。

更に画期的だったのが、ジョン・ディーコンの「You’re My Best Friend(邦題:マイ・ベスト・フレンド)」だ。卓越したベーシストが作詞・作曲したこの曲は、彼にとって初めてのクイーン・シングル曲となり、1976年にリリースされると各国のチャートでヒットに。録音もジョン主導で行われており、彼はウーリッツァー・オルガンまで弾いている。

「39」は、このアルバムで最初に登場するブライアン・メイの曲で、天体物理学と天文学に対する彼の学術的関心を思い出させる、宇宙旅行を題材にしたSFナンバーだ。この曲の不可思議なスキッフル・アレンジを前提に、ブライアン・メイはジョン・ディーコンにダブル・ベースの演奏を依頼。1976年にはライヴのセット・リストに含まれるようになり、すぐさま観衆の心を掴んだ。

ブライアン・メイの「Sweet Lady」は、この時点での彼らのキャリアにおける、ほぼ意図的とも言える多様性を強調。生き生きしたリズム・セクションと激しいディストーションを特徴とする、4分の3拍子のロック・スラッシュだ。フレディ・マーキュリーの「Seaside Rendezvous」でもまた、バンドの独創性が示されており、フレディ・マーキュリーとロジャー・テイラーが自分達の声のみで木管楽器セクションを“演奏”。更に指ぬきを嵌めた指を足の代わりに使い、ミキシング・デスクの上でタップ・ダンスを披露している。

本作のオリジナル・アナログ盤LPのB面は、ブライアン・メイ作の長尺曲「The Prophet’s Song(邦題:預言者の唄)」で幕を開ける。天の啓示(この言い方が正しいかは分からないが)を受けてこの曲が誕生したのは、彼が前作『Sheer Heart Attack』の制作セッション中に肝炎を患い、熱にうなされていた時だ。重厚で陰鬱な「The Prophet’s Song」は、来るべきツアーにおいて理想的な要の役割を果たす曲となった。聖書の物語を思わせるその雰囲気は、ギタリストのブライアン・メイが玩具の琴を用いることにより、一層強まっている。琴は通常、実験的なクラシック音楽と結びつけられて考えられることの多い、伝統的な日本の弦楽器だ。

フレディ・マーキュリーの「Love Of My Life」(ガールフレンドであるメアリー・オースティンのために書かれた曲)は、ブライアン・メイのハープと、ロジャー・テイラーの繊細なシンバル、そして偶然にもブライアン・メイが昨春に日本で買い求めたギブソン・ハミングバード・アコースティック・ギターの音色で装飾された、美しいバラードだ。

ブライアン・メイの「Good Company」は、彼の賢さが表れている系統の曲で、サウンド的な価値と熟考の上で得た考えに富んでいる。レコーディングにはウクレレと愛用のレッド・スペシャルを用い、両者を重ね合わせながら、伝統的なディキシーランド・ジャズ・バンドの雰囲気を模倣。 強く心に訴えるこの物語の筋は、途中で予想外の展開を起こす。

そして次に控えているのが、途方もない、記念碑的な(どんな形容詞をもってしても、この曲の真価を十分に表現することはほぼ不可能であろう)不朽の名曲「Bohemian Rhapsody」だ。 全体が6部構成となっているこの曲の大部分は、フレディ・マーキュリーがホランド・パーク地区の自宅で作曲。人々の間でも意見が分かれた曲であった。よもや彼らも、このような曲を世に送り出しておきながら、ただで済まされるとは思っていなかったはずだ。フレディはそのメリットを確信していたが、歌詞の構造や、クラシック・オペラとの関連、旧約聖書の先見者達、主要登場人物のスカラムーシュやガリレオについては、ほとんど明らかにされることはなかった。

答えを強要されたならば、フレディ・マーキュリーはこう言ったものだ。「これは、幻想的な雰囲気を持った曲のひとつなんだ。人々にはただ耳を傾けてもらい、その意味するところは、それぞれが自分なりに決めてくれたらいいと思ってる……。‘Bohemian Rhapsody’は、何の根拠もなしに、どこからともなく生まれてきた曲ではないんだよ。僕はちょっとした研究を行ったんだ、冗談まじりの擬似オペラではあるけどね。悪くないだろ?」

だが、たとえフレディ・マーキュリーが自らの論拠を秘密にしていたとしても、世の中の反応は凄まじいものであった。特に、彼が巧妙にも「曲を丸ごと流したら駄目だからね」とウインクしながら、DJの友人ケニー・エヴェレットにリリース前のテープを渡した時の反応は言うまでもない。フレディ・マーキュリーが想定していた通り、当然ながらエヴェレットは彼の要求を無視。自らの番組内で、2日間に14回もこの曲をかけたのだった。パンニング、重層的なヴォーカル、銅鑼、そしてティンパニ——全く、このバンドのオペラ的な大胆さときたら半端ではない。これはいわゆる誰もが知っている曲の一つであるが、一度でも聴けば、あとから思い返すだけでも、困惑と喜びとをもたらしてくれる曲なのである。

これをシングルとしてリリースする前、EMIの上級役員の1人が、このままでは長過ぎると確信。ラジオで流してもらう機会を得るには短く編集する必要があると、バンドに納得させようとしたのは皮肉な話である。

華々しい大仰さと優しい素朴さとを混合したブライアン・メイのギター・ソロは大正解であった。 「Bohemian Rhapsody」は、“フレディ・マーキュリーらしさ”が存分に発揮された曲であり、これまでの作品で開発を進めてきた要素が含まれた、彼の力作であった。

まるで曲そのものだけでは視覚的効果が十分ではなかったかのように、このシングルには画期的なミュージック・ビデオが付随。当時、史上最も費用のかかったシングルだと言われたものの、その見返りは十分以上のものであった。

本作はそこで結びを迎えるのではなく、この曲の後を受けてアルバムを締めくくるにはこれしかない、という唯一の選択肢が控えていた。つまり、ブライアン・メイの新解釈によるアレンジが施された、英国の国歌「God Save The Queen」だ(もちろんセックス・ピストルズ界隈でも、その発想が見過ごされることはなかった)。しばらく前からクイーンのツアーでは、ライヴの最後にこれが使われていた。インストゥルメンタルで、重層的な、そして不思議にも感傷的なこの曲を、エリザベス女王即位50周年記念のイヴェントが2002年に行われた際、ブライアン・メイはバッキンガム宮殿の屋上で演奏。一生を懸けた大志と言えるようなものを、成し遂げることとなる。これはまた、ジミ・ヘンドリックスがウッドストックで披露した米国歌「The Star-Spangled Banner」に対する一種のオマージュでもあった。

本作がリリースされたのは、1975年11月21日。その結果、この年のクリスマス・シーズンはクイーンの支配下に置かれることになった。アルバム発売日の1週間前に始まった完売ツアーは、クリスマス・イヴに行われたロンドン・ハマースミス公演で最高潮に到達。このコンサートの模様はビデオ撮影され、BBCの音楽番組『The Old Grey Whistle Test』で放映された。北米ツアーは翌1976年1月の第4週に始まり、これもまた大勝利を収めることに。『A Night At The Opera』は全米アルバム・チャートで4位に浮上。また「Bohemian Rhapsody」は、クイーンのUSツアー中、全米シングル・チャートでバンド初のトップ10入りを果たした。

1975年12月15日に『A Night At The Opera』が全英チャート入りすると、このアルバムはクリスマス・プレゼントとして次々と購入され、数多くの靴下の中に収められた。そしてクリスマスの2日後には、全英1位を獲得。年末年始の間、首位に君臨し続ける。年明けに1週だけ、ペリー・コモのベスト盤にトップの座を譲ったものの、『A Night At The Opera』の売れ行きは勢いを増す一方で、翌週再び首位に返り咲いたクイーンは、その座を2週にわたって守った。一方「Bohemian Rhapsody」は、11月29日から翌年1月31日まで、全英シングル・チャート9週連続1位を達成。ご存知の通り、後に悲しみの時を迎えた時、同曲は再び全英チャートの頂点に立つこととなる。

 

– Max Bell

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